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迷子の商売人

 火にかけた鍋から、温かな湯気が立ち上っている。

 タオルサイズに裂いた布を沸騰した湯に入れ、少し煮た後に枝を使って引き上げて冷ます。

「こんなものでしょうか」

 手で触れる温度になったのを確認して、リツコが両手で軽く絞る。

「痛かったら言ってくださいね」

 言いながら、リツコが目の前に横たわる男を見下ろす。

「ああ」

 泉の水をたっぷり含んだ冷たい布で火傷した顔を覆った、中年の男が頷いた。

 着ていた革の鎧も、シャツも脱いだ上半身裸の状態でシーツの上に寝かされている彼の名はチェスター・アストン。

 魔力の溜まり場でリツコが声をかけた怪我人の1人である。

「うーん。結構酷そうですね」

 魔物にやられたと説明を受けた肩の傷をまじまじと観察し、リツコは眉を顰めた。

 どす黒く汚れた服を見たときには既に乾いているように見えたが、深く抉れた肉からは今も血が滲み出している。

「アド、ちょっと手伝ってもらえませんか?」

 リツコが呼びかけると、遠く離れた木の後ろから覗いていた長い耳がぴくりと揺れた。

 しかし、それ以上のリアクションが無い。

「……もうっ」

 しばらく待っても返事すら返してくれない相手に苛立ちを覚えて、リツコは頬を膨らませた。

 遠くから様子を窺うアドラメレクの下からは、時折エヴァンの頭が見え隠れしている。

 相変わらずの人見知りである。

「お手間をおかけして申し訳ありません」

 ぺこりと頭を下げながら姿を現したのは、長い黒髪から水を滴らせた狐顔の若い男。

 ジャネットに手招きされて、火の傍の丸太に腰掛けた彼の名はベイジル・ストークス。

 雑巾のように真っ黒に汚れていた彼はチェスターほど重症でなかった為、水浴びをして身を清めていたのだ。

「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。ねえ、リツコ」

 傷の手当をしようと軟膏の入った瓶を開けたジャネットが、ころころと笑いながら同意を求める。

「はい。声をかけたのはこちらですから。薬を塗るので、ちょっと体を起こしてもらえますか」

 傷薬の瓶を手に取ったリツコが、チェスターの背を支えながらゆっくりと座らせる。

「痛いの痛いの、とんでけー」

 瓶を両手を包んで祈るようなポーズをとった彼女は、目を閉じておまじないを唱える。

 途端、瓶の中の液体がほんのりと光を帯び始める。

 その光は瞬く間に強さを増していったが、眩しいと感じる前に急速に失われてどす黒い色に染まった液体だけが後に残される。

「あ、失敗ですね」

 呟いて、リツコはそれを瓶ごと放り投げる。

 黒くなった薬を傷口につけると、某有名な虫刺されの薬を塗りこんだ時のような痛みに襲われる上に傷は全く治らない。過去に実証済みである。

「痛いの痛いの、とんでいけー」

 子供の頃から馴染んでいるおまじないと共に、リツコは再び祈る。

 2回の失敗の後、彼女の手元の緑色の薬はいつかと同じように柔らかな燐光を放ち始めた。

「沁みるかも知れませんが、我慢してくださいね」

 綺麗に汚れを拭ったチェスターの肩に、リツコは指先でそっと触れる。

 瓶から薬を掬って塗りつける度に、光の粒が花火のようにはじけて消えていく。

「おお」

 血の滲んでいた傷口に薄っすらと皮膚が形成されていく様子を見て、怪訝な表情で彼女の行動を見つめていた客たちの両目が真ん円に開かれていく。

 続いて、リツコは残りの薬をチェスターの顔へ塗っていく。

 火傷に効くのかどうか不安ではあったが、爛れて黒ずんだ皮膚がゆっくりと元の色を取り戻していく様子に彼女は胸を撫で下ろした。

「これでよし」

 痛々しさを感じない程度に回復した傷に、リツコは満足げに息を吐いた。

 この様子で治療していけば、数日の間に傷があったことすら分からなくなるだろう。

「そんな馬鹿な」

 慣れた様子の女性陣に、ベイジルが口を閉じることも忘れて呆然としている。

 突然消えた痛みに戸惑ったチェスターも、しきりに自分の顔や肩を撫でている。

「傷も癒えたので、何か食べるものを……って、どうしました?」

 2人の視線が自分に注がれるのを感じて、鍋や薬を片付けようと立ち上がったリツコが怪訝な表情を浮かべる。

「その薬、譲ってください!!」

 我に返ったベイジルが、彼女に向かって勢い良く身を乗り出した。

「はい?」

 真剣な眼差しと共に両手を握られたリツコは、振り払って良いものか判断が着かず困ったように首を傾げた。


 ジャネットが昼食の準備を始めたのを恐々と眺めながら、リツコは2人から事情を聞いていた。

 ベイジルとチェスターがストークス商会という、そこそこ大きな商業組織のメンバーであること。

 顧客から注文を受けた商品を仕入れて運んでいる途中に、強盗に遭ってしまったこと。

「馬車を全て奪われて、一緒にいた他のメンバーとも連絡が取れず……」

 沈痛な面持ちで、ベイジルが語る。

「轍の跡からこの森に入ったようだと判断したのですが、森に入った途端に魔物に襲われてしまってこの有様です」

 溜息と共に吐き出して、彼は新月のように細い目を更に細めた。

