妖精には目が4つ
銀木の肌に跳ね返った寒々しい光が、見つめ合う両者を凍り付かせたかのようだった。
低木の生い茂る一角を通り過ぎようとしていたリツコは、視界に自分達以外の生き物が居ることに驚き硬直していた。
鳥たちの羽ばたきを聞いた時から何かがいることは予想がついていたのに、互いに視認出来るまで接近に気づかなかったのは致命的である。
彼女を見つめる3人の男たちもまた、緊張の中に戸惑いを含んだ表情を浮かべて静止していた。
僅かな時間をおいて相手よりも先に立ち直ったリツコは、男たちを観察すると共に自分の取るべき行動を思案する。
2人は抜き身の剣を携え、急所を固い革で覆った戦士風の出で立ちをしている。残る1人はゆったりとした長い外套で全身を包んでいる為に、その下に何を着込んでいるのかは不明である。
外套の男が持っている杖は先端にカットされた水晶が飾られており、一見装飾品の様に見える。
その恰好はリツコを奴隷商に売り飛ばしたコスプレ男の1人とよく似ており、そこから連想された答えは1つ。
『……魔法使い』
日本であれば、地球上であれば趣味人で済まされるその恰好はこの世界に魔法が存在することを知った今であれば違う意味を持つ。
リツコが勝手に思っているだけで魔法使いではない可能性もあるが、用心に越したことはないとその動きをじっと窺う。
武装した男たちを前にして逃げたいのは山々だったが、背を向けた途端に飛び道具が背中にぐさりという懸念があるために彼女は行動に移せない。
外見から得られる情報を大方得たリツコは、見合っていても仕方ないと友好的な笑みを浮かべた。
「こんにちは。いい天気ですね」
3人の一挙一動に注意を払いながら、軽く頭を下げる。
「こんにちは。いやー、驚いたなぁ。こんなところで可愛らしいお嬢ちゃんと出会うなんて」
一呼吸おいて、先頭にいた若い男が武器を持たない方の手をひらひらと揺らした。
「君は誰だい。こんなところで何をしてるんだい?」
問いかけた彼は、甘い声に如何にも好青年といった優し気な笑顔を見せる。
リツコは一見成人前に見えるその男に対して警戒しつつ、無邪気な子供を装う。
「私はリツコです。今からお家に帰るところです。お兄さんたちは誰ですか?」
相手が欲している回答では無いことを知りつつ、彼女は愛想笑いで誤魔化した。
「俺はフレッド。こっちのデカいのがマイルズで、あっちがデレク」
フレッドと名乗った男は簡単に自己紹介をする。
親指で差された2人は彼の紹介に僅かに頷いたが、対応はフレッドに一任されているようで口を開くことは無かった。
「冒険者ですか?」
アドラメレクから聞いたことがある単語だが、リツコはそれが具体的に何をしている人々なのかを知らない。
反応に困ったリツコは、説明を求めてフレッドを見上げる。
「そうそう、冒険者。知らないかな?こういう森の生き物を調べたり、古い遺跡の調査をしたりするお仕事」
知ったかぶりしても仕方ないと結論を出し、リツコは素直に首を横に振る。
同業の方の遺品を活用させて頂いてますなどというブラックな冗談が思い浮かぶが、当然口には出さない。
「それだけですか?」
質問の意図を測りかねたフレッドが剣を持ったままの右手で頬を掻くと、彼女の目がその動きに追従する。
「……危険な生き物を退治することもあるかな」
武器の用途を訊かれているのだと気づいた彼の声が、僅かに低くなる。
「こわーい」
怯えたふりをして抱えた袋をぎゅっと抱きしめ、リツコは上目遣いに相手の様子を窺う。
魔女も危険な生き物に入るのだろうか。外見で魔女だと分かる特徴は無いと自身では思っているが、脳裏に不安がちらつく。
「リツコちゃんは1人かな?大人の人は?」
フレッドの問いにどう返したものかとリツコは思案したが、思いつく限り何と答えても不自然な回答しか返せない。
「……」
仕方なく沈黙で返すと、彼は少し困ったような表情になる。
内心でどう思っているのか、その手の剣は彼女に向けられるでもなく鞘にしまわれることもないまま冷たい光を放っている。
「ここまでどうやってきたんだい?そもそも、君は人間なのかな」
笑顔と優しい声。態度は変わっていないがフレッドが不審を感じていることはひしひしと伝わり、リツコの心に暗雲が広がっていく。
「私はま、妖精……そう、森に棲む妖精なんです」
咄嗟に彼女の口をついて出たのは、アラサー女にあるまじきファンシーな回答だった。
訂正出来るものならば取り消したいところだが、生憎と相手の耳にはっきりと届くだけの声量があった。
リツコに出来るのは、ジャネットが寝る前に語ってくれたお話の中の妖精たちが実在していることを祈るばかりである。
「妖精、妖精ね。これは随分と可愛らしい妖精さんだ。森に詳しいのならば少し聞きたいんだけど、最近何か変わった事とかなかったかな?」
