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まさか居るとは思わなかった

 絵画の世界よりもなお鮮やかな満開の花畑を飾るように、魔法の光を宿した小さな魔石が所々で輝いている。

 歩を進めるたびに、揺れた花からふわりと立ち上る香りがリツコの鼻腔を擽る。

 時折手を止めてそれらを楽しみながら、手ごろな魔石を拾って袋へ詰めていく。

 山のように積み上がっていた物は前回で殆ど取りつくしてしまった為、周りに散らばった小さな欠片を集めていた。

『宝探ししてる気分ですね。あ、胡桃』

 青い胡桃の実が落ちているのを見つけたリツコは、折角だからと石と一緒に袋へ放り込んでいく。

 しぼんでいた袋が丸く膨らんで来たころに中を覗き込み、彼女は十分な魔石を得たと満足そうに息を吐く。

『もう良さそうですね。戻りましょう』

 集めている間チャッティが寝そべっていた岩の上に目を向けるが、そこに居るはずの姿が無い。

 首を回して周囲を探すが、リツコの目の届く範囲の何処にも灰色の毛をした狼は見当たらなかった。

『チャッティ?』

 耳の良い彼は普段ならば呼べばすぐに顔を見せるのだが、姿はおろか足音すら無く森は静まり返っている。

『帰っちゃってもいいのかなぁ』

 袋を抱えたまま立ち尽くし、リツコはどうしようかと頭を悩ませる。

 先に帰ったのなら構わないが、すれ違いになってしまうと申し訳ない。

「キィ」

 期待していたのとは違う人物からの返答に、彼女は驚いて音の出所を探す。

『あら。待っててって言ったのに、ついて来ちゃったんですか?』

 気づかない内にスカートの裾にくっ付いていた小さな蜘蛛に、リツコは困ったように笑いかける。

 リツコへの懐き具合から察するに、この子蜘蛛は前に手当てをした個体である。

 脱皮を繰り返して足が元通りに治ってからは、恩を感じているのか彼女の行く先々へ着いてくるようになった。

 これだけ懐かれれば、虫嫌いといえども嫌悪よりも可愛さが勝るものである。

『帰りましょうか。鼻が良いから追ってきてくれますよね』

 待てど暮らせどチャッティが戻ってくる気配が無い為、リツコは一旦戻ることにした。

 幸い、何度か往復している為に道順はしっかりと脳にインプットされている。

 振り落とさないように子蜘蛛を肩に乗せなおし、両腕に袋を抱えてリツコは魔力溜まりに背を向ける。

 歩き始めた彼女がふと顔を上げると、頭上の枝についた蕾が膨らんで綻び掛けていた。

『もうすぐ春かな?』

 綻びの間から覗く濃い桃色の花びらに桜を思い出し、リツコは懐かしさに目を細める。

『ここはあんまり気候が変わりませんね』

 彼女がこの森で暮らし始めてからは季節を問わず常に何かの花が咲き、果実があちらこちらに実っている。

 夜になると肌寒い時期はあるものの、基本的に過ごしやすい常春の国なのかもしれないとリツコは思う。

 最初のうちに心配したような凍えるような寒さを経験することもなく、上着で調整すれば年中袖の無いワンピースでも生きていくことができる。

『そう思うと、恵まれているのかも知れませんね』

 肩に乗っている子蜘蛛が時折鳴き声をあげるのを相槌と受け取って、リツコは取り留めの無い話をしながらのんびりと歩を進める。

『それにしても、アドはいつ帰ってくるんでしょうか』

 ジャネット達を送り出してから既に3日が経ったが、一向に帰ってくる気配のないアドラメレクにリツコは少しばかり不安を感じていた。

 リツコたちが逃げてきた町までは、子供の足で夜通し歩けば辿り着く距離だ。

 人間達を連れているとはいえ、彼の足であれば休憩込みで2日もあれば十分帰ってくる筈なのである。

『何事も無ければいいんですけれど』

 子蜘蛛を話し相手に散歩気分でいたリツコの後方で、小鳥の群れが急に飛び上がった。

『?』

 振り返って獣か魔物でもいるのかと耳を澄ませても、聞こえるのは遠ざかる羽ばたきの音ばかり。

 首を傾げるリツコの肩に載った子蜘蛛も、同じように体を傾けて木立の奥を不思議そうに眺める。

『一応警戒して行きましょうか』

 狼と大蜘蛛の勢力圏内の為、近くに強力な魔物や獣は居ない筈。

