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論より証拠

 夜行性の生き物達が忍び足で活動を開始し、蝙蝠たちの羽音が小鳥達の囀りにとって代わる。

 薄暗くなった森の中を、リツコとアドラメレクの2人は1匹の大蜘蛛と共に歩いていた。

 泉から少し離れた場所。蜘蛛たちの縄張りの端の方にあるどっしりとした背の低い木の前へ差し掛かったとき、一行は足を止めた。

「これは……」

 魔物言葉で声を上げたのはアドラメレク。

 その足元にいたリツコは、無言で彼のシャツの裾を握り締めた。

 体の大半を食いちぎられて物言わぬ躯となった2匹の番の大蜘蛛と、夫婦の子供たちのものであろう短い足が地面に散らばっていた。

 太陽が沈みかけているために、生き物の死を目の当たりにした生々しさよりもホラー映画のワンシーンのような不気味さが漂っている。

「マタカ」

 リツコ達と並んでその光景を眺めていた大蜘蛛が、感情を抑えた声でぽつりと呟いた。

 目の前の惨状に声を失っていたリツコが、それに反応して声の主を仰ぎ見る。

 それきり黙ってしまった蜘蛛にどう言葉をかけてよいか分からず、リツコは握ったシャツを軽く引いた。

「これで4件目だね」

 リツコが怯えていると思ったアドラメレクが、彼女を抱き上げて険しい表情を作った。

 彼らの視線の先、命を失った蜘蛛の一家の傍らには1匹の狼の亡骸が転がっていた。

 怪我をした子蜘蛛を保護するまでリツコは知らなかったのだが、最近大蜘蛛の縄張りに頻繁に狼が現れているようだ。

 彼らは普通の草食獣だけでなく、大蜘蛛を襲った。大蜘蛛が1匹でいる、もしくは子蜘蛛と共にいるところを狙われるのだ。

 あの日、エヴァンとジャネットが巣に篭っていたのも危険を察知した蜘蛛達に半ば強引に木の上に押し戻されてしまった為だった。

「どうして狼は蜘蛛を襲うんですか?」

 最初の襲撃からまだ10日も経っていないというのに、既に4件もの被害が出ている。

 遭遇したものの、数や互いの位置の関係で争いにならなかった回数も合わせると更に多い。

 猪や鹿といった襲い易い生物は他にたくさんいる筈だが、狼達はまるで大蜘蛛を狙っているかのように頻繁に襲撃を繰り返している。

「強力な魔物を食べるのは、魔力を得るためだよ」

 アドラメレクの返答に、リツコはすぐ上にある彼の顔を見上げた。

「魔力?」

 リツコにとっては冗談にしか聞こえない単語が出てきたが、当のアドラメレクの表情は真剣そのものだった。

 大蜘蛛が魔物に分類されると聞いても、言葉を話す時点で普通の動物ではないことを察していたリツコは驚かない。しかし、魔力とは何なのかと彼女は首を傾げた。

「そう、魔力だよ。もしかして、リツコ知らないの?」

 肯定の意味を込めて頷いたリツコに、アドラメレクは空いたほうの手で困ったように頭を掻いた。

「うーん、なんて言えばいいかな。生き物だけでなく、空気とかにも含まれてる……なんかそういうものだよ。僕やリツコの中にもあるよ」

 相変わらず要領を得ない彼の説明に焦れたリツコが問い詰めた結果、魔力とは魔物における体力や筋力のようなものであるという理解に落ち着いた。

 例外はあるが、普通は魔力が高いほど食物連鎖のトップに近くなる。

 日々の生活の中で魔力が増減することは殆どなく、大きな魔力をもった生き物を食すことで飛躍的に増やすことができるのだという。

「アドの魔力はどの位なんですか?」

 ふと疑問に思ったリツコが問いかけると、アドラメレクは黙って目を逸らした。

 何となく、聞いてはいけないことを聞いたような気がしてリツコも黙り込む。気まずい沈黙が流れた。

