出来ると思うことが大事
遅くなってしまってすいませんでした。
木々の密集した静かな森の一角。
しっとりと苔むした地面の上に、リツコは1人ぽつねんと立っていた。
彼女の足元には、フックのように歪に歪められた剣や槍などの武器の残骸が散らばっている。
目を上げて空を見れば、高く伸びた銀色の枝の交差する間に見慣れた影。
『いつでもいいよ』
樹上で手を振るアドラメレクの言葉に、リツコは緊張した面持ちで頷いた。
『……いきます!』
高らかに宣言して、彼女は肺いっぱいに酸素を取り込んだ。
少し息を止めて間を取り、膨らんだ胸に手を当てて覚悟を決める。
『わああああああぁぁぁぁ』
腹に力を入れ、リツコは空気と共に精一杯の大声を吐き出した。
声に驚いて近くの木々から鳥が騒いだが、彼らはすぐに風に乗って去っていった。
辺りには再び静寂が満ちる。
『はぁ、はぁ』
吐き出しすぎた酸素を取り込もうと息を荒げるリツコの耳が、目当ての音を聞き取った。
荒い呼吸を無理やり押さえつけて、腰に巻いたロープを握り締めて音を拾うことに集中しようと目を閉じる。
音の発生源が十分に近付いてきたことを確認して、彼女は右足を高く持ち上げた。
その足を、勢いをつけて地面へ踏み下ろす。
思っていたよりも大きな音が出たことに自分でも驚いて眉を顰めたリツコだったが、そのままの勢いで足踏みを始める。
リズム良く足音を刻んでいくと、周囲をゆっくりと泳いでいた地響きが彼女の真下で止まった。
『引いてっ』
焦りを帯びた声でリツコが叫ぶのと、それが地面を突き破って顔を出すのは同時だった。
腰に巻いたロープに引き上げられ、勢い良く宙へ舞い上がる少女の体。
それを追って、地面から巨大な口が姿を現した。
草陰から上がる鈴のような虫の声を、困惑したようなざわめきがかき消した。
『4日カ……』
円陣を組んで額をつきあわせていた大蜘蛛たちは、狼たちとの交渉から帰った3人の話を聞いて一斉に沈んだ溜め息を漏らす。
生まれたばかりの子供を抱える彼らにとって、それは猶予期間というには短すぎた。
このままここに留まっていれば、狼達との戦いは避けられない。
住処を捨てて狼達から逃げるとしても、落ち着き先や移動ルートの調査をしなくては狼よりも強力な魔物に出会って全滅する可能性がある。
『ムムム』
残るも地獄、逃げるも地獄という存亡の危機に唸り声を上げる大蜘蛛たち。
『すみません』
アドラメレクと共に話し合いに参加していたリツコが、小さな肩を落とす。
全てがアドリブであったとはいえ、自身に話術があれば狼達からもう少し良い条件を引き出せたのではないかと後悔していた。
『何で謝るの?リツコは上手くやったと思うよ』
隣に居たアドラメレクが、そんな彼女を励ますように肩を叩いた。
『ソウダ。イキテルノ、オ前ノオカゲ』
共に見回りをしていた大蜘蛛が同意を示すと、周囲の蜘蛛達も頷いて少女を慰めた。
『有難うございます』
皆の気遣いに少しだけ心が軽くなったリツコは、前向きに対策を考えようと頭を捻り始めた。
『蜘蛛さんたちよりたくさん魔力のある魔物はどの位居るんですか?』
当初宣言した通りに蜘蛛よりも魔力のある獲物を狩る為にリツコが情報を求めると、大蜘蛛たちはいくつか候補を上げた。
地中に住む魚。一つ目の巨人。肉食苺。青毛の虎、等々。
予想外にたくさんの候補が出た為に覚え切れず、リツコは棒で苔の生えた地面を削ってメモを取り始めた。
聞きながら、魔力の量イコール生態系の順列ならば蜘蛛たちは意外と厳しい位置にいるのかも知れないと考えながら。
『……私の知らない魔物ばかりですね』
大蜘蛛たちが候補を出し終えると、足元には随分と長いリストが出来上がっていた。魔物を狩って実演しようと思っていたリツコは呟いて頭を掻いた。
『襲いやすそうな魔物はどれでしょう?』
困った彼女がアドラメレクに水を向けると、彼は首を傾げた。
『うーん。動かないし、肉食苺がいいかなぁ……多分、仕留めるまでに半分くらい食べられちゃうけど』
居並ぶ面々を見渡してアドラメレクが発した恐ろしい言葉に、周囲が一斉に身震いした。
肉を喰らう苺とはどんなものなのか想像もつかないリツコだったが、それらしいものには近付かないようにしようと心に刻む。
他の魔物についても順に意見を聞いていったが、やはり強力な獲物を獲ようと思うと多くの犠牲が必要となるようだ。
『魔物を狩って食べる以外に魔力を得る手段は無いんですか?』
良く知らない魔物を襲うことはリスクが高いとの結論に辿りついたリツコは、気持ちを切り替えて他の手段を模索することにした。
『色々あるけど、直ぐに出来るのは魔石から吸収する方法かなぁ』
アドラメレクの言葉に、周囲も頷いている。
『魔石?』
知らない単語の登場に目を瞬かせるリツコ。
『魔石っていうのはね……』
アドラメレク曰く。
魔力が何らかの刺激を受けて結晶化したものが魔石であり、生き物は魔石から魔力を摂取することができるということだった。
『魔石があれば、狼たちを納得させられますか?』
素敵な物の存在を知り、リツコが目を輝かせた。
