沈黙の森サスペンス劇場
鼻を擽る香ばしい香り。
温かな煙と共に立ち上るそれに、目の前の獣はしきりに鼻を動かしている。
『もうすぐ焼けますよ』
焚火の上でジュウジュウと音を立てている肉を観察しながら、リツコが告げる。
鹿肉から滴る油と同じ位、沢山の涎を垂らしていた獣ことチャッティはその言葉に尾を振った。
元々生食しているのだから、これでいいだろうと表面に軽く焦げ目がついたところでリツコは肉の刺さった棒を火から遠ざけた。
『はい。どうぞ』
ナイフで適当な大きさに切り、皿の代わりの木の葉に盛り付けてやればチャッティは満足げに喉を鳴らした。
『よっしゃっ。頂きます!』
勢いよく肉に飛びついた彼は、大きく後ろに跳ねた後前脚で鼻面を擦り始めた。
『気を付けないと火傷しますよ?』
『そういう事は早く言えよ!』
抗議の鳴き声を上げるチャッティに、リツコは肩を竦めて自分の分に塩を振る。
『焼いたばかりなんですから当たり前でしょう』
串に通した小さなその肉の切れ端はあっという間に焼けて、美味しそうな香りと湯気を立ち上らせている。
チャッティが焼いて欲しいと持ってきた肉をほんの少しばかり拝借して作った、食前のおやつである。
『うーん……ちょっと臭みが強いかなぁ』
品種改良された食用の家畜のものと違って、森で獲れる肉はそのままでは硬くて臭みが強い。
そういうものだと思って割り切ってしまえば我慢もできるが、料理人がいる贅沢に慣れ始めてしまった今はどうしても気になってしまう。
『なんか変な感じだな。パサパサする。人間はこういうのが好きなのか?』
冷めるまで待って、今度は慎重齧りついたチャッティが口の端を舐めながら感想を述べた。
『好き嫌いというよりは、人間は生肉を食べるとお腹を壊してしまうんです』
納得できないのか、しきりに首を傾げるチャッティにリツコはニュースなどで聞きかじった寄生虫の話をする。
『何で腹を壊すようなものを食うんだ?』
『火を通せば大丈夫になるからです。人間は色々工夫して食べ物を増やしているんですよ。ほら、チャッティ達だって獲物が獲れないときにお肉の代わりに食べられる物があれば飢えなくて済むでしょう?』
生存本能に絡めた説明をすれば、チャッティは成る程といった様に頷いた。
『面白いな、人間は』
しばらくそうやって調理について質問していた彼は、ある程度の知識を得て満足したようだった。
『では、戻りましょうか。美味しいお昼ご飯が待っています』
デレクの作ってくれる料理は、リツコにとって生命維持に加えて娯楽の目的も兼ねている。
『俺の分は無いのか?』
期待を込めて見上げるチャッティに、リツコは首を振った。
『人間の食事はチャッティ達には味が濃すぎると思いますよ。体に良くないです』
ペットを飼っていなかったリツコは詳しくないが、動物に人間の食べ物をそのまま与えるのは推奨されなかった筈である。
魔物と普通の動物は同一ではない為確証があるわけではないが、生態が違う生き物にお勧め出来るものではないだろう。
『?』
火の始末を始めたリツコの耳に騒々しい悲鳴が届いた。
『またアイツじゃないのか?』
ピンと耳を立てていたチャッティが、人間の声であることに気づいてリツコを見上げる。
『……行きましょうか』
デレクが梯子を踏み外してからここ数日、何事もなく平穏な日が続いていたのだがどうやら嵐の前の静けさだったようだ。
平和だった反動で大怪我をしていませんように、と心の中で祈りながら彼女は立ち上がった。
それを目撃したリツコの心中は酷く複雑であった。
命に関わるような事故を起こす度に助けてもらった為か、デレクは最初ほどリツコやアドラメレクに怯えなくなっていた。
慣れてきたためか、アドラメレクも彼の料理の見張りをするようになった。
食事時に一緒に食べはしないものの、作っている最中は時々つまみ食いをするらしい。
そして、本日は珍しくエヴァンが自分から料理を監視すると言い出した。
