第9章 能面シカミの男(4)
料亭のほうから銃声が聞こえた。
運転席の柏木が振り返る。
「ドンパチ始めたみたいですけど、どうします? 突撃します?」
「待て待て、まずは突入班を裏門に展開するんだ。合図するまで待機、表門はこのまま見張れ」
「わかりました」
柏木が手に持ったスマホを操作する。
葉室はドアを開けた。
「葉室さん?」
「少し中の様子を見てくる。宗像源蔵が料亭の敷地から出たらすぐに確保するんだ。ホーエンの襲撃に警戒しろ」
葉室は車から降り、料亭の門をくぐった。
玄関の前に仲居がいる。
警察手帳を提示し、早く避難するよう指示を出した。
事前にマリアから情報を得ていたので、直接中庭に入り、広場に出る。
奥のほうから金属と金属のぶつかり合う音が聞こえた。
月明かりの下、複数の人影が見える。
近づくと、上泉が芝生の上で日本刀を振り回していた。
腰を低く落とし、前傾姿勢のまま滑るように水平移動する。
半身から半身に体を振り、日本刀を振り上げた。
何もない空間に青い火花が散り、金属音が鳴った。
離れた場所にクライヴとマリア、宗像源蔵の姿があった。
三人は上泉を見守っている。
その場に漂う、ただならぬ緊張感に葉室が目を凝らすと、面をつけた軍服の男が微かに観え、上泉と斬り合っているのがわかる。
「あれは何だ?」
葉室がつぶやくと背後から声がした。
「あれはデストルドー、亡者って奴だね」
振り返ると、そこには白人の男性が立っていた。
片手には一升瓶を持っている。
瓶に貼られたラベルから、どうやら日本酒、それも滅多にお目にかかれない希少酒のようだ。
でも、なぜ彼がここにいるのか?
再三に尾行を撒かれ、数日前からは所在不明になっていたが、まさか自分から出てくるとは……。
ぼさぼさの金髪、赤みを帯びた顔、不精ヒゲ、だらしのない服装、アルコールの臭いを撒き散らし、葉室のそばを通り過ぎた。
彼はホーエン・カンパニーから派遣されてきた男、名前はヴォルフガング・ガーランドだった。
ヴォルフガングはげっぷをした。
手の甲で口元を拭う。
「ちょっと観光を楽しんでいた間に、こんな……」
「……」
「なんて面白いことになっているんだろう!」
「……あなたがなぜここに? 宗像源蔵を殺しに来ましたか?」
「殺す?」
ヴォルフガングが振り返る。
「なんで?」
「なんでって」
「俺はただの観光ついでに立ち寄っただけなんだけど、てか、あんた誰?」
葉室は答えなかった。
「ま、いいや。俺は見物するから邪魔しないでね」
ヴォルフガングは上泉たちのほうに目を向けた。
一升瓶を芝生に置き、上着のポケットからスマホを取り出した。
足を肩幅に広げ、両手で構える。
上泉たちのほうに向けた。
「おう、さすがは英雄殿ね。いつ見ても惚れ惚れする異次元の剣捌き。録画してボスのお土産にしよ」
スマホの画面を人差し指で触る。
録画開始を知らせる電子音が鳴った。
「……ね? 今、英雄殿が戦っているあれ、知ってる?」
ヴォルフガングは自分の声が動画に記録されるのも気にせず、葉室に話しかける。
「……神霊ですか?」
「シンレイ? ああ、英雄殿たちはそう呼んでいるようだけれど、俺たちからしてみればちょっと違うんだよね。とくに今、英雄殿が戦っている相手、あれはね、あれは亡者というやつなんだ」
「亡者?」
