魔物と領域
魔物という言葉が唐突に出てしまっていたので、説明を加えました。
ストーリー自体に変化はありません。
街は細い道や曲がり角が沢山あり迷路のように入り組んでいたが、アドラメレクの先導によって3人は街を出た。
人間で無いアドラメレクは衛兵のいる門から出られないらしく、最後は彼が子供2人を抱えて城壁から飛び降りるという派手なアクションを見せることになった。
自由落下を満喫させられた子供たちの顔色は海よりも青くなっていたが、概ね無事に脱出できたと言えよう。
3日前に王子たちと進んできた丘陵地帯を、謎の生物と少女と少年が歩いている。
街から出るまでにすっかり日が暮れてしまい、明かりを持たない彼らの行く先を照らすのは2つの月のみだ。
アドラメレクは迷いない足取りで先頭を進み、何故か昼のようによく見える視界に戸惑いながらリツコがそれに続く。
リツコに手を引かれた少年には足元すら見えないらしく、時折小石や段差に躓いてよろめいている。
鱗に覆われた足をもつアドラメレクはともかく、靴も無く街の中を走り通したリツコと少年の足は傷だらけだった。
「アドラメレクさん。これからどうするんですか?」
足の痛みを堪えながら、リツコは懸命にアドラメレクの後を追いかける。
「このまま、静寂の森に入ろう」
足を止めてリツコのほうへ向き直り、アドラメレクが答えた。
「静寂の森?」
「うん。街にいると、また捕まっちゃうかも知れないから」
森で死に掛けた思い出が頭を過ぎり、躊躇う彼女にアドラメレクは言う。
「契約したから人の領域でも生きていけるけど、やっぱり僕は魔の領域の方が過ごしやすいし」
アドラメレクの説明に聞きなれない単語が出てきた為、リツコは首を傾げた。
「領域って何ですか?」
学生のように手を上げて質問を投げたリツコに、アドラメレクが目を丸くした。
「え?」
想定外の質問だったのか、間抜けな声を出した彼はそのまま考え込む素振りを見せる。
「うーん。簡単に言うと、縄張りみたいなものかな」
説明が苦手なのか、アドラメレクは悩みながらリツコに説明を始める。
「昔、魔物と人間の間に戦争があってね…」
魔物とはアドラメレクのような、人でない者たちを指す言葉らしい。
アドラメレクの説明は長い上に行きつ戻りつを繰り返し、リツコは非常に理解に苦しんだ。
リツコなりにまとめると、以下のような内容だった。
この世界では昔、人と魔物の間に『100年戦争』と呼ばれる戦争が起こった。
結果としては人間側が勝利し、敗者である魔物は特定の土地から出ることを禁じられた。
人間がかけた呪いによって魔物たちはその土地から出ると著しく力を失い、アドラメレクのように簡単に捕まったり殺されたりしてしまう。
人間の暮らす土地は『人の領域』、魔物の暮らす土地は『魔の領域』と呼ばれているのだという。
説明を終え、再び歩き出したアドラメレクを追いながらリツコは首を傾げた。
「どうしてアドラメレクさんは捕まっていたんですか?」
群がる人間を軽々と投げ飛ばしていた様子から、リツコには彼が捕縛される場面が想像できなかった。
「ちょっと、罠に掛かって領域から出てしまって」
振り返らず、アドラメレクが言い淀む。
詳細を語らないのは、嵌められて悔しいからなのか間抜けな失敗でもしたのか。
「そうですか。では、さっきの街は人の領域ではないんですか?」
本人が話したくないものを穿り返しても仕方ない、とリツコは深く聞かずに次を促す。
「人の領域だよ。だから、身動き取れなくなっちゃったんだ」
アドラメレクの言葉に、リツコは首を傾げる。
「そんな風には見えませんでしたが?」
麻袋を引き裂き、鉄格子すら素手で曲げるような彼の何処に身動きが取れない要素があったというのか。
「それが君と交わした契約の効果だよ」
不思議そうに見上げるリツコを振り返り、アドラメレクが笑った。
「僕が君に力を貸す代わりに、君は僕に人間の領域で活動する許可を与えるんだ」
本当は力を得たい人間が何年も勉強して契約してくれる魔物を召喚するんだよ、とアドラメレクが付け加える。
「へぇー」
魔物、という聞きなれない言葉に違和感を覚えるリツコだったが、実際に目の前に魔物がいれば信じざるを得ない。
魔物を召喚して契約を結ぶ、という一連の流れを聞いた彼女の心に不安が過ぎる。
リツコの記憶の中に、魂と引き換えに悪魔に願いを叶えてもらう契約というものがあった気がした。
「……アドラメレクさん。願いを叶えたら私の魂を奪うとか、そんな話があったりしません、よね?」
恐る恐る尋ねるリツコに、アドラメレクは不思議そうに首を傾げた。
「タマシイ?ナニそれ、食べられる?」
「いえ、何でもありません」
彼には魂の概念が無いらしいと知り、リツコはほっと胸をなでおろした。
「ほら、見えてきたよ」
リツコには他にも聞きたいことがあったが、アドラメレクの言葉に口を噤んだ。
彼女達の前方には、月の光を受けて銀色に輝く不思議な森が広がっていた。
森の中に入ろうと足を踏み出したリツコの左手が、急に後ろへ引っ張られた。
振り返れば、手を繋いでいた少年が不安そうな表情でリツコを見つめている。
