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身勝手

作者: 泰然自若

 死という言葉は不吉なものだ。

 何か、言い知れぬ恐怖が頭をよぎり、世界がいつもよりずっと重苦しくなってしまう。これから先、いや今すぐに何か起こるんじゃないかと錯覚させるほどの魔力を宿す言葉。

 墨をたらしたような暗闇が世界を覆っているであろう夜の時分のこと。

 ストーブがを上げて、灯油をせがみ始めていた。

 我慢するにはさむすぎて、パソコンの内部機能である時計を見やれば、床に就くにはまだ早い二十二時を過ぎたばかりだった。

 あいにくと風呂だって沸いていない。

 デスクを離れ、給油缶を伴って外に出ることにした。自堕落に時間を食うことにも飽きていた。気分転換には丁度良い。

 ダウンジャケットを羽織る。外は寒いことだろうと考え、少しだけ億劫になったものの、足は頭よりも素直で、すんなりと動いた。

 靴を履き、玄関を開け放った。

 二歩、前に出る。大またで歩けば扉の間合いを外れる。

 扉は勝手に閉まり、盛大に音を立てた。

 足は動かない。顔は上を向いた。

 冷たい世界の中で、雪は降っていた。

 もうそれなりに積もっている。夕方帰ってきた頃にはまだ空は見えていたと記憶している。

 頭の衰えを覚えた昨今だが、こればかりは自信があった。

 止めた足を動かした。遠くはない。すでに目的地は視界に収まっている。

 深々と降り積もる雪に音が食われ、いつもならば遠く聞こえてくる幹線をせわしなく行き交う自動車の行進は漂ってきていなかった。

 風もなく、雪が音もなく世界を染める。

 家の前ではひっそりと轍が二つできていた。その轍も朝には消えているだろうと思える程度に、雪の勢いがある。街灯によって密度の高い群れ群れが揺らめいている。

 給油をするため、貯蔵タンクのバルブをひねった。給油缶の蓋を開け、刺激臭を吸い込んだ。手に灯油がかからないよう気を配り、貯蔵タンクからポリタンクへと灯油を移す。

 面倒な作業だ。ただ、今を持って嫌になる行動でもない。

 ほのかに遠く軽い音が生まれていく。

 空を見上げれば、一面うす明かりに染まる空があった。雪があった。

 雪は不規則で、まるでUFOのように漂い、音もなく地面に落ちて積みあがっていく。

 灯油の満ちる水音の変化が耳についた。そろそろ満杯になる。バルブを捻り、一息ついた。

 大きく深呼吸をした。

 世界は、死んでいる。

 今の世界を適当に表現できている。死は、不吉でもなんでもないものだった。

 どこにでもあり、どこにでもない。ただ、いつもそばにいる。まっている。死がやってくるのではない。死に向かっていくものだった。

 納得できた。それがたまらなく、心地良い。

 吐く息は白く、身体は熱を欲した。それでも、手早くすませて温まろうという気にはならなかった。

 世界は一瞬にして容貌を変える。その実感が、心を揺さぶった。

 仄かに明るい夜の中、振り向けば足跡ができている。その場で踏み鳴らす音が気味良く耳をくすぐった。

 悴む手先をさすりながら、息をはきかけてしまえば身体が喜んだ。

 死と評した世界の中で、確かに、生きている。

 そう実感し、無償に嬉しかった。

 今を生きているのだと、ただただそれだけなのだと、解った。

 劇的な出会いをもたらす日常の中で、平凡な人生を歩んでいる。それがいかに劇的な出会いの連続を通して得ているものか。

 いまさらながらに気づいてしまった。

 それだけで、満足した。

 ポリタンクを持ち上げる。手に湿り気を覚え諦めて給油缶に口を差し込み注ぎ込む。

 音が活き活きとして、満杯になっていく様子を伝えてくる。

 切りの良いところで入れるのをやめ、蓋を閉めた。ポリンタンクはバルブの下へ置いた。継ぎ足しはしなかった。

