第3章 動機(3)
上泉は警察署のロビーで待っていた円を拾い帰路に就いた。
署を出てからずっと絶妙な距離を保ちながら上泉たちを尾行してくる者がいる。
どう見ても警察関係者ではあったが、尾行の巧みさから、ただの警察官ではないようだった。
上泉は先ほどの、神霊の加護を受けた葉室という男性を思い出した。
まだ穢れていなかったので自我がなく、言葉を操ることもできなかったから、これはただの所感ではあるが、あの能面をつけた神霊は約束によって発生した人造の神霊なのだろう。
特定の人、あるいは家系に恩恵をもたらす存在で害はない。
神威も穏やかそのもの、安らぎを覚える。
しかし、あれ程の形を成し、動きに至るまでには相当に長い年月に渡って磨かれてきた思想、信仰心、そして繰り返されてきた儀式が必要だ。
おそらく、あの葉室という男性はかなり古くから継がれてきた家系の出で、そう考えれば、彼は警察組織の中でもエリートに位置すると推測できる。
つまり、この巧みな尾行は通常の警察官がやっているものではなく、葉室が特別に命じたものと考えられる。
上泉は円を見た。
うつむき、歩く姿が兄の紀人に重なる。
とくに尾行を撒く理由もなかったので、そのまま放置しておいた。
マンションに入り、エレベーターから出た。
大鷲の自宅前に制服の警察官が休めの姿勢で立っていた。
近づいて話を聞くに、大鷲の家族を警護するよう命令されたらしい。
警察官が円に言った。
「ご両親が来られています」
円は驚き、ドアレバーを回した。
錠が掛かっていなかった。
中に入る。
「お父さん! お母さん!」
大鷲兄妹の両親がリビングから出てきた。
母親が円に歩み寄り、抱き締める。
円も強く返した。
上泉は久しぶりの挨拶とお悔やみを述べ早々に立ち去ろうとしたが父親に引き止められた。
奥に上がるよう促され、リビングに通される。
「義道君、紀人と会わせてもらえなかったよ」
父親はソファーに座り、話し始めた。
聞くに、どうやら息子の亡骸に会わせてもらえなかったらしい。
大鷲の死因に不自然な点があるため近くの大学病院に送り、調べていると警察に言われたそうだ。
代わりに血の付いたぼろぼろのスーツなど、いくつかの所持品を見せられたと言う。
話している最中、父親は何度も目頭を押さえたが、涙を零すことはなかった。
その代わり、深く息を吸い込み、弁護士らしく最後まで理路整然とした日本語で淡々と話し続けた。
途中、父親の隣に座っていた母親が顔を伏せ、目から零れた涙を拭きながら立ち上がった。
キッチンに入っていった。
母親は始め毅然としていたが、所持品の話になったところで我慢できなくなったのだろう。
円が母親を追った。
父親の話が終わる。
「なぜ、こんなことに」
「おじさん、心中お察しします。僕にできることがあれば何でも仰ってください」
「ありがとう」
「いいえ。昔からおじさんには父子共々、お世話になっています。力になるのは当然です」
父親はもう一度礼を言うとうつむき、言った。
「紀人は小さい頃からやんちゃで本当に手のかかる子だった。家業を継がないと言ったり、君をイギリスに連れていくと言い出したり、本当にちゃらんぽらんな性格だったが、それでも血を繋いだ我が子。まさか、私よりも先に死ぬとは親不孝にも程がある」
先ほどの淡々とした話し方とは打って変わって感情が込められている。
痛々しかった。
上泉はかける言葉が心に浮かばず沈黙した。
「でも……」
父親が顔を上げた。
儚げに笑う。
「あの子は人生を腐らせることなく真っ当に生きてくれた。それだけは本当によかったと思う。ありがとう、義道君。紀人の友達でいてくれて、ありがとう」
神葬祭の準備、日程について話し合ったあと、上泉は御暇すると告げ、腰を上げた。
キッチンから出てきた母親から一緒に食事でもと誘われたが、やんわりと断った。
上泉は玄関まで見送りに来た円に言った。
「円、僕は少し調べてみようと思う」
「調べる?」
「先輩の身に何が起こったのか。これはただのひき逃げではないような気がする。先輩はまた何か余計なことに首を突っ込んだのではないだろうか」
「だとしたら危ないよ、調べるなんて。あ、そうだ!」
円は不安げな顔を一変させる。
「アーサー叔父様に頼んで、クライヴに来てもらおうよ。クライヴならきっと力になってくれるよ」
「それは駄目だ。彼には騎士としての役目がある」
「でも……」
「心配しなくていい。少し調べてみるだけだ」
円が悲しそうな顔をする。
上泉は聞いた。
「どうした? なぜ、そのような顔をする?」
「義道、何だか留学していたころに戻ったみたい。目がぎらぎらしている。今にもどこか遠いところに行ってしまいそうな……」
「……今日はご両親がいるから大丈夫だとは思うが、もし何かあったら連絡してくれ」
上泉は円に背を向け、外に出た。
早く一人になりたかった。
考えるべきことを一つに絞りたかった。
ドアのそばに立つ警察官が上泉に一瞥をくれた。
上泉がうなずくと警察官も微かにうなずいた。
どうやらこの制服の警察官も、ただの警察官ではないようだ。
両足の置き方に偏りがない。
頭頂部からつま先を貫く正中線も感じる。
「大鷲の家族を頼みます」
上泉が言うと、警察官は敬礼した。