理由
この物語は完全にフィクションですが、人によっては内容に不快感を抱かれる可能性がございます。ご注意下さい。
「リツコと会う前、僕は父さんと暮らしてたんだ。
父さんは一日中家にいたよ。
毎日お酒を飲んで、酔っぱらって僕を打った。
僕の目が母さんと同じ色だから、気に入らないんだって。
母さんはそれを止めなかったのって?
母さんはいなかったよ。
父さんの口から時々母さんの話が出たけど、詳しく聞こうとすると怒鳴られたから良く知らない。
僕が知ってるのは、母さんの目が緑だったってこととある日突然いなくなったって事だけ。
お金はなかった。
物乞いもしたけど、もらったお金は全部父さんに取られた。
だから、お金より食べ物をもらえる時のほうが良かったなぁ。
その場で食べちゃえば、父さんに取られなくて済むからね。
僕がお金をあげても、父さんは僕に何もくれなかった。
お腹が空いても、アドみたいに食べ物をとってきてはくれなかったよ。
だから、物乞いで食べ物を恵んでもらえない時はゴミ箱から食べられる物を探して食べた。
誰かに見つかると、すぐに追い払われてしまうから何にも食べられない日もあった。
偶に神殿で炊き出しがあると、ちょっと美味しいものが食べられたよ。
神殿の人の、屋根のある家に住めて親がいることの幸せを神様に感謝しましょうって言葉は嫌いだったけど。
文句を言うと、怖い魔物や魔女が僕をさらって食べちゃうんだってさ。
魔物のアドや魔女のリツと一緒にいた方が僕は幸せだから、神殿の人は嘘吐きだよね。
偶に父さんの知り合いっていう奴が家に来たよ。
機嫌のいい時はうるさいだけなんだけど、機嫌の悪い時は最悪だった。
皆して僕に嫌なことを言うんだ。
『子供らしく』素直にいうことを聞いて、ニコニコしてないと殴るんだ。
酷い時なんか、翌日全く動けないくらい打たれたときもあったよ。
あと、お金を返せって怒鳴り込んでくる奴も居た。
そういう奴が来たときは、父さんは裏の窓から逃げちゃうんだ。
僕は背が届かなくて上手に逃げられないから、父さんの代わりに怒鳴られなくっちゃいけない。
そいつらは何度か来て、最後に僕を捕まえて人買いのテントへ連れて行ったよ。
そういう嫌な奴はみーんな人間で、男だったよ。
嘘吐きで、大酒のみで、嫌な奴ら!
そんなのばっかりだから、あの冒険者の奴もダメだよ。
すぐに追い出そう。
リツが嫌なことされちゃう前に、ね」
エヴァンの話を聞き終わった時、リツコの心にあったのは戸惑いだった。
彼女にとってそれはまるで遠いおとぎ話のように現実感が無く、また受け入れ難い。
もちろんリツコだって、ニュースで児童虐待については何度も聞いたことがある。
耳に入る度、映像を見る度に可哀想だと眉を顰めたり、許せないと憤ったりしたものだ。
虐待のニュースに腹を立てることができる程度には善良なリツコには、子供に対してそんな仕打ちが出来る大人がいることが信じられなかった。
「それは……」
虐待を受けたことの無い彼女はまた、泣いたり怒ったりせずに淡々と話し終えたエヴァンに掛ける言葉も思いつかない。
「……辛かったね」
気の利いた言葉が出てこなかった為、リツコは月並みな台詞を口にした。
「ごめんね。そんな事情を知らずに、強引にデレクを連れてきてしまって。怖かったね」
事情を知りもせず、またここに至るまで尋ねることもしなかった己の情けなさにリツコの胸が痛んだ。
「エヴァン。貴方が周りに酷いことをいっぱいされて辛い人生を送ってきたことは可哀想だと思うし、私だってその人達を許せないと思う。でもね、貴方に酷いことをした相手はお父さんやその知り合いの男の人でしょう。デレクじゃないわ」
自分とリツコの身を守るため。エヴァンの行動の背景と動機を知ってしまえば責め辛いが、それでもリツコは言わねばならない。
「リツを捕まえようとしたよ」
抗議をするエヴァンの手をとって、リツコは傷つけないように気を付けながら少しだけ強く握った。
「そうね。捕まえた後に彼らがどうするつもりだったのか、私は知らない。保護するつもりだったかも知れないし、殺すつもりだったのかもしれない。けれども、結果として私は何もされていない」
いい、エヴァン。とリツコは続けた。
「デレクはここへ来てから、ずっと怯えていたのよ。それ以外の感情を抱く余裕は無かった。こちらから攻撃してしまえば、彼は私たちに悪意を抱いてしまう。危険を自分で呼び込むことになるのよ」
