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スタコラ逃げろ!

 走る、走る。大地を踏みしめる足の回転に合わせて、森の景色が後方へ流れていく。

 この世界で目覚めてから随分と伸びてしまった黒い髪を靡かせながら、リツコは全力で駆けている。

 未だ足に絡みついたままの魔法の鎖のせいでバランスを取り辛くいつもの獣染みた速度は出せていないものの、追手が人間である今は十分である。

『鬼さんこちら、手の鳴る方へ』

 時折大きな声で歌いながら、彼女は木々の間をジグザグと縫うように進む。

 魔石入りの袋で片手が塞がっている為に手は鳴らしていないが、どうせ追跡者達に日本語は通じないので気にはしない。

 宣戦布告と言いながら即座に背を向けたリツコの変わり身の早さに反応の遅れた冒険者たちは、手にした武器が役に立たない程度に引き離されている。

 不安要素があるとすれば、彼らの足音はおろか立てる音が一切しない事である。

「そろそろ諦めませんかー?」

 大きな声で呼びかけながら肩越しに振り返れば、フレッドを先頭に追ってくる3人の姿が目に入る。

 音を立て続ければ魔物に襲われる危険を考えて諦めるだろう、と高を括っていたリツコは予想外の長い鬼ごっこにそろそろ嫌気がさしていた。

 太い木の根を飛び越え、近くの茂みへ身を潜める。

 乱れた息を整えながら耳を澄ませると、地下から僅かに音がしているようだが上がってくる気配はない。

 急激に数を減らして、大魚たちも地上に天敵が出現したことに気付いたのだろう。ここ最近は大きな声等の故意に立てる音への反応は鈍くなっている。

『どの音に反応して襲ってくるのか分かり辛くなったという点では、ちょっと厄介なんですけどね』

 しかし、声に反応しないことは今のリツコには好都合である。

 そのまましばらく周囲を観察し、草むらの奥に瞬く黄金色の光を見つけ口元を綻ばせる。

『狩場まで来てもらいましょうかね』

 呟き、目標を見失って周囲を警戒する冒険者達の目に注意しながら距離を開ける。

「こっちですよ」

 呼びかけて、再び走る。

 距離を詰められそうになってはそれを繰り返し、徐々に仲間達の縄張りの中心へと誘い込んでいく。

 ひと際高い木々に周囲を囲まれた広場に出た時、リツコは足を止めて振り返った。

「疲れたでしょう。ちょっと休憩しませんか?」

 そこは地上でありながら、まるで海の底のようだった。

 苔の発する光を銀の木が反射し、空気がうっすらと青色に揺らいでいる。

 散らばった骨は巨大な魚の形をしており、宙から垂れさがる細い糸に木漏れ日が当たってキラキラと幻想的に輝く。

 剥がれた鱗が無数に積もった地面は一面ざらついた砂浜に似て、歩くたびに擦れ合って独特の音を立てている。

「……」

 魔法の類と思われる消音効果は続いているようで、彼らの口からは荒い呼吸の音も呼びかけに対する返答も漏れては来ない。

「ここは狩場なんです。ご存知ですか?地面の下を泳いでいる魚のこと。あれを獲る為に使っているんですが、最近はちょっと漁獲量が減ってしまっているようなんですよね」

 困った事です、と肩を竦める彼女に3人が一様に浮かべているのは困惑。

「ここには魚を狩るために色々と仕掛けがあるんですよ。今は使いませんけど」

 微笑んだリツコの視線は冒険者達を超えた木立の奥に向けられている。

 最悪の場合、今言葉にしたようにここにあるものを使って自力で撃退する必要があったがもう必要ない。

「魔女の住処に踏み込んだこと、後悔させてあげますよ」

 如何にも悪役な台詞を口にすることに楽しさを覚えて、リツコは思わず唇の端を釣り上げる。

 彼女の発する大声を隠れ蓑に静かににじり寄っていた狼たちが、それを合図にデレクを引き倒して木陰に引きずり込む。

