ドナドナ
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城壁の中には、街が広がっていた。
石やレンガを積んで作られた町並みは異国情緒あふれており、リツコに旅番組などで見るヨーロッパの観光地を思い起こさせた。
城門からまっすぐに伸びる石畳の道の両脇には、色とりどりの商品に彩られた露天が並んでいる。
客を呼ぶ声と店を探す人の波が賑やかで、街の中には城門の前にいたよりもさらに多くの人であふれかえっている。
「わぁ!」
「……」
感動に思わず声を上げたリツコとは対照的に、慣れた様子の王子達は人々の間をすり抜けて進んでいく。
「おっと」
大男の背中から周囲を見渡していたリツコは、余所見が過ぎて落ちそうになる。
反り返ってしまったリツコの背中を魔法使いが支え、大男が彼女を背負いなおした。
「ありがとう」
今度は落ちないようにと大男の上着をしっかりと掴んで、リツコが魔法使いに向かって微笑んだ。
「……」
笑顔を向けられた魔法使いは一瞬息を詰まらせ、リツコから目を逸らした。
まるでリツコの視線から逃げるように彼は顔を伏せる。
「?」
その態度の意味するところが分からず、きょとんとした表情を浮かべるリツコ。
魔法使いが顔を俯けたまま何か言うと、王子が険しい表情で答えた。
その場で立ち止まってしまった魔法使いに王子は溜息をつき、一転して宥めるような声を出して大通りの奥を指差した。
何かを躊躇っていた様子の魔法使いは、暫くしてリツコたちに背を向けて指差された方へと歩いていった。
相変わらず足を引きずりながら去っていくその背中は、何か重いものを背負っているかのように小さく丸まっていた。
「どうしたの?仲間割れ?」
戸惑いながらリツコが王子を見つめると、彼は舌打ちをして目を逸らした。
背負われているリツコからは大男の表情は見えない。
やっと助けてくれる人に出会えた。
そう安心していたリツコの心に、得体の知れない不安が芽生えた。
王子たちが角を曲がるたびに、リツコの瞳に映る人の姿が消えていった。
残った数少ない人の姿も、大通りに居た人々とはうって変わってがりがりに痩せ細ったみすぼらしい身なりへと変化している。
地面に力なく座り込んだ物乞いのような者もちらほらと見受けられる。
スラム街というのはこんな感じだろうか、とリツコに見たこともない外国の風景を思い起こさせた。
いかにも真っ当な職業についていなさそうな男や扇情的な衣服に身を包んだ女達が道の脇に立っている、治安の良くなさそうな一角。
薄汚れた布で出来た大きなテント小屋の前で王子達は足を止めた。
小屋の中からは、微かにうめき声のようなものが聞こえている。
「!」
怖くなったリツコが大男の背中にしがみ付くと、彼は戸惑ったように声を上げた。
2人はすぐにテント小屋には入らず、話し合っていた。
どちらの声にも張りがなく、何処と無く投げやりな雰囲気がある。
それはまるでテント小屋に入るのを渋って、時間稼ぎをしているようだった。
「……!」
やがて、意を決したように彼らはテント小屋へ足を踏み入れた。
中に入って周囲を見渡したリツコは、この場所が何なのか想像がついてしまった。
薄暗い室内には、動物園にあるような大きな檻がいくつも並んでいる。
しかし、動物園とは違って冷たい鉄色の檻の中に入っていたのは人間だ。
薄汚れたぼろ布のような服を纏った彼らは、空ろな瞳で虚空を見つめている。
檻の前に立っていた木製の棍棒を持った厳つい男たちが、警戒の目を来訪者たちに向ける。
小屋の中央にはカウンターと思われる台があり、胡散臭そうな男が値踏みするような目でリツコたちを見ている。
「人を、売ってる……?」
まるで商品を陳列するように並べられている人の檻。
カウンターにいた男に話しかけられた王子が、リツコを指差しながら答えている。
「うそ、嘘でしょ?」
王子たちにこんな場所に連れてこられた理由を、彼女は一つしか思い浮かべることが出来なかった。
日本で生きてきた彼女にとっては虚構の世界の存在だった<奴隷商人>という言葉がリツコの頭を過ぎる。
「私、売られちゃうの?」
答えが返ってくるはずも無いと分かっていながら、リツコは問わずにいられなかった。
「ねえ。どうして!」
焦れたリツコが大男の背中を叩くと、彼は無言で項垂れた。
大男の背中から逃れようと暴れるリツコを、檻の前にいた男の1人が掴み上げた。
店主と思われるカウンターの男が立ち上がり、リツコの頭から足までをじっくり観察する。
その無機質な瞳から逃れようにも掴んでいる男の手はがっちりと安定しており、6歳児が暴れたくらいでは微塵も揺らぐ様子はなかった。
店主はリツコに向かって何か問いかけるように話しかけた。
「何よ。分かる言葉で話しなさいよ!」
恐怖に震える声で叫んだリツコに肩を竦め、店主は王子に向き直る。
値段交渉でもしているのか、王子と店主はカウンターに戻って話しこんでいた。
あまりに現実味の無い事態に放心していたリツコは、金属の擦れるような音を聞いてカウンターへ目を向ける。
王子が店主から重そうな皮袋を受け取っている。
大男がリツコの方を泣きそうな顔で見ているのに対し、王子は頑なにリツコを見ようとはしない。
彼らが今どのような感情を抱いていようとも、リツコにとってはどうでもいいことだった。
彼らはリツコを売った。
その事実に、リツコの顔が苦々しく歪む。
「死んでしまえ、この外道!」
小屋から去っていく2人の背中に向かって呪いの言葉を吐きかけたリツコだったが、それは何の状況打破にもならなかった。
肌に触れる冷たい鉄格子。
リツコは薄汚れたワンピースのまま、同じような年頃の少女たちが纏められている檻に入れられた。
薄暗く淀んだ空気の溜まったテント小屋には汗と埃の匂いが充満しており、リツコは息を吸うだけで不快な気分になった。
夜になって出された食事は、カビ臭いパンとお湯のようなスープだけ。
「商品管理がなってないわよ……」
パンを一口齧って吐き気を催したリツコはそれを食べることを諦め、味のないスープを飲み干して力なく呟いた。
時折どこかの檻からすすり泣く声が聞こえ、昼まで元気だったリツコの心から明るさを吸い取っていく。
リツコと同じ檻には他に3人の少女がいたが、お互いに何かを話すことも無く放心している。
彼女たちにリツコの言葉が通じないのは、昼間の間に確認済みだ。
「どうなるんだろう、私」
人を売る人間がいるということは、それを買う人間がいるということだ。
買われたらどうなるのだろうか、とリツコは思案を巡らせる。
売春させられたりするのか、武器の試し切りにつかわれてしまうのか、死ぬまで強制労働させられるのか。
何一つ愉快な状況が思い浮かばず、リツコは膝を抱えて蹲った。
「家に帰りたいな」
温かいご飯とベッドのある、1Kのアパート。
実家に帰れば、リツコを迎えてくれる両親がいる。
「この際、会社でもいいかも」
嫌な上司に叱られてばかりの職場だったが、檻の中よりはずっと快適で自由だった。
そんなことをどれだけ思っても詮のないことだ。
この世界から任意で抜け出せないことを、リツコは森の中で散々彷徨ううちに思い知らされていた。
つまり、今のリツコはこれが夢だろうと死後だろうと現実として受け止める他なかった。
ドナドナドーナドーナー 子牛を乗せてー