再び生えます
狼と大蜘蛛の間で和平が成立してから丸1日が経過した。
暖かな午後の日差しに包まれる水辺に点在する花の間を、蜜蜂が忙しそうに飛び回っている。
遠くの方で遠吠えが上がっているのは、大蜘蛛と狼による大魚狩りが行われている為だ。
「ふわぁ」
この共同作業が上手く行けば、今後の両者の関係は良い方へと向かっていくだろう。
そんな事を考えながら、リツコは大きく欠伸をした。
『キィ』
マネをしているつもりなのか、彼女の傍らで小さな蜘蛛が口を開ける。
籠に毛布を敷いた簡易クーハンの中のその子蜘蛛は、足が3本欠けていた。
『お腹空きましたね。おやつ食べます?』
足を怪我している為に食料調達の役割を外されてしまったリツコは、久々の平和をのんびりと味わっている。
今日の彼女の仕事は、同じく狼に襲われて怪我をした子蜘蛛の世話のみである。
『キィキィ』
おやつの一言に反応し、子蜘蛛が残った前足をばたつかせている。
『はい、どうぞ』
持っていた小さめの皮袋から取り出したブルーベリーの幾つかを子蜘蛛に渡し、リツコは残りを自分の口へ放り込む。
熟し足りない薄味に眉を落としながら、リツコは狼と大蜘蛛の間で行われた朝の会議を思い出していた。
話し合いの中で獲った大魚の一部を大蜘蛛達が得るということになり、アドラメレクが草食だと言っていた大蜘蛛が実は雑食だということを知った。
近くにいた狼にリツコが聞いたところ、魔物を食べて魔力を得る必要がある為に完全な草食の魔物は滅多に居ないとのことである。
『何だろう、この、騙された感』
大蜘蛛と初めて会った時にされた説明を思い出して、リツコはがっくりと肩を落とす。
結果的には友好な関係を築けているから良いものの、大蜘蛛達の腹の減り具合によっては捕食対象になっていた可能性もある。
『ちゃんとした情報をくれない時があるんですよね』
他にも何か隠されたり捻じ曲げられたりした情報があるのではないか、とリツコは眉を顰める。
彼女自身も記憶喪失だと嘘をついている負い目があり強く追求し辛いが、一度じっくりと話し合う必要があるかも知れない。
難しい顔でリツコが考え込んでいると、聞きなれた足音が泉の方から彼女へ近付いてきた。
「リツ」
名を呼ばれてリツコが顔を上げると、子蜘蛛達と共に釣りに出ていたはずのエヴァンが立っていた。
「どうしたんですか?」
自分と負けず劣らずの難しい顔をしているエヴァンに、リツコが首を傾げる。
「……」
眉の間に皺を寄せながら黙り込んでいるエヴァンの視線の先では、子蜘蛛がおやつに夢中になっている。
「エヴァン?」
いつもと様子の違う彼に、不審を抱いたリツコが立ち上がった。
「あのね」
『よう、人間!』
おずおずと口を開きかけたエヴァンの前に、音もなく1匹の狼が降り立った。
『大魚獲れたぜ!いやー、すげーなぁ。大蜘蛛の糸をあんな風に使うなんてよぉ』
黄色い瞳をきらきらと輝かせた狼は、リツコに向き直って興奮した様子で狩りの様子を語り始めた。
『そ、そうなんですか』
唐突に始まった陽気なマシンガントークに、リツコは戸惑いつつも相槌を打つ。
話し相手を取られたエヴァンは、展開についていけずに呆然と立ち尽くしている。
「先なのに」
自分には分からない言葉で話す彼らに、置いてけぼりにされたエヴァンの新緑の瞳が歪む。
「僕が先なのに!」
少年期特有の高い声で叫ぶと、彼は目の前で揺れる灰色の尾を両手でぎゅっと掴んだ。
『……なんだよ』
話の邪魔をされて迷惑そうに目を細めた狼が、くるりとエヴァンの方へ向き直る。
『あ、待って』
危険を感じて焦るリツコが止める間も無く、狼がするりとエヴァンの足の間に体を滑りこませる。
そのまま狼が体を起こすと、小さなエヴァンは地面から足が浮いてしまう。
「やだーっ」
振り落とされないように必死でしがみ付くエヴァンを乗せたまま、狼は周辺を跳ね回る。
『ほらよ』