少年が暗い森の雰囲気に怯えているのか、魔の領域というものを知っていて竦んでいるのかリツコにはわからない。
影のせいで暗い色になった瞳が、少年の不安を強く訴えている。
「怖いの?」
木立の向こうに見える闇へ踏み込んでいくことに対して、リツコも不安に思う気持ちはある。
人間にさえ裏切られたのだ。
魔物が裏切らないという保証は何処にもない。
森の中へ入ったら、あの鋭い爪で引き裂かれるのではないか。
空腹になった途端に、食べられてしまうのではないか。
魔の領域に入った途端に、捨てられてしまうのではないか。
「どしたの?早くおいでー」
疑惑の念を持って見つめるリツコの内心に気付いていないのか、アドラメレクが暢気な表情で手招きをする。
「いい人っぽいし、大丈夫だと信じよう。ね?」
友好的なアドラメレクの態度を信じることに決めて、リツコは少年に語りかける。
言葉が通じた訳ではない筈だが、少年はリツコの歩調に合わせてのろのろと歩き始めた。
森の中はリツコが考えていたほど暗くなかった。
普通の木々に混ざって存在する金属のような質感の銀色の木が月の光を反射し、森全体に柔らかな光を提供している。
「うひゃっ」
物珍しそうに銀の木を眺めていたリツコは、湿ったものを踏んで思わず飛び上がった。
「……リツコ。静かにして」
森に入ってから急に無口になっていたアドラメレクが、振り返らずにリツコに注意する。
「はい」
どことなく緊張した様子のアドラメレクの言葉に大人しく頷いて、リツコは足元に目を落とす。
硬い地面には、ほんのりと青白い光を放つ苔のようなものが点在して生えていた。
その一部をうっかり踏んでしまったようだ。
苔の淡い光と、きらきら輝く銀の樹木が3人を囲んでいる。
森の中はとても静かで、現実離れした幻想的な美しさに満ちている。
周囲の景色に目を奪われていたリツコは、再び左手を引っ張られて振り返った。
少年が先ほどとは違う何かを訴えて、彼女をじっと見つめている。
「アドラメレクさん」
その場から動こうとしない彼の様子に、リツコは困ったような表情でアドラメレクを呼ぶ。
「休憩しませんか?」
先ほど注意を受けたので、彼女の声は非常に小さい。
「もう疲れたの?」
同じような小声で答え、アドラメレクが首を傾げた。
人買いの小屋を出てから、彼は一度も疲れた様子を見せていない。
リツコも多少疲れを感じるものの、歩き続けることは可能だ。
しかし、やせ細って体力のなさそうな少年には辛いだろう。
「私達はまだ子供ですから、体力が少ないんです」
説明されてもアドラメレクは理解できていない様子だったが、少年の疲弊した様子を見て頷いた。
「地面は危ないから、上にいこうか」
上を指差して言うなり、アドラメレクはするすると木に登っていく。
唐突な行動と、あまりのスピードに口を開けて見上げるリツコと少年。
比較的低い位置にある太い枝に足を絡ませて逆さ吊状態になると、アドラメレクはそのまま2人に手を伸ばした。
「ほら。掴まって」
その手は片手だけでリツコの腰周りを掴んでしまえそうな大きさだ。
恐る恐るリツコが近づくと、両脇をぎゅっと掴まれて上まで引き上げられる。
「ちょっと座ってて」
その声に我に返ったリツコは、自分がアドラメレクの膝の上に乗せられていることに気がついた。
急すぎて状況が把握できず目をぱちくりとさせるリツコを自分の隣に座らせ直して、アドラメレクは再び逆さになって少年に手を伸ばす。
リツコが見ている前で、アドラメレクは少年を掴んだまま勢い良く上体を起こして木の枝に腰掛けた状態になる。
最後に、少年を膝の上に乗せて姿勢を整える。
驚異的な筋力の持ち主である。
リツコと同じように、少年も一瞬の出来事に目を瞬かせている。
「リツコ、ここおいで」
アドラメレクは少年を右膝の上にずらして座らせ、リツコを左膝に乗せる。
子供好きなのか、とリツコがアドラメレクを見上げると彼はその反転した色の目を細めて笑った。
「ぬくぬく」
体温の高い子供は、彼にとって湯たんぽ代わりらしい。
ワンピース一枚のリツコでも寒さを感じていないので、特に気温が低いわけではないのだが。
ぎゅっと抱きしめられて、リツコは困った表情になりながら隣に目を向ける。
少年は真っ青な顔で硬直していた。
彼のふっくらとした頬のラインを、冷や汗が伝い落ちる。
「アドラメレクさん。怖がられてます」
彼が高いところが嫌いなのか、魔物に抱きかかえられて怯えているのかはリツコには判断が着かない。
「えっ、ごめん?」
慌てて手を緩めるアドラメレク。
「そういえば、どうして地面で休憩するのが危険なんですか?」
アドラメレクの膝の上は意外に安定が良く、足の疲れが和らいでいくのを感じながらリツコが尋ねる。
「静寂の森は、地面の下に肉食の魚がいるからね」
肉食の魚が地面の下にいる。
意味が分からずリツコが想像力をフル回転させて唸っていると、微かに足音が聞こえてきた。
ひたり、ひたりと柔らかいものが地面を踏むような音は段々と大きくなっていく。
「何か来ますね」
足元の闇に目を凝らしながら、リツコが呟いた。
若干、ファンタジー風味が濃くなってきたでしょうか?