「あ、えーっと……何で狼は魔力を求めているのでしょうか?」

 慌てて話を逸らすと、虚空を彷徨っていたアドラメレクの瞳が彼女へと戻る。

「理由は色々あるだろうけど、縄張り争いに負けて追い出されたとかじゃないのかな」

 今までの住処を失った狼達は新天地で生きていく為に力を欲している、というのがアドラメレクの予想だった。

「仲良くは出来ないんですか?」

 肉食の狼と草食の蜘蛛ならば同じ土地を共有できるだろうに、とリツコが付け足す。

「強くなければ生きていけないんだよ」

 呟いた魔物の声は低く、命のやりとりのない平和な日常を生きてきたリツコはその冷たい響きに思わず身震いをした。

 少女の不安に気付いたのか、アドラメレクが彼女を抱く両腕にやんわりと力を込めた。

 冷静に考えてみれば、蜘蛛にとってはいつ狼が牙を剥いてくるのかという不安から警戒するだろうし、食料に困れば狼は蜘蛛を襲うだろう。

 いつ自分を攻撃してくるか分からない者を隣人として歓迎できるかというと、難しい話だといわざるを得ない。

「そうですね」

 お気楽な自分の発言を反省して俯くリツコの耳に、足音が届いた。

 それは気配を殺しながら移動する複数の獣の足音で、感度の高くなった彼女の聴力をもってしても聞き逃しそうな微かな音だった。

「アド」

「しっ」

 開こうとしたリツコの口を、アドラメレクが手で塞いだ。

 緊張に身を強張らせる2人の異変に気付いて、大蜘蛛も全身の毛を逆立てて警戒姿勢をとる。

 ざわり、ざわりと森が揺れ、リツコ達は周囲の木々が迫ってくるような息苦しさを感じた。

 それは時間にすれば数秒だったろうが、体感では遥かに長い。

 余裕があるうちに木の上に避難しようと足を踏み出した大蜘蛛の進路を塞ぐようにして、灰色の獣が姿を現した。

「囲マレタ」

 動きを止めた大蜘蛛の声は動揺しているのか、微かに震えていた。

 単独行動は危険な為、ここ最近大蜘蛛たちは必ず3~4体で組んで行動するようにしていた。

 それによって襲撃を防ごうとしていたのだが、残念なことにリツコとアドラメレクは狼にとって警戒すべき相手ではなかったようだ。

 大蜘蛛の背を守るようにアドラメレクが移動すると、それを待っていたように彼の前にも狼が現れる。

「さて、どうしようか」

 大蜘蛛の言葉通り、金色に輝く目の狼に四方を囲まれてアドラメレクが額に汗を浮かべる。その数11匹。

 彼に縋りつくように身を縮めたリツコは、止まりそうになる呼吸を必死で制御していた。

 戦うにせよ逃走を図るにせよ、早々にその腕の中から降りなければ邪魔になるのは分かっていた。

 しかし、血の気が引いて真っ白になったリツコの手足は石にでもなってしまったかのように言うことを聞かなかった。

 小さな歩幅でじりじりと包囲を狭めてくる狼たちの動きは統制されており、無駄な吼え声一つ上げない。

 一際体格の良い狼が大きく一歩を詰めようと足に力を込めたその瞬間、リツコの口から思いがけず言葉が飛び出した。

「貴方達の負けです」

 鈴の転がるような声で告げられたその言葉に、狼達が足を止めた。

 蜘蛛とアドラメレクも動きを止め、周囲の視線が少女に集まる。

「何だと?」

 驚いたのか呆れたのか、答えたのは群れのリーダーと思しき体格の良い狼だった。

「人間よ。お前は我らに勝てる気でいるのか?」

 圧倒的有利な状況で心理的な余裕が生まれているのか、狼たちがその場で顔を見合わせてくつくつと笑いあう。

「さあ、どうでしょう」

 大蜘蛛の警告を受けて去っていった狼の後姿を思い出して咄嗟に言葉をかけたリツコだったが、自身の発した思わぬ言葉に困惑していた。