これは非常に良い流れだと、リツコは喜んでいたのだが……。
「どういう、ことなんでしょうか」
戸惑うリツコの瞳に映るのは、下草の上に点々と飛び散った赤い滴。
その上で仰向けに倒れているエヴァンと、馬乗りになって彼を押さえつけているデレクが居た。
「助けてっ」
立ち尽くすリツコに向かって、エヴァンが高い声で叫ぶ。
その声に驚いたデレクが立ち上がり、彼女に気づいて数歩後退りした。
「リツ、あいつが僕を刺したんだ。僕、何も悪いことしてないのにっ」
2人の間に割って入るようにして駆け寄ったリツコに、エヴァンは泣きながら縋りついた。
彼の衣服の左肩には大きな赤い染みがあり、それはみるみる間に範囲を広げて袖を重く濡らしていく。
「大変っ、急いで手当てを……」
助力を求めて顔を上げたリツコの前には、ただ茫然と立ち尽くしているデレクの姿があった。
その手に握られていたのは、僅かだが確かに刃先に血のついた包丁。
「ち、違うんです!その子が、その子が自分で刺したんです」
弁解するように首を振って否定しながらも、その言葉がいかに説得力に欠けているのかに気づいているのだろう。
デレクの声は力なく萎み、語尾は殆ど消えてしまっている。
「……デレクさん、包帯と薬を取ってきて下さい」
少し躊躇しながらも、リツコはそう指示を出した。
エヴァンの言を信じるならば容疑者であるデレクを行かせるのは良い判断ではないが、この場からリツコが居なくなるのが最も危険だ。
「早く!」
エヴァンの傷を抑えながら、リツコが叫ぶ。
「は、はい」
今にも倒れそうな酷い顔色をしていたデレクだったが、直ぐに踵を返して走って行った。
彼が握ったままの包丁が気になったが、リツコは自分に出来ることを優先する。
エヴァンの上体を少しだけ起こして自分の膝に乗せ、布を使って肩の傷口を圧迫する。
幸いそれほど深い傷では無かったようで、徐々に出血は少なくなった。
料理の途中だった調理場には、煮沸したお湯がたっぷりとある。熱湯消毒した布で傷の周りを拭いていると、足音が近づいてきた。
デレクが戻ってきたのかと振り返れば、リツコの背後に立っていたのは薬と包帯を抱えたアドラメレクだ。
「傷薬が必要なんでしょ。これでいい?」
そう言って彼が差し出したのは、以前にリツコが魔法をかけた薬の残り。
「ありがとうございます。エヴァン。ちょっと沁みるけど、我慢してね」
「……うん」
受け取った薬をエヴァンに塗りながら、デレクはどうしたのかとリツコは首を傾げる。
「刃物を抱えたまま転んで自分を刺しそうになってたよ。危なかったから置いてきた」
彼女の疑問を察したのか、アドラメレクが先回りして説明してくれる。
「そ、そうですか」
すっかり血の止まった傷口を拭いて清め、服とすれ合わないように包帯を巻いていたリツコは包丁を取り上げておくべきだったと後悔する。
「……逃げなかったんですね」
手当てが終わるなり抱きついてきたエヴァンの頭を撫でながら、リツコは眉を顰めた。
エヴァンを刺したのがデレクだったのならば、その後の追及を逃れる絶好のチャンスだった筈だ。
彼が刺したのではない場合、エヴァンの怪我が自傷行為の結果ということになる。
どちらの言い分が正しいのか、もし嘘をついているのならばその理由は何なのか。
少し落ち着いたら、双方から話を聞かなくてはならない。
もやもやと濃い霧が立ち込めているようなすっきりとしない心を抱えながら、リツコはため息をついた。
平穏な沈黙の森の日常を震わす大事件。
被害者と容疑者の間で矛盾する証言。そんな中、凶器によって更なる被害者が!?
主人公の前に横たわる蓑虫とは。目撃者が語る意外な真相。
そして明らかになる犯人の過去。
主人公は見事真実を解き明かし、日常を取り戻すことができるのか!?
なんちゃってサスペンス風次回予告。
一度やってみたかっただけで、ここから推理小説にはなりません。ご了承ください。