本心は不明ながらも、とりあえずフレッドが納得した表情で頷いた事に彼女は安堵する。
「変わったことですか?」
これ以上墓穴は掘るまいと、リツコは必死で頭を回転させる。
彼女の身の回りの変化といえば、狼が引っ越してきたこととジャネットたちが帰ってしまったことだ。
「分かりません。そんなに生き物に詳しくないので……」
何を調査しに来たのか不明な以上、迂闊な言動は出来ないと彼女は当たり障りの無い返事に徹する。
「そうかぁ、残念。……話は変わるけど、妖精には目が4つあるって聞いてたけど君は2つなんだね」
完全に不意を突いたフレッドの言葉に、咄嗟に真偽を判断できずリツコは目を見開いた。
「あ、ごめん。妖精なんか見たことないけど、やっぱり目が4つあるなんて聞いたことなかった」
面白がるように深くなった彼の笑みに、鎌をかけられた事を悟ったリツコは思わず出かけた舌打ちを抑える。
「それで、君は本当は何者で何をしていたのかな?その肩に載ってるのは、魔物だよね?」
穏やかに問いかけながらも、フレッドの持つ凶器がかかる握力の増加に合わせて不穏に揺らいだ。
肩の子蜘蛛が魔物だと分かったうえでの茶番であったことを悟り、焦っていたリツコの心は水を浴びせられたように急激に冷えていく。
「貴方良い性格してますね。……私が何者か、ですって?」
子供の演技をしているのも馬鹿らしくなり、リツコは鼻を鳴らした。
「魔女ですよ。魔物と契約して、魔物と暮らす魔女。何をしていたのか、という点については嘘はついてません。これで満足ですか?」
すっかり開き直ったその態度に鼻白んだ様子の冒険者達に向かって、彼女は悪女のように微笑む。
傍からは余裕に見えるが、ただの見掛け倒しである。内心は不安でいっぱいいっぱいであり、これ以上追い詰められれば風船のように破裂するだろう。
息を呑む彼らに、リツコは強い願望を込めて人差し指を突き付けた。
「私、平和主義なんです。逃げるなら今ですよ」
小さな指先を見つめる冒険者達は、すぐには何の動きも見せなかった。
反応が無かったことで腕を下すタイミングを失い、困り切ったリツコもまたマネキンのように静止する。
ひゅうと音を立てて風が通り過ぎ、波の音と共に木の葉が穏やかに揺れた。
「魔女、ね。どう思う、デレク」
しばらくして我に返ったらしいフレッドが振り返り、仲間に呼びかける。
「……分からない」
デレクと呼ばれた魔法使い風の青年が、眉を潜めて首を横に振る。
魔女という言葉自体も嘘だと思っていた様子のフレッドが、それを受けて目を丸くする。
「こんな子供が魔女?」
「外見を変化させる魔法があるんだ」
俺は使えないが、と小さく呟いたデレクがリツコに値踏みするような目を向ける。
「本当に魔女だとしたら、一旦引いて神聖騎士団に情報を流した方が……」
彼らは顔を寄せ合って聞こえないように小声で話しているつもりだろうが、感度の良いリツコの耳には内容がすべて筒抜けである。
話し合いに夢中で彼女へ注目していないようなので、怠くなってきた腕を下して結論が出るまで待つことにする。
言葉が通じ、穏やかに会話を進めてきた為に油断しているようだが、いくら何でも気を抜き過ぎではないだろうか。もっとも、リツコの幼い外見に強く警戒しろという方が無理な話かも知れない。
『今のうちに逃げちゃってもいいんでしょうか』
時折窺うように視線が飛んでくるものの、すっかり緊張感の解けてしまったリツコは肩の子蜘蛛に意見を求める。
まだ言葉を話すことの出来ない彼からは、当然の如くキィという短い鳴き声が返るのみである。
短時間の躊躇の後、視線が離れた隙を狙って静かにかつ迅速にその場を離れようと踵を返す。
「うわっ」
勢いよく踏み出そうとした右足に何かが絡みつき、彼女は大きくバランスを崩す。
何とか転倒を免れたリツコが視線を落とすと、そのふくらはぎに黒い霧が固まって出来たような太い鎖が巻き付いている。
「待たせて悪いね。丁度結論が出たから、もう少し付き合ってほしいな」
振り返ったリツコの赤い瞳に映ったのは、光を帯びた杖を掲げたデレクと彼女に向かって微笑むフレッドだった。
「何、難しいことじゃないよ。一緒に町まで来てくれるだけでいいんだ」
彼の履いているブーツの硬い底が小枝を踏みつけ、乾いた音を立てる。
「町ですか。あんまり歓迎されなさそうですね。折角のお誘いですけど、お断りします」
彼女は抱えていた袋の口を、右手首に巻き付けるようにして持ち直す。
「女の子を力ずくで従わせるのは気が引けるんだけどね」
フレッドの言葉が合図だったかのように、冒険者達が臨戦態勢に入る。
錘を付けられたように重い右足に若干の不安を抱きながら、彼らに向かってリツコは強気に微笑んだ。
「それは宣戦布告と取っていいんですね?」
目が4つもある妖精って不気味に思えますが、民間伝承の妖精って妖怪的な要素も含んでいるので怖いのも多いですよね。