 どう続ければ良いか分からないままに、彼女は恐怖に縮こまろうとする背中を伸ばして無理やり胸を張った。

「確かに、私たちは殺せるでしょう。しかし、その後はどうなりますか?」

 早鐘のように鳴っているのは自分の心臓なのか、自分を抱えた魔物のものなのか。

 深く息を吸い込んだリツコは、わざとゆっくりとした調子で紡ぐ。

「番の大蜘蛛を倒すために、貴方達は1匹の犠牲を払いました。私達3人を倒すためにまた1匹の犠牲が出ます。大蜘蛛から縄張りを奪いきるまでにお仲間が何匹必要か、ちゃんと考えてますか?」

 芝居がかった大げさな仕草で肩を竦めたリツコが居並ぶ狼達を見渡せば、怪我を負っているものも少なくない。

 万全とは言いがたい狼達の姿に活路を見出そうと、彼女は必死で頭を回転させる。

「……」

 リーダーの金色の瞳が思案するように揺れたのを見て、彼女は畳み掛ける。

「目の前の敵にこだわった結果、群れを維持出来なくなる。それを敗北と言わず、なんと呼ぶのでしょう?」

 高飛車に言い放ったリツコだったが、内心は滝のような冷や汗をかきながらの綱渡りだ。

 彼女の言葉は、冷静に考えれば鼻で笑われるような暴論だった。

 狼の数が目の前にいる11匹より遥かに多ければ、数匹の犠牲などささやかなものだ。

 そもそも、蜘蛛2匹に対して狼側に毎回1匹の犠牲が出るという前提条件自体が怪しい。

 彼らが縄張りを奪いに来たというのもアドラメレクの言葉から推測したものに過ぎず、大蜘蛛を襲って力を増せば狩りも楽になって犠牲を出さずに済むようになるのかも知れない。

 それでも、相手に一瞬でも迷いが生まれたならば考える隙を与えてはいけない。

「そんなことでは、生き残れませんよ」

 この場の主導権を握る為に、リツコは矢継ぎ早に言葉を放つ。

「では、お前ならどうするのだ」

 獲物は餌に食い付いた。馬鹿にされていると感じたのか、獰猛な唸り声を上げた狼たちがリツコを睨みつける。

「もっと効率良く魔力を得られる手段を選びます」

 今にも逃げ出しそうになる自分を叱咤しながら、リツコは顧客の前で商品のプレゼンテーションをする営業員の気分になっていた。

 会社であれば数値も根拠も資料も無い時点で切って捨てられる稚拙なものでしかないが、命がかかっているのだから止める訳にはいかない。

 彼女は口先と根拠のない自信だけで、強引に聴衆を納得させる必要があった。

「わざわざ蜘蛛を襲って敵を増やす必要はありません」

 彼女は赤い瞳に居並ぶ狼達を次々と映し、次の台詞を考えながら深く息を吸った。

「では、やってみろ」

 再び口を開く前にリーダー狼から告げられた言葉に、リツコの唇が半開きのまま止まった。

「……まさか、出来ないとは言わないだろうな?」

 ペースを乱されて硬直した少女に、狼たちが口角を上げて脅すように牙を見せつけた。

「まさか!しかし、準備が必要ですので7日程時間を頂きたいのですが……」

 気力を総動員して笑顔を取り繕ったリツコの額から、玉のような汗が顎へと伝い落ちる。

「1日あればよかろう」

 狼達はどう見ても、リツコの言う効率の良い手段に期待などしていない様子である。

 強者の余裕からか、純粋な好奇心か。はたまた、体力を回復して万全の状態で大蜘蛛に挑む気なのか。

 真意は読めないものの殺意の和らいだ狼達を相手に交渉を続けたリツコは、魔力を得る手段を提示する為の準備期間として4日を得た。

喋っているうちに、自分でも何を言ってるか分からなくなることってありますよね。

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