 悲鳴も転倒する音も、すべてを自分たちが消してしまったせいで手前にいた剣士2人は異常に気付かない。

「警告を無視して追ってきたということは、何をされても文句は言えませんよね」

 殺したりしませんように、と内心でハラハラしながらも表面を取り繕ってリツコは身振りで狼たちを指す。

 釣られて振り返った2人は、悠然と姿を現した狼たちと正面から対峙することになった。

「!」

 声のない悲鳴を上げたフレッドが腰を抜かしかけ、隣の仲間によって力づくで引き上げられる。

「……!」

 フレッドを支えたまま、強面の剣士がリツコを睨み付ける。何か言おうとしているようだが、残念ながら未だに声は戻っていない。

 その動作を威嚇と受け取ったのか、彼らを中心に扇状に展開した狼たちが歯を剥き出して唸り声を上げ始める。

 迫る恐怖に耐えられなくなったのか、必死の形相のフレッドがリツコの方へ駆け寄ってくる。

 未だ彼の手の中にある抜き身の剣を警戒し、脇へ飛びのいた彼女を無視してそのまますれ違う。

『あれ?』

 きょとんと振り返るリツコの目に映るのは、一直線に走り去る彼の背中。

「ちょ、ちょっと」

 呼び止めようと手の伸ばした彼女の横を、残る1人の冒険者も走り抜けていく。

 彼は1度だけ振り返って悔し気に顔を歪めたが、足を止めること無く仲間の後を追っていった。

『……リツコ』

 急すぎる展開に唖然としていたリツコは、背後から呼ばれて振り返る。

 近づいてきたのは、はぐれた筈の若い狼。彼はきまり悪そうな様子で俯きながら、体を摺り寄せてきた。

『チャッティ。何処へ行ってたんですか?』

 毛皮がちくちくと肌を刺す感覚と、走り通しで火照った体に加わる更なる温もりにリツコは多少の暑苦しさを感じて顔を顰める。

『近くに危なそうな気配あったから様子を見に行ってたんだ。戻るのが遅れてごめんな』

 ふさふさした尾でご機嫌を取るように彼女の腰の辺りを叩きながら、彼は申し訳なさそうに耳を垂れる。

「キィ!」

 答えようとしたリツコよりも先に、肩から飛び移った子蜘蛛が怒りの声と共に前足でチャッティの背を叩き始めた。

『痛ててて、止めろチビ。悪かったから!』

 尖った爪先が皮膚に刺さるのを嫌がって体を捩るチャッティと、威嚇音を上げながら追撃する子蜘蛛を周囲は微笑ましく眺める。

『コイツはどうしたらいいんだ?』

 流れを遮るように喉を鳴らした別の狼の足下には、手足を投げ出して倒れているデレクの姿があった。

 彼の両目は閉じられ、抑えられている訳でもないのに暴れるどころかぴくりとも動かない。

『い、生きてますよね?』

 実は既に死んでいるのでは無いかと緊張しながら問いかけると、狼は首を縦に振って肯定を示す。

 よくよく観察してみればデレクの胸は緩やかに上下しており、飛びかかられた際や引きずられて出来た軽い怪我以外には目立った外傷もなかった。

 ほっと胸を撫で下ろしたものの、判断を求められてもリツコも困惑するばかりである。

『途中までは順調だったのに』

 大声で魔物を呼び寄せること、数で圧倒して戦意を喪失させるところまでは考えの内だったのだが、仲間を返してほしければ大人しく立ち去れという脅し文句の前に逃走に移られてしまった。

『ちょっと薄情すぎじゃないですかね』

 ベイジルは怪我をした部下を背負って森を彷徨っていたというのに、フレッド達と来たら仲間の安否も確認せずにあっさり逃げてしまったのだ。

 手元に残った虜囚を扱いかねて文句をたれていたリツコが、ふと違和感を覚えて視線を落とせば足に絡みついていた鎖が消えている。

『とりあえず帰りましょうか』

 思わぬ荷物が増えてしまった事に頭を痛めながら、リツコは皆へと声をかけた。

タイトルは主人公と冒険者達の両方の心を表しております。

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