 給油作業を終え、家に入る。

 パチリ、と家が鳴いた。いつものことだ。木造建築は生き物に近い。人がいるから、家が鳴く。

 ストーブに給油缶を差し込むと、嬉々としてそれを飲み込んでいく。

 運転のボタンを押せば、済ました顔で設定温度と現在の室内温度を見せびらかせてくる。

 火が点るまでが長い。大食いで融通も利かないが、まだ使えるのだから買い換える気も失せて久しい。

 椅子に腰を下ろし、背伸びをして足も伸ばす。背もたれに体重を乗せて、天井を見やった。

 誰もいない部屋の中は、外よりもずっと冷え込んでいる気分にさせられる。

 外よりもよほど明るい世界に包まれているのに、新鮮味に欠けた。

 色があるのにモノクロと思えてくる。

 停滞、いや、空気が死んでいた。

 立ち上がり窓に向かった。ガラスごしですら、はっきりとにじむ冷気を感じる。

 カーテンを開け放ち、窓を開けた。雪はまだ落ちて来ていた。風はわずかに流れたが、吹き込むことはなく、すぐに消えた。

 きびすを返し、デスクの前に立つ。座ることをせず、ディスプレイの隅っこをみやる。日付はまだ明日になっていない。

 時刻を見て、なぜだか無性に、焦り始めた。

 冬はどうして、こんなにも世界が死ぬというのに、何をそんなに急かすのか。身体は、脳みそは何故、こんなにもわけのわからないものに、焦れているのだろうか。

 判らない。

 ただ、何かしたくて、焦っている。

 滑稽だと自覚しながらも明確な目的を見つけることもできない。

 ただもがき苦しみ、明日に後悔を生む。

 それだけは解った。

 部屋を出た。靴を履き、外へと立ち止まることなく、むしろ飛び出した。

 足早に貯蔵タンクを通り越し、家の敷地を後にする。そうして雪の中にまぎれてしまえば、とぼとぼと歩幅は小さく、鈍く、ただ動き続けた。

 当てはない。

 ただ、外に居たかった。

 いっそ埋もれてしまいたい。と願い、かといって、今だけはこの死んだ世界を独り占めしたいという欲が湧いた。

 自覚が安堵を伴って身体を巡った。顔が笑みを浮かべた。苦笑だが、本心から笑えたのは心地が良かった。いまだ、無邪気さを失っていなかったのだ。

 ふと視線を足元に落とせば、小さな足跡が並んでいた。 

 目で追えば、他人の家の車庫に続いていた。名前も知らない。振り返れば数十メートルも離れたか怪しいくらいの距離だった。きっと近所にある小学校のプールより近い。あれは二十五メートルだったか。

 足が向かう。

 腰を下ろし、車の下を覗いた。不審な行動だと笑ってしまう。誰か通報でもしてくれると面白いと思ったが、あいにくと通行人はいない。

 雪の日の二十二時過ぎのことである。不審者仲間は生まれないほうが良い。

 手が雪に触れてしびれるような冷たさが伝わった。膝はぬれた。それでも構わなかった。

 目当てのものはあった。暗がりで判別はできないが確かにあった。

 双眸が光り、こちらの動向をじっと観察している。時折、むずむずと所在を確認しているかのような素振りが、緊張感と余所余所しさを醸して、微笑ましい。

 安心が湧いた。ほっと身体が熱を取り戻して、おもむろに、それこそ刺激させないように立ち上がった。

 野良猫の警戒心が、生きる原始を呼び覚まさせた。

 理屈はわからない。それでも、まだ生きていようと思い立った。

 雪が降っている。

 踏みしめ音を鳴らす。そして、死んだ世界を生かすのだ。

 この世界なくして、生きることが出来ない。

 だから寄生する。もう少し生きたいと世界に寄りかかる。

 無遠慮で、粗野、なによりも管を巻く。

 おんぶに抱っこ。

 身勝手な自己解決。それで良い。

 どうあってもこの世界に寄生をし、また明日を生きるのだ。

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