「別に、自分から亡者ですと名乗ったわけではないんだけどね。なんというか、生きている人間が生み出した、幻? いや追い出された人格と言ったらいいのかな。きっと、あれを生み出した人は、まあムナカタ氏なんだけど、彼は自分の人生に意味を求めすぎたんだよね。こうでなきゃいけない、ああでなきゃいけない、そう何もかも決めつけて生きてきたんだろうね。その上、神にもすがれず、何の寄る辺もないから自分というものを正当化するために敵を創り出す必要があったんだと思うの」
ヴォルフガングはスマホから片手を離し、上着からハンカチを取り出して鼻をかんだ。
「それにしても、うーん、おかしいよね、あれ。あのようにありありと、追い出された人格が白昼夢として現れることは稀にあるけれど、行き場がないから、付き纏うしかないんだけれども。でもね、これ、やっぱりおかしいよね。明らかに殺そうとしてんじゃん。そんなことしたら自分も死んじゃうのに。もしかしたらやっぱり裏からアレが干渉しているのかしらん?」
「アレ?」
「アレはアレだよ、イントルーダーだよ。この世界に住むものたちの敵だよ」
ヴォルフガングはスマホを構えたまま突然しゃがんだ。
口元にハンカチを当て、じっとしている。
葉室が歩み寄った。
「どうしました?」
「キモチワルイ。オレ、キモチワルイ。マジ、ハキソウ」
ヴォルフガングは背中を丸め、えずいた。
カメラは片腕を伸ばし、しっかりと構えたままだ。
葉室は眼鏡のブリッジを触りながら後退りする。
少し離れた場所から声をかけた。
「大丈夫ですか? 救急車呼びましょうか?」
ヴォルフガングは構えたスマホを下ろし、口に当てたハンカチをポケットに突っ込んだ。
スマホも上着の内ポケットに入れると、一升瓶を手に取り、葉室のほうに向かって歩き出した。
「オレ、カエル」
右へ左へとふらつきながら葉室のそばを通り過ぎる。
「ま、待ちなさい、あなたには聞きたいことが――」
ヴォルフガングが空いた手を上着の外ポケットに突っ込んだ。
中からハンカチではなく、黒い楕円形の物体を取り出し、背を向けたまま葉室に投げて寄越した。
葉室は受け取らず、とっさに身を引いた。
物体は芝生に落ちて電流のような青白い光を発した。
一瞬にして葉室の視界を真っ白に染める。
光に熱はない。
目に痛みもない。
ただ涙が止まらない。
葉室は逆ナイロールの眼鏡を外し、その場にうずくまった――。
――源蔵が立ち上がり、シカミを見つめる。
「まつろわぬ神?」
「そう。あれは、あなたが呼び寄せた神霊だ。それも約束によって発生した存在ではなく、理に反している存在、おそらくまだ名もなき新しい神霊だろう。神威も感覚的なもので、輿論を生み出すほどの力はない」
シカミの笑い声が止んだ。
能面を外し、捨てる。
頭は丸刈り、浅黒い肌、無気力な眼差し、どことなく光一郎に似ているが、はだけた軍服から覗く僧帽筋、大胸筋の盛り上がり方は戦う人間のそれだった。
「あれは、わしだ」
源蔵が哀れみの表情を浮かべた。
「情けない、わしは本当に情けない男じゃ。君の言ったとおりだった。今までわしはわし自身と戦っておったんじゃな、馬鹿みたいに」
「爺さん、昔はいい男だったんだな」
「上泉君」
シカミがのっぺりした口調で言った。
「世界に意味など存在しない。知れ」
上泉は反論した。
「確かにあなたの言うとおり、世界に意味など存在しない。だからこそ意味を創造しなければならない」
「有限の世界に創造された意味など、意味がない、全ては運命である。是、神の言葉なり」
シカミは軍刀の切っ先で天を突き、大上段に構えた。
「あなたは神ではない。少なくともこの世界に降臨した時点で神ではなくなった。この世界は皆が平等に死ぬ世界だ」
上泉も大上段に構える。
「布教の代償はしっかり払ってもらう。虚無に還れ」
