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7/21 チャッティとリツコの会話部分の「」を『』に修正しました
灰色味を帯びたひび割れた樹皮の木立の間から、絵画のように鮮やかな草原が見える。
柔らかそうな草が風に吹かれて緑色の水面のように波打っている。
「私とエヴァンはここまでです」
薄暗い森の外。久しぶりに見る明るい景色に目を細めながら、リツコは顔を上げた。
彼女の声に足を止め振り返った3人は皆、大きな荷物を背負っている。
「本当は町まで送りたいんですけど」
森から出て家へ帰るジャネット達の見送りの為に、リツコは森と草原の境界までやってきていた。
姿は見えないものの樹上から大蜘蛛達が見守ってくれている為、エヴァンも連れて来ている。
「駄目だよ。危ないんだから」
名残惜しそうなリツコを牽制するように、アドラメレクが彼女の頭に手を置いた。
彼は人の領域に出る為にいつもの襤褸布のようなシャツとズボンではなく、頭から足まですっぽり隠れるようなフードつきの外套で全身を隠している。
見るからに怪しい格好だが、一応輪郭は人に見える。
ジャネットやベイジル達が隣に居れば、多少不審に思われることはあれど魔物だと勘付かれることもないだろう。
人の領域に用の無い子供組は森でお留守番である。
「ここまでして頂ければ十分過ぎるくらいです。本当、何てお礼を言ったらいいものか」
膨れ上がった背負い鞄をゆすって、ベイジルが困ったように笑う。
大荷物になってしまった原因は、旅に必要な物に加えて今まで集めた硬貨や紙幣、値打ちのありそうな物をリツコが3人の荷物に詰めれるだけ詰めた為だ。
「私には不要なものなので、お気になさらず」
金銭があって困るものでもないだろうというリツコの厚意は物理的に重荷になっているが、本人は気付いていない。
「もし何か困ったことがありましたら、ストークス商会をお訪ね下さい」
精一杯の恩返しをさせて頂きます、と比較的余裕そうな表情のチェスターが頭を下げる。
「はい。いざという時はお願いします」
名刺交換のような生真面目な礼を交し、リツコはにっこりと微笑んだ。
「リツコ、エヴァン」
突然割り込んだ泣きそうな声に、呼ばれた2人がはっと目を見開く。
「……先生」
赤と緑の瞳が同時に見上げた先で、涙を湛えて潤んだブラウンの瞳とぶつかった。
言葉を詰らせるジャネットに、リツコも何を言って良いのか分からず黙り込んだ。
体感で言えば、リツコ達は彼女と1年近い年月を共に森で過ごしている。
言葉が分からず、人間とのコミュニケーションを半ば諦めていたリツコに言葉を教えてくれたのはジャネットだ。
毎日料理を作ってくれたり、自分の経験を語ってくれたり、森のサバイバル生活の中に人間らしさをもたらしてくれたりしたのも、他ならぬ彼女である。
暴漢達から救ったことを差し引いても、リツコはジャネットに対して返しきれない程の恩を感じていた。
「2人とも、風邪を引かないようにちゃんと食べてよく寝るのよ。危ないことはしないでね」
重量のある荷物によろめきながらも屈み込んだジャネットが、リツコとエヴァンの頭を両手で胸元へ引き寄せる。
表情や声に苦悩が見え隠れしているのは、1人だけ家族の元へ戻ることに罪悪感を覚えている為だろう。
「先生」
ジャネットの胸をそっと押して顔を上げ、エヴァンが彼女の顔を真っ直ぐ見つめた。
「僕ね、先生が家族だよって言ってくれた時、嬉しかった」
ぎゅっと拳を握り締めて、彼は滲む視界をぐいと擦る。
「お母さんがいたら、こんな感じなんだろうなって思った。本当は一緒にいて欲しいけど、返してあげないと先生の子供が可愛そうだよね」
だから、と言葉を続けながらエヴァンがくしゃりと笑った。
「今までありがとう」
その涙いっぱいのぎこちない笑顔は、見ていた大人たちの胸をぐっと詰らせた。
感極まって声をあげて泣き出したジャネットに再度抱きしめられると、エヴァンもわんわんと泣き出した。
2人に挟まれてもらい泣きしそうになったリツコは、心を静めるために深呼吸をしながらそれを聞いた。
「先生」