 馬車と共に殆どの荷を失った為にどうしようもなく、チェスターの剣の腕だけを頼りに静寂の森へ踏み入ったのだという。

「無茶しますね」

 眉を顰めながら、リツコは乾燥させた野草を入れたカップにお湯を注ぐ。

 蓬に似た香りの湯気がふわりと立ち上り、彼女の前髪を揺らした。

 今彼女が使っているカップも、お湯を沸かしている鍋も、生活に必要なものは全て森で拾ったものだ。

 それだけの用意をしていてなお遭難する者が絶えないことを思えば、ベイジル達の行動がいかに無謀か分かるだろう。

「そう、思います。ですが、今回の取引が失敗すれば商会は終わりです」

 自分だけでなく、組織に属している多くの者が路頭に迷うのだ。

 そう言って、ベイジルが暗い表情になる。

「王都のさる貴族からの依頼で、コレクター同士の茶会へ持参する品物を買い求めていたのです」

 黙ってしまったベイジルを見かねて、チェスターが説明を引き継いだ。

 珍しい品物を集めることが趣味の貴族の間では、度々コレクションを自慢しあう会合が開かれているのだという。

「出した品物が参加者から高い評価を得れば、ストークス商会の名は広まり継続した注文を取ることが出来ます」

 この機会を得る為に、今まで苦労してコネクションを繋いできたそうだ。

「隣国まで足を伸ばし、漸く希望に合う品を手に入れたところでライバル業者の妨害にあってしまったのです」

 ストークス商会と利権を争う別の業者が、人を雇って彼らを襲わせたというのがチェスターの見解だった。

「このまま商品を納められなければ、信用を失うということですね」

 合いの手を入れたリツコに、チェスターは頷いた。

「相手が相手だけに、商会の破綻だけでなく、下手をすれば責任者の首も……」

 沈痛な表情でチェスターが視線を向けた先には、泉よりも青い顔をしたベイジルが震えている。

 ストークス商会という名称からも察せられる通り、ベイジルは組織内でかなり高い地位にいるようだった。

「姉と私の命に関わるんです!どうか、どうかあの薬を!」

 自分の未来を想像したのか、ベイジルは自分の襟元を押さえながら可愛そうな位に怯えている。

 首、というのは解雇の比喩でなくそのままの意味のようだ。

「薬を渡すのは構いませんが、その商品の代わりになるような物じゃないと思いますよ」

 生死がかかっているという言葉に怯んだリツコが、部屋に貯蔵している薬を思い浮かべる。

 拾い物かつ同じような瓶に入っているそれは、どう見ても貴重な品には見えない。

「いいえ。リツコ様のお作りになったものほど優れた魔法薬など、他に見たことは御座いません」

 熱の篭った声で迫るベイジルと彼女の距離は近く、細い瞼の間から深い緑の瞳が見える。

「魔法薬?私が作った?」

 からかわれている訳では無さそうだが、心当たりの無いリツコは真剣に悩んでしまう。

「先程、薬に魔法をかけていらっしゃったじゃないですか」

 焦れたようにベイジルが言い、チェスターも同意を示して頷いている。

「さっきのおまじないの事ですか。あれ、魔法になるんですか?」

 素っ頓狂な声をあげたリツコを筆頭に、その場の全員が驚きと戸惑いに口を噤んだ。

 確認の為にもう一度見せてくれと請われ、試しに魔物言葉でなく人の言葉で祈る。

 薬瓶は問題なく光を発して、ベイジルのいう魔法薬が出来た。

「痛いの痛いのとんでいけ」

 検証の為、リツコと同じ文句と唱えながらジャネットが薬に向かって祈りを捧げる。

 彼女の手の中の薬は発光するどころか、失敗した時の様に黒くなることも無い。

「魔法、なのかな」

 ベイジルとチェスターにも同じ事をしてもらったが変化が無かった為、リツコは漸く自分の何が原因なのかを追究する。

 アドラメレクやジャネットから魔法を教わった事は無く、特別な何かを食べた訳でもない。

「先程、私を魔女と呼んだことと関係があるんでしょうか?」

 思い当たることが無いまま、リツコは彼らと出会った際の台詞を思い出す。

「あら。リツコって、やっぱり魔女だったの」

 驚き半分、納得半分といった様子でジャネットが口元に手を当てる。

「やっぱり?」

 眉を顰めたリツコに、ジャネットが頷いた。

「アドラメレクさんと契約してるでしょ。不思議な力も持ってるし、そうだとは思ってたんだけど……全然怖い感じもしなくって」

 半信半疑だったの、とジャネットが口元に手を当てる。

「契約、魔法、魔女」

 悪魔と契約して知識や非科学的な力を得る、魔女。

 オカルトに詳しい訳でないリツコでも、アドラメレクと出会ってから今まで思い当たる節は幾つかあった。

 暫く自分の掌を眺めていた彼女の心に、現状への理解が染みのように広がっていく。

「アドぉぉぉ!!」

 低く唸るようにその名を呼んだリツコの視線の先で、蜥蜴に似た尻尾がびくりと震えた。

虫に刺されて掻き毟った後に、ひんやりする系の薬を塗るとちょっとした地獄をみますね。

前回もちらりとありましたが、やっと魔女という単語が出てきました。

主人公は果たして魔女なのか!?彼女の明日は!?



勢いで書き始めたために、この辺あらすじでネタばれしてます。

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