ドジっ子も過ぎれば要介護
投稿遅くなりまして、申し訳ありません。
ある日の朝。
温暖な気候の沈黙の森でも、陽光が差す前は空気が冷えていて少しばかり肌寒い。
「慣れたとはいえ、やっぱりベッドが恋しいなぁ……」
毛布を重ねて作った敷布団を挟んでいても、凹凸のある硬い床で寝ていた体は少し強張っている。
半身を起こしてリツコは大きく伸びをする。その姿勢のまま左右を見れば、両隣には乱れた毛布だけが転がっている。
室内を見渡してみても、リツコ以外は誰もいないようだった。
このところ必ず傍に誰かが居る生活だった為、彼女の心に僅かばかりの寂しさが湧き上がる。
食料調達などで度々姿を消すアドラメレクはともかく、デレクとエヴァンは何処にいったのだろうか。そう疑問を感じたところで激しい水の音が耳に入る。
「?」
音の出所に見当をつけ、リツコは馴染んだ縄梯子を滑るようにして地面に降り立った。
「……大丈夫ですか?」
泉の近くでデレクを発見し、リツコは戸惑いながら声をかける。
彼は頭のてっぺんからつま先までずぶ濡れになっており、泉に落ちたとしか思えない姿である。
「はいっ」
すっかり重くなった服の裾を絞っていたデレクがリツコに気づいて顔を上げると、長い前髪が揺れて大量に水が滴った。
彼の背後の水面には鍋が浮いており、それで水を汲もうとして足を滑らせたのだろうと推測できる。
「重いのなら言ってくだされば手伝いますよ」
幸い手足の短いリツコでも届く範囲だった為、腕を伸ばして鍋を拾い上げる。
ついでにたっぷりと水を汲んだが、元々携帯用に作られたている鍋は小ぶりで中身が入っていたとしても大した重量には思えなかった。
「い、いえ。重かったわけではっ、くしゅっ」
慌ててリツコから鍋を受け取ろうとしたデレクは、自らのくしゃみで行動を中断された。
その動作に合わせて勢いよく飛び散った水が、リツコの服や肌の上で水玉模様を作った。
「冷たっ。風邪をひく前に着替えてきた方がいいですよ。あっちに洗濯済みの服があるので、適当にサイズの合うものを使ってください。朝ご飯の用意は私がします」
「お洋服を濡らしてしまって、くしゅっ。申し訳、くしゅっ」
くしゃみを繰り返す間に、微かに震えるデレクの唇が紫色に変わり始めている。
「怒ってませんから。寝込まれたら困るんで、早く着替えてください!」
リツコは謝罪モードに入っているデレクの背中を押し、強引に着替えに行かせる。
朝から強烈な疲労感に襲われつつ、彼女は食事の支度をすべく竈に足を向けた。
またとある日の昼。
沸かした湯に水を足し、丁度いい温度に調節する。たっぷりと出来た人肌のそれに、タオル状に切った布を放り込む。
軽く絞って、自分の体を丹念に拭いていく。
朝に比べて昼間は暖かい為、服を脱いでいても風邪をひく心配はない。
『本当は湯舟に浸かりたいんですけどね』
ぼやくリツコの隣では、すっかりおなじみとなった子蜘蛛が全身の毛を撫でて掃除をしている。
『まあ、贅沢ですよね』
お湯の一部を別の器に移し、顔と髪を洗う。
以前にジャネットに教わって作った野草を原料にした石鹸を使えば、泡立ちは良く無いもののそれなりにさっぱりとした気分を得ることができる。
しっかり髪を拭いて、新しい服に着替えたら終了である。
『あー、気持ちよかった』
「キィ」
満足気に笑ったリツコの隣では、子蜘蛛が短く鳴き声を上げている。
『そういえば、貴方にも呼び名がないと不便ですね。女の子なんでしょうか?』
見た目で蜘蛛の性別など判別できる訳もなく、リツコは首を傾げる。
まだ言葉を話せない子蜘蛛が細かく前肢を動かしているが、リツコではその動きが肯定なのか否定なのかを判断し辛い。
『うーん。小さいから、チビちゃんとか?』