 そう思いながらも、リツコは念のために音を立てないように足音を忍ばせて進むことに決めた。

 例え何者が潜んでいても、その呼吸音や僅かに立てる物音を捉えた時点で彼女の全力を以って逃げれば間に合う。

 自らの耳を邪魔しないように、何者かに見つかることが無いように、森で身に着けた知識と能力をフルに生かして先程より慎重に足を運ぶ。

 それはまるで、ネコ科の動物が獲物を狙う際に見せるような森に溶け込むような静かな動きだった。



 生きている者の立ち入りを拒むかのように、薄暗い森は静寂に満ちている。

 無機質な銀の木肌と、冷たい寒色の光をまとった苔が魔のはびこる土地の不気味さに拍車をかける。

 硬い革で表面を覆った長靴の底が、湿った下草や苔を踏みつけるたびにしっとりと色を変える。

 身動きをする度に身に着けた防具が擦れ合うが、不思議な事にその歩みには一切の物音が伴っていない。

 最後尾を歩きながら心の中で秒数を数えていたデレクは、時間が来たことを知らせるために手にしていた小石を先頭に向かって放る。

 被っていた鉄製の薄い冑への衝撃で振り返ったフレッドを手で招き、空いた手で直ぐ前にいたマイルズの肩を叩く。

「……あーぁ。切れたな」

 パクパクと口を開閉させながら息を吐いていたフレッドが、そこから漏れた自分の声に驚いて慌てて音量を下げる。

 頷きながら、デレクは懐から白い粉を固めた角砂糖のようなものを取り出して口に放り込んだ。

 それを噛み砕きながら、彼は殆ど声に出さずに口の中で魔法の呪文を呟く。

 唱え終わると同時に軽く杖を掲げれば、先端の宝石から発生した波状の光が3人を包む。

 光が消えると再び声や足音、衣擦れや呼吸音までもが消えて、そこにはまるで誰も居ないかのような静寂が訪れる。

 デレクが使ったのは掛けられた者の立てる物音を消す魔法で、音を察知して地面の下から襲ってくる魔物がいる静寂の森では重宝される技能である。

 しっかりと全員に魔法の効果が行き渡っていることを確認したフレッドが再び歩き出す。

 それに続いて足を踏み出そうとしたデレクが、急に耳に飛び込んできた大量の羽音に思わず飛び上がった。

 ぽっかりと開いてしまった口からは、魔法の効果で声を消されて呼気のみが漏れる。

 緊張した面持ちで音の先を見据え、害のない小鳥であることを確認した2人がデレクの様子に苦笑を見せた。

 彼らの顔には大げさなリアクションに対して呆れる様子はあったが、小心だと嘲笑したり揶揄したりする色は無い。

 一見穏やかに見えるこの森は魔物の世界。身を守る分厚い毛皮も獣のように高い身体能力も持たない人間では、たとえ戦うことを生業にしている者でも矮小な鼠の如く一方的に狩られることも多い危険な世界だからだ。

 大木のまばらになった地帯、枝と枝の隙間から降り注ぐ僅かな光を求めて密集した低木が垣根のように並ぶ場所を抜けようと一行が足を踏み入れる。

 周囲に目を配りながら先頭を歩いていたフレッドが、ふいに足を止めた。

 天然の生垣の上から周囲を見渡してもなんの姿も確認できず、訝しむ後続2人に手振りで伏せるように指示して彼は低木の陰に身を寄せる。

 同じように姿勢を低くして隠れたデレク達の視線の先で、ゆらりと影が揺れた。

 風に揺れる他の影に紛れて輪郭を捉え辛いが、それは木々とは違い自らの力で動いていた。

 近づいてくる気配に緊張し、魔法の力で抑え込まれた呼吸と鼓動の音に感謝しながら3人は影とは反対へ回り込むように移動する。

 接近者の様子を確認しようと、近づく影に目を凝らす彼らの前に姿を現したのは小さな女の子だった。

 この辺りでは珍しい黒い髪。くたびれたワンピースから延びる、白く華奢な手足。

 幼子特有の柔らかい輪郭と愛らしさをもつ人形のように整った横顔が、きょろきょろと辺りを見渡す。

 そして、首をひねった彼女の動きが止まる。

 眼前に現れた想定外の相手に身を引くことを忘れた3人を、血のように赤い少女の瞳が戸惑ったように見据えていた。

まさか(そんなところに)(人・女の子)が居るとは思わなかった。

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