『うーん。よっぽど大きいものを見つけられれば大丈夫かも知れないけど』
難しい表情のアドラメレクが言うには、魔の領域では魔石自体はさほど珍しいものではない。
ただし、その辺ですぐ見つけられる小石ほどの魔石では力がつくまでに何百という量が必要になるのだという。
『狼が何匹いるか分からないけど、そんなに多くの魔石を見つけるのは無理じゃないかな』
アドラメレクが諦め顔で肩をすくめた。
『狩猟以外に方法は無い、ということですね』
必要とされる膨大な量の魔石を想像して、その案が現実的でないことを悟ったリツコはがっくりと肩を落とした。
『狼ト戦ウカ』
沈んだ声音で1匹の大蜘蛛が呟くと、他の蜘蛛達が気乗りしない様子で溜息交じりの同意を返した。
草食で気性の穏やかな大蜘蛛たちは争いを好まないが、戦わなければ全滅するしかないのだ。
比較的体の小さな若い蜘蛛たちが、前足を持ち上げて威嚇のポーズをとりながら気合を入れ始めた。
『……』
もしも蜘蛛たちが負けるようなことがあれば、その保護下にいるリツコたちも皆仲良く狼の胃袋の中だ。
自身だけならば兎も角、今現在彼女の細い肩にはエヴァンとジャネットという2人の命もかかっている。
『先生たちとも相談しましょう』
決戦を挑む方向へ傾きつつある話し合いに不安を覚えつつ、リツコはアドラメレクと共に一旦巣に帰ることにした。
梯子を上り終えたリツコを、巣の中央で座っていたジャネットの笑顔が出迎えてくれた。
「お帰りなさい。どうしたの?」
2人の帰りが遅かったことを疑問に思って、ジャネットが首を傾げている。
エヴァンはといえば、待ちくたびれたのか彼女の膝を枕に穏やかな寝息を立てている。
「実は……」
沈痛な表情でリツコが事情を語ると、聞いていたジャネットの表情も同じように硬いものとなっていった。
「……という訳なんです」
時折アドラメレクの補足説明が混じったものの、要点を話し終わったリツコが大きく息を吐いた。
思い思いの表情で考えに耽る3人の間に、しばし沈黙が降りる。
「ねえ。ずっと思ってたんだけど、リツコはこのままここにいる気なの?」
唐突に、アドラメレクが口を開いた。
「どういうことですか?」
質問の意図が分からず目を瞬かせるリツコ。
「何で蜘蛛達の問題にそんなに関わりたがるのかな、って思って。だって、僕達を食べても狼に特にメリットは無い筈だし」
このまま4人で逃げたらいいのに、と言いながらアドラメレクは首を傾げた。
その真っ白な瞳は、少女の悩みを心底不思議そうに見つめていた。
「だ、だって、今まで親切にしてもらってたんですよ?」
見捨てて逃げるなどという選択肢を選ぶのは、いくら何でも薄情ではないのか。
「残って、何か意味があるの?」
一緒に死ぬのかと言外に問いかけられて、リツコは言葉に詰った。
それは2人に命を預けるしかないエヴァンとジャネットに対して、あまりにも無責任な仕打ちではないか。
「逃げるべきか、戦うべきか……」
どちらを選んでも丸く収まりそうに無い事態に、頭を抱えてリツコは唸る。
「2択に絞らないとダメなのかしら」
悩む少女を見て、ジャネットが不思議そうに首を傾げた。
その発言の意図を掴めず、彼女と同じようにリツコの頭も傾いた。
「どういうこと?」
同じように頭を傾けたアドラメレクが尋ねると、ジャネットの首が元に戻る。
「蜘蛛さん達は私達にどうして欲しいって言ってるの?」
ジャネットのブラウンの瞳に、アドラメレクのきょとんとした表情が映る。
思い返してみれば、大蜘蛛たちからこちらに対しての要望などは一切なかった。
「何も、言われていません」
相手の意向も聞かないうちに先走ってしまったことを反省して俯くリツコの頭に、手が載せられた。
「じゃあ、こうしましょう」
少女の頭を撫でながら、ジャネットが人差し指を立てた。
「4日の猶予があるのだから、3日は頑張ってみましょう。それでダメだったら逃げるの。蜘蛛さん達には悪いけど、戦うとなったら私達に出来ることはないもの」
同意を求めるように微笑まれて、リツコは目を丸くした。
「頑張るって、何をがんばるのさ」
不満そうではあったが、特に反対する様子もなさそうなアドラメレクが手を挙げて質問する。
こんな時でも無意識に出てしまう授業の成果。ジャネット先生の教育の賜物である。
「何って、狼の魔力を上げる方法が分かれば仲良く出来るんでしょう?」
じゃあ、それを考えなくっちゃ。とジャネットが続けた。
リツコとアドラメレクが顔を見合わせる。
「でも先生。それは難しいという結論が出ています」
手を挙げて、会議で話し合った内容をリツコが伝える。
「難しいかもしれないけれど、不可能ではないのでしょう?」
言いながら、ジャネットが部屋の隅においてあった荷物を漁りだした。
羊皮紙を床に広げ、その上にインク壷を置く。最近作ったお手製の羽ペンを片手に彼女は微笑んだ。
「ほら、早速考えてみましょう」
巣から漏れるランプの小さな光は、日の光にかき消されるまで一晩中灯り続けていた。
狼との決着までもうちょっとかかります。