少し眉を顰めたエヴァンの顔は、完全に納得した雰囲気ではない。
「考えてみて。もしも、私が狼たちとの交渉に失敗して死んでいたら。デレクたちに捕まって傷つけられたら、エヴァンはどう思うの?」
リツコが言い終える前に、エヴァンは顔色を変えた。
「やだ。リツが死んじゃったら、嫌だ!」
「貴方がデレクにしようとしたことは、そういうことでしょう?彼にも仲間がいて、家族もいる。居なくなったら悲しむ人がいるのよ!」
リツコの強い口調に、エヴァンが息を呑んだ。
「残された人達は、悲しんで、悲しんで……きっと怒るわ。殺した人に復讐をしたいと思うようになる。デレクを大切に思う人が今度は復讐の為に私たちを殺しに来るのよ」
もちろんリツコたちも死にたくはない。黙って復讐される訳にはいかないから、攻撃するだろう。
撃退できたとしても、リツコたちに傷つけられた人々を大切に思う人がまた復讐に来る。
繰り返せば復讐者はどんどん増えていき、何れは生きることすら困難になっていく。
「周りの人が全部敵だなんて悲しいじゃない。だから、私はデレクと仲良くなりたかったの。友達に酷いことをしようなんて人は滅多にいないし、私達が居なくなったら嫌だって思ってもらえる。お互い悪いことは何もないでしょう?」
欲を言えばデレクが街へ戻った際に沈黙の森の魔女は人間に友好的で危険は無いと報告してくれれば万々歳だったのだが、それはもう望めないだろう。
今後デレクをどうするかといえば、仲間の2人が助けに来た際に人質にして逃げるぐらいしか思いつかない。
敵意と情報を持たせたまま帰す訳にはいかず、さりとて殺す訳にもいかない。
子供だから、難しい話は分からないだろうから、とエヴァンに対して心の内を打ち明けてこなかったツケがここになって深刻な事態となっている。
エヴァンはちゃんと、子ども扱いしないで欲しいと何度も訴えてきていたというのに。
困ったリツコが次善の策を考えて頭をフル回転させていると、黙って俯いていたエヴァンがゆっくりと顔を上げた。
「……わかった。僕、謝ってくる」
決意を込めて放たれたそれは素直に謝れる子に育ったという意味では非常に喜ばしい言葉だが、今のリツコには賛同し辛い言葉でもあった。
エヴァンの話を聞いて許してあげたいと思えるのは彼女が第三者だからだ。
散々恐怖を与えられた挙句に命まで奪われかけたデレクに対して、エヴァンにもこんな理由があったのだから許してやって欲しいなどとどの面下げて言えるというのか。
「私も一緒に行くわ」
なにかあったら自分が盾になろうとするリツコの申し出を、エヴァンは首を振って辞退した。
「リツが来たら、アイツが怖がるから駄目だよ。僕は父さんが謝っても許さないし絶対に仕返ししてやるって思ってる。だからアイツに仕返しされるのはリツじゃないよ。僕だ」
僕は1人で謝らないとダメなんだ。決意を固めるように宣言したエヴァンに、リツコは何も言えなかった。
大きく深呼吸をした彼の体は少し震えていたが、抑え込むようにぐっと拳を握りしめて立ち上がった。
心配そうな表情のリツコを見てちょっとだけ甘えたそうに口を開きかけたエヴァンはしかし、振り切る様に背を向けてデレクが居るほうへ向かって走り出した。
足音と縄梯子が揺れる音が消え、微かに聞こえる人の声。
高性能なリツコの耳でも、森の音に混ざり込んだその音から会話の内容を拾うことは出来ない。
梯子の下まで移動すれば聞き取ることは出来るが、それではまるでリツコがエヴァンのことを信頼していないと言っているようなものではないか。
不安と焦燥にかられ、立ったり座ったりを繰り返す。
耳をそばだてても状況は全く把握できない。
他のことをして待とうにも、何をすればいいかすら思い浮かばない。
リツコがただひたすらにやきもきしながら待っていると、日が傾く頃になってようやく縄梯子が軋む音が聞こえてきた。
薄闇に包まれた森に目を凝らせば、小さな影が額を摩りながらこちらへ向かって来るのが見えた。
「エヴァン!」
リツコが駆け寄ると、緊張が解けたのかエヴァンがへにゃりと相好を崩した。
「許してくれるって」
額が少し赤いが、彼には特に怪我らしいものは無い。
エヴァンの全身を隈なく確認し終えたリツコは、高鳴りっぱなしだった胸を押さえてへたり込んだ。
架空の人物の設定だけの話ではありますが、虐待について軽々しく書かれることを不快に思われた方がいたら申し訳ありません。
次回以降はもうちょっと気楽な明るい話になればいいなぁとは思っています。