「ギッ」
今まで聞いたことの無い妙な鳴き声に、リツコは眉根を寄せる。
『嫌なんですか?そうですねぇ……』
よくよく考えなくとも、成長した後を考えればチビではおかしいだろう。
反省したリツコが真剣に悩んでいると、金属のぶつかり合う甲高い音が辺りに響いた。
まるで積み上がった金物が雪崩打つようなその音に、リツコは感度の良すぎる自分の耳を両手で塞ぐ。
頭が痛くなるような音は直ぐに収まり、後には静寂が残される。
「……?」
鉄筋を積んだ工事現場でもあるまいし何がそんな音を立てるのかとしばらく考え、拾った武器を積み上げてあったことに思い至る。
金属で出来た武器類は重く、その中には鞘の無い刃物も混ざっていた筈だ。リツコは慌てて現場へ走る。
崩れ落ちて散らかった凶器の山。
その前にリツコが心配した子供たちの姿は無かったが、代わりに変わった組み合わせを目撃した。
「なにしてるの?」
呆れたようなアドラメレクと、彼に首根っこを掴まれて子猫のように吊り上げられたデレクである。
デレクの足の真下には、鋭い刃がむき出しになった剣が突き刺さっていた。
「串刺しになりたいなら止めはしないけど、後始末が大変だから他所でやって欲しいなぁ」
目を白黒させつつ口をぱくつかせているデレクにそう言って、アドラメレクは手を放す。
「痛っ」
不意に落とされて尻もちをついたデレクが顔を歪めている間に、アドラメレクはさっさと立ち去ってしまった。
そこだけしか見ていないリツコには推測するしかないが、アドラメレクがデレクを助けたように見える。意外に思いながら、彼女は尻を摩っているデレクの元へと歩み寄る。
「大丈夫ですか?」
リツコが声をかけると、彼は顔を上げた。
「は、はい。大丈夫です」
その顔が青いのは崩れてきた凶器の為か、アドラメレクの為か。
「こんなところで何をしてたんですか。武器が欲しかったんですか?」
質問を投げかけながら、彼の所持品を取り上げたままだったことに気付く。探しに来たのだろうか。
「そ、そんな、武器なんか要りません。反抗しようなんて、全く思ってません!」
必死で否定する彼に、リツコは一瞬あっけにとられた後に宥めにかかる。
リツコ達と戦う気が無いことと、その為の武器を求めていた訳では無いという内容の話を聞いて、成る程そういう解釈があるのかと彼女は内心で感心する。
疑うべき人物から言われて初めて気づくなんて少し危機感が足りないのかもしれない、と自省して改めて状況把握に努める。
「では、どうしてここに?適当に積んであったから、危ないのは見て分かるでしょうに」
何かに使うこともあるだろうと集めた武器類は最初は崩れないように丁寧に積んでいたが、途中から面倒になって投げるように積み上げた為にかなり不安定であった。
更に武器だけでなく、拾ったものの使えなかった物も加わっていて混沌としている。
申し訳程度に掛けられた雨除けの布だけが辛うじてゴミよりはまし、という見た目を作っている。
「子供がいたんです。あの、金髪の。危ないと思ったので、声をかけようとここへ来たのですが」
いざ近づいてみれば子供はおらず、突然武器の山が崩れてきたのだと彼は語った。
「子供って、エヴァンですか?ここには寄らないように言っていた筈なんですが……」
デレクのいうことが本当ならば、危険である。エヴァンを含めた子供たちにもう一度注意喚起をしておこうとリツコは心のメモに書き留める。
「あれ。なんでアドはここに居たんだろう」
遺品回収を始めた当初は何に使うか話し合ったこともあったが、ここ最近は武器の話などしていない。
そもそも人間用に作られた道具はアドラメレクの手には使いづらいようで、特に用途の限定される武器類に対しては殆ど興味を示していなかった。