「愚かな英雄」
動き出したのは同時だった。
月明かりの下、二つの影が切り結ぶ。
神霊とはいえ、源蔵の肉体を模写したもの、技巧は上泉に遠く及ばない。
神霊の太刀筋は円弧を描くが、上泉は点滅を描く。
神霊の刃先が届く前に、上泉の精緻な切り落としがシカミの太刀筋を歪め、重力の垂線から逸らす。
上泉の刃がシカミの右手首を切断し、シカミの刃が空を斬った。
ずるりと力なく、シカミの右手首が柄から落ちた。
シカミは自分の右手首を顔に近づけ、切断面を眺めた。
傷口からは埃が散っている。
芝生に落ちた手首も白くなり、形が崩れ、埃となって風に流された。
それを観ていたマリアが腰に手を回し、弾帯から赤色に塗装された焼夷弾を抜き出した。
ヴィヴィアンに装填して構える。
「義道!」
上泉はシカミと距離を取った。
シカミが右腕を垂らし、弾けた様に左手一本で上泉に斬りかかる。
クライヴが応じ、シカミの横に回り込んで身を低くする。
至近距離からケルベロスを放った。
赤い火花で象られた巨大な三つ頭の犬に、顔面、肩を噛みつかれシカミの足が浮かび上がる。
そのまま吹き飛ばされた。
そこにマリアがヴィヴィアンを撃った。
白い閃光と共に刹那、マリアの頭上に異様に髪の長い、裸の女性が逆さに浮いているのが観える。
重力に引かれ垂れた髪の毛がヴィヴィアンに絡みつき、両腕が伸びてマリアの耳を両手のひらで包み込み見下ろしている。
砲弾が見事に命中、シカミが炎に包まれた。
それでもシカミは起き上がり、ふらつきながらも上泉に近づいて来る。
その表情は激しい炎で隠れ、わからない。
上泉は腰を落とした。
定め駁を脇に構える。
遥か後方にある地平線から、前方の彼方にある地平線まで極大化させた限りなく直線に近い円弧、それを体現するために地球の自転と呼吸を合わせた。
体を転じる――シカミに何も意識させず一刀両断した。
一体は縦に割かれ、二体に分かれる。断面から埃が散って、燃えて火の粉となった。
杉の枯れ葉が燃えるようにパチパチと音を立て一気に燃え上がった。
二体のシカミが笑い出した。
燃え盛る、お互いの姿が面白いらしい。
「兄弟」
クライヴが定め駁を指差した。
赤い霞が刀身にまとわりついている。
穢れだ。
上泉は定め駁を振り、穢れを祓った。
穢れは神霊となり芝生に着地する。
ギザギザの羽に尻尾、ワタリガラスの形をした神霊だった。
ワタリガラスは羽をばたつかせ、飛び上がる。
空高く舞い上がり、そのままどこにも行かず、ぐるぐる回っている。
シカミの狂ったような笑い声が空に響き渡る中、上泉は源蔵に目を向けた。
「爺さん、あとはあなた次第だ。僕たちはこのまま戦えるが、いつかは死すべき存在だ。結局はあなたが自分で結論を出すしかない。このままニヒリズムに嘲笑されるか? それともあのカラスのように限りある空を自由に羽ばたくか?」
源蔵はうつむき、芝生の上に落ちている自分の杖を手に取った。
両手で握り締め、じっと見つめる。
「わしは今まで甘えていたのかもしれん。上泉君、わしはもう、いつ死んでもおかしくない歳じゃが、今からでも償えるだろうか?」
「自分で考えろ」
源蔵は少し驚いた表情を見せ、それから笑った。
晴れやかな笑顔だった。
「そうじゃな。わかった。警察に自首しよう」
源蔵の言葉で、シカミの笑い声が止まる。
二体とも倒れ、燃え尽きて灰になった。
風に吹かれ、跡形もなく消え去った。
残されたのは芝生の焼け跡だけだった。
「そうだ、それがいい」
上泉は納刀した。
空のワタリガラスが一声鳴いた。