暫くして満足したのか、元の位置に戻った狼がゆっくりとエヴァンを背中から解放した。
突然の事に右往左往していたリツコは、立つことも出来ず泣き出してしまったエヴァンに慌てて駆け寄る。
『思い知ったか、チビ助』
狼が得意げに鼻を鳴らすと、リツコにしがみ付いたエヴァンが怖がって肩を震わせる。
『大人げ無いです』
怒っているわけでは無いようだと少し安心したリツコの赤い瞳に、非難の色が浮かぶ。
『ちゃんと手加減してやっただろ』
悪びれない様子の狼が、欠伸交じりに答えた。
「全くもう。よしよし、悪戯しちゃダメですよ」
溜息をついたリツコがエヴァンのふわふわした髪を撫でて慰めていると、暇になった狼の瞳が彼女の足元へ移動していく。
『キィ』
いつの間にか食べるのを止めて灰色の毛皮を見つめていた子蜘蛛が、小さく鳴いた。
被害者と加害者である両者の立場を思い出し、リツコが再び緊張に身を硬くする。
『……』
流れる気まずい空気に、泣きじゃくるエヴァンを抱いたままのリツコの頬を緊張の汗が流れ落ちる。
『しゃーねーなぁ』
後ろ足で耳の後ろを掻いた狼が、やおら立ち上がって子蜘蛛の上で大きく顎を開いた。
『ちょっと!』
悲鳴を上げたリツコだったが、エヴァンに動きを制限されて素早く動けない。
『キィ』
鋭い牙の並ぶ奥を見つめていた子蜘蛛は、自分の真横に落ちてきたモノに飛びついた。
3本しか無い足で器用に抱え込むと、狼の吐き出したその白い塊をもそもそと齧り始める。
「へっ?」
目の前で繰り広げられる予想外の光景に目を丸くしたリツコは、ただ静かにそれを見守ることしか出来なかった。
月の光と光る苔によって青白く輝く森に、梟の声が響く。
ぱちり、と乾いた音を立てて赤い炎が爆ぜる度に細長い木の影がゆらゆらと躍る。
「と、いうことがあったんです」
右手で焚き火に薪を追加しながら、リツコが報告を終える。
彼女の隣では、満足げにお腹を丸くした子蜘蛛がクーハンの中で眠っている。
「それは多分、お魚のお肉をあげてたんじゃないかしら」
狼は子供に離乳食として吐き戻した食物を与えるのだ、とジャネットが先生らしく知識を披露する。
「?」
狼は子蜘蛛を育てる事にしたのだろうかとリツコが首を傾げた時、焚き火の上に置いた鍋の蓋が踊った。
話を中断して、狼から分けてもらった鹿の肉をジャネットが沸騰したお湯の中へ投入する。
「つまり、魔力を分けて成長を早くするんだ」
料理の方へ気を逸らしてしまったジャネットに代わって、アドラメレクが引き継いだ。
彼の膝の上には、昼からすっかり不機嫌になってしまったエヴァンが座っている。
「魔力で成長を早められるんですか?」
初めての情報に、リツコは素直に驚きを見せる。
「そうだよ。成長が早くなれば脱皮の回数も増えるから、より大きく強い大人になれるんだ」
アドラメレクの説明をリツコが関心しながら聞いていると、いつの間にかエヴァンも興味深そうに頭上を仰いでいた。
「でも、足が無いと大きくなっても困りませんか?」
大きく重いほど動きにくくならないかとリツコが心配していると、アドラメレクがにんまりと笑った。
「まあ、見てれば分かるよ」
問いかけてもそれ以上教えてくれないアドラメレクに、リツコとエヴァンが顔を見合わせる。
「ご飯が出来ましたよ」
不満そうに頬を膨らませる子供2人を宥めるように、ジャネットがスープ入りの椀を差し出した。
未だに慣れない味付けと格闘するうちに、リツコの頭からその疑問は消えていた。
数日後、上手に脱皮した子蜘蛛を発見してリツコは悲鳴を上げると同時に納得した。
蜘蛛は足を無くしても、数回の脱皮で元通りに治ってしまうそうです。
詳しく知りたい方は、『蜘蛛 脱皮』等のワードで検索すると良いと思います。
画像検索するとリツコの悲鳴の理由が分かりますが、オススメしません。
見てしまった後の苦情はナシの方向でお願いします!