やはりデレクを警戒しているのだろうか、とリツコは眉根を寄せる。
「まあ、でも全く興味を持たないよりはいいかなぁ……」
監視の意味であっても、見ていることによって敵意が無いことを知ってくれるだろう。
そう前向きに考えつつ、リツコは不安気な表情のデレクの肩を叩いて励ました。
また別の日の朝。
爽やかな朝の空気を引き裂いたのは、本日2度目の悲鳴。
寝起きの悲鳴は既にアラーム代わりと割り切っているが、不意打ちには驚く。手櫛で髪を整えていたリツコは、何事かと振り返る。
視線の先では、巣の出入り口にかかった縄梯子が揺れていた。
先程までそこにデレクが居て、下に降りようとしていた筈だ。梯子は人の体重を支えているとは思えない、軽い音を立てて揺れている。
「まさか……」
この高さから落ちたのだろうか。
スプラッターな想像をしかけたリツコは頭を振ってそれを振り払い、恐る恐る穴の淵に手をかけて下を覗く。
そこには、両足首を掴まれて逆さ吊りになっているデレクの姿があった。
「……あ、りが、とうござい、ます」
指先が地面を触るか触らないかの位置で自由落下を強制的に止められたデレクの声は、恐怖と混乱の為に掠れている。
「感謝するより、もうちょっと気を付けてくれないかなぁ。君、子供より手がかかるってどういうことなの?」
彼を掴んでいるアドラメレクが、あきれ果てたといった様子で口をへの字に曲げている。
何かが気になったのか、アドラメレクは掴んでいたデレクの左足を放して右足の靴の裏を引き寄せてまじまじと観察し始めた。
かと思えば急に手を離され、対応出来なかったデレクは顔から地面に落ちる。
「自分で解決できないならリツコを頼るべきだと思うなぁ。君の味方は彼女だけなんだから」
両手で顔を覆って悶絶するデレクを見下ろして、アドラメレクは肩を竦めた。
「解決って、何のことでしょうか?」
2人のやり取りがよく分からず頭に疑問符を浮かべたリツコの肩に、急に重みが乗っかる。
「リツ、何してるの?」
「デレクさんが足を踏み外してしまったようです。アドのお陰で大事にはなりませんでしたが……」
少し眠たげなエヴァンの声に、リツコは振り向くことなく返す。
「へぇ。落ちたんだ」
その言葉の後小さく付け足された呟きに、思わずリツコは体を捻ってエヴァンを凝視してしまう。
「どうしたの?」
綺麗な新緑の瞳はぱちくりと、不思議そうに彼女を見返している。
「い、いえ。何でもないです」
聞き間違いだったのだろうか、とリツコは内心の動揺を両手を振って誤魔化す。
首を傾げているエヴァンに笑顔を向け、下の2人に声をかけようとした彼女は自身の左手がべたついていることに気がついた。
「あれ?」
手を近づけたり匂いを嗅いでみたりして、粘性のあるそれが油によく似ていると思い当る。
深く考察する前に視線を感じて目を落とせば、アドラメレクがいつの間にか彼女たちのほうを見上げていた。
酷く不快そうなその表情は獲物を狙う獣にもよく似て、リツコの心臓が大きく鳴った。
「……降りて来なよ。朝ご飯取ってきたからさ」
にんまりと笑ったその顔はいつもと同じに見えるが、ほんの一瞬垣間見えた不穏な様子にリツコの胸はまだ落ち着かない。
「はーい。行きましょう、エヴァン」
振り返った先で頷く少年の微笑に、リツコは先程耳にした呟きを思い出して顔を曇らせる。
平穏な暮らしが崩れていくような、酷く嫌な予感を覚えていた。
死ねば良かったのに。彼の口から漏れた呟きは、確かにそう聞こえたのだ。
ドジっ子というと可愛いモノだというイメージがありますが、それが可愛い女の子で無い場合はどのような評価が下されるのでしょうか。