泣き声も下火になった頃、リツコは静かに切り出した。
「色々とお世話になりました。先生が居なければ、こうやって人とコミュニケーションを取る事も出来ませんでした。戻ってからきっと大変だとは思いますが、息子さん達と幸せに暮らせることを祈ってます」
長い間行方不明だった彼女が返ってきたら、家族はさぞ吃驚することだろう。
しかし、ジャネットの人柄を見る限り、彼女の家族は再会を喜んでくれるだろうとリツコは確信していた。
「私、先生の授業が大好きです。だから、また色々教えてください」
寂しさを押さえて目一杯の笑顔を浮かべたリツコに、ジャネットは赤くなってしまった目を眩しそうに細めた。
「リツコったら、本当にしっかりしてるわ」
呆れたような声音だが、彼女を見つめるジャネットの目は優しい。
「また会うときにはとびっきりの授業をしてあげるわ。楽しみにしてらっしゃい」
鼻をすすって立ち上がると、彼女はリツコに向かってウィンクをして見せた。
別れを惜しみながらもお気をつけて、と手を振るリツコに3人が手を振り返して歩き出した。
少し離れてから、彼らを先導するアドラメレクが振り返ってちらりと不安そうな目をリツコへ向けた。
「大丈夫だって言ってるのに」
不満げに頬を膨らますリツコだったが、実績がある為に相棒からの信頼は薄い。
ジャネット達を町へ送る為に彼が外出することが決まってから今日まで、危険に近付かないようにと耳にたこが出来るくらいに聞かされていた。
彼らの姿が見えなくなるまで手を振ってから、リツコは下ろした手をまだ泣いているエヴァンに差し出した。
「さて、帰りましょうか。大丈夫、先生も無事にお家に帰れますよ」
鼻をすすっているエヴァンの手を引いて歩き出すと、何処からか現れた灰色の狼がその隣に並ぶ。
『送ってくぜ』
茶色味がかった琥珀の瞳を煌かせる彼は、最近よくリツコに話しかけてくる若い雄である。
『チャッティじゃないですか。どこに居たんですか?』
先程までは大蜘蛛の気配しか感じなかったのに、とリツコが首を傾げる。
チャッティとは、おしゃべり好きな彼にリツコが勝手につけた呼称である。
『別れを邪魔する程、俺は野暮じゃねぇぜ。それより、あいつ等が置いてったその丸いの何だよ』
興味津々な様子で、チャッティはリツコが肩に下げた鞄を鼻面でつつく。
『ああ、オーブのことですか?』
丸いものと言われて少し考えた後、リツコはチェスターにもらった丸くて透明感のある石を取り出した。
大人の拳ほどもあるその石は、少し濁っているものの大きなビー玉のようで美しい。
『これはオーブと言って、誰でも魔法が使える便利な石なんですよ』
リツコの説明に、チャッティは腰を落ち着けて聞き入っている。
『色によって使える魔法が違うらしいんですが、主に護身用の魔法が使えるみたいです』
オーブは火の入った瓶とは違い、込めた魔力の分だけ威力が高まってしまう。
リツコの様に魔力の扱いに慣れていない者がちょっとした火おこし等に使うには危険だという。
それ以前に日常で使うにはオーブはあまりに高価で、1個の値段を例えるならば平均的な家庭のひと月分の収入に相当するようだ。
この国の家庭事情などリツコには知る由も無い為、頭の中でサラリーマンのひと月分の給料に換算している。
『ほう。どんなもんなんだ?使ってみてくれよ』
期待に満ちた目でチャッティが見つめてくるが、リツコは首を左右に振った。
『駄目です。1回使いきりで2個しかないんですから、大事に使わないと』
万が一を考えて火が出る赤い石をエヴァンに持たせている。
青い石は水が出るとのことだが、水がどう護身の役割を果たすのか想像がつかない為にリツコがお守り程度の気持ちで持っている。
『そーか。そりゃ残念』
人間で言えば肩を落とす動作だろう。がっくりと首を垂れた後、チャッティは後ろ足で首の辺りを掻いた。
『また手に入ったら見せてあげますよ』
そう言って歩き出したリツコに引かれ、エヴァンも歩き出す。
『ホントだな。約束だぞ』
2人を守るように周囲を見渡しながら、狼は嬉しそうに尾を振った。
大人組みがいなくなり、久々のお留守番モードです。




