故郷の味は人それぞれ
ヴァーラス王国の女性は、結婚すると専業主婦として家庭に入り家事をこなすのが一般的なのだとジャネットは語った。
教師として働く彼女は少しイレギュラーではあるが、兼業主婦として家事全般と子育てを行ってきたそうだ。
主婦暦18年のベテラン主婦が作った料理がリツコ達の前に並べられていく。
木で作った簡易テーブルに広がるのは、魚の香草焼きとキノコのスープ、数種類の木の実を使った炒め物である。
初めて目にしたときは、自分達で作っていた頃よりも華やかな食卓に皆感動したものだ。
……最初の一口を味わうまでは。
「さあ、召し上がれ」
人の良さそうな笑みを浮かべながら、子供たちを見守るジャネットには一片の悪意も無い。
「……いただきます」
故郷の習慣を守って食前の挨拶をし、リツコは深呼吸をして気合を入れた。
枝を削って作ったお手製のスプーンで炒め物を口へ運び、下を向いて表情を隠す。
『不味いっ!!』
ジャネットたちには通じない魔物言葉で小さくぼやいたリツコは、意を決して皿に盛られた残りを一気に掻き込む。
「ごちそうさまでした!」
ろくに咀嚼もせずに食事を終えたリツコは、ぎこちない笑顔を浮かべて手を合わせる。
「あら。そんなに急いで食べると体に毒よ。ゆっくり噛んで食べないと」
少女の行儀の悪さを、ジャネットは困り顔でやんわりと嗜める。
ゆっくり味わったら吐きそうです。などという暴言を料理と共に飲み込んだリツコは、煮沸して作った飲み水で癖の強い後味を消す。
『はっきり言ったらいいのに』
隣で生の木の実を齧っていたアドラメレクが、他人事のように言う。
ジャネットの料理を食べた初日に人間の料理は口に合わないと宣言した彼は、以降自分で用意したものを好きに食べている。
『言えるわけ無いじゃないですかっ。折角作ってくれてるのに!』
こそこそと小声で反論して、リツコは自分の正面の席でマイペースに食事を摂っているエヴァンに目を移す。
彼は特に文句を言うことも無く、至って平和な表情で料理を口に運んでいる。
『エヴァンの反応からすると彼女の料理が不味いわけではなく、これが普通なんだと思います』
日本から出たことの無かったリツコは伝聞でしか知らないが、外国に長期滞在すると日本料理が恋しくなる人が多数いるらしい。慣れない味付に舌が戸惑うのだろう。
ジャネットお手製の香草が効きすぎてやたら香りのきつい魚料理とスープも、火を通しすぎてぱさぱさになった炒め物も、この近辺に在住している人には普通の郷土料理なのかも知れない。
郷に入っては郷に従え、だ。諦めて舌が慣れるのを待つしかない、とリツコは頭を垂れた。
「ねえ、分かる言葉で話してよ!」
魔物言葉で話す2人にのけ者にされていると感じたのか、エヴァンが頬を膨らませた。
「あ、ごめんね」
慌ててリツコが謝ると、彼は険しい表情のままアドラメレクのほうへ顔を向けた。
「アドも!」
「はいはい。ごめんねー」
きっと睨みつけるエヴァンに、アドラメレクがやれやれと肩を竦める。
アド、とはアドラメレクに対してエヴァンが付けた愛称だ。フルネームが長くて呼びにくいので、リツコも彼を呼ぶときにそれを採用させてもらっている。
「もうっ!」
いい加減な彼の返事に、エヴァンが拗ねて口を尖らせている。
「でも、リツコは不思議ね。人間には魔物の言葉は理解出来ないと言われているのに」
彼らのやりとりを微笑ましく眺めていたジャネットが首を傾げた。
彼女が人語を教えるのを真似て、リツコもエヴァンたちに魔物言葉を教えようとしたことがある。
不思議なことに、エヴァンはそれを聞き取ることも発音を真似ることも全く出来なかったのだ。ジャネットも同様である。
彼らにとって、リツコとアドラメレクの会話は全て規則性のない獣の鳴き声のように聞こえるそうだ。
言葉が通じるようになってからジャネットに尋ねたところ、人間の言葉をある程度習得するまでリツコは自分の名前を『でぃ』に近い音で表現していたのだという。
「何故でしょう」
真似をして首を傾げるリツコに、ジャネットが困ったように眉根を寄せた。
「どうしてかしら?」
何かを期待するように、彼女は疑問をアドラメレクへ投げた。
「そんな事知らないよ。僕と会った時には魔物言葉しか喋ってなかった」
デザートとして林檎に似た果物を齧りながら、アドラメレクが答える。
「うーん。魔物にでも育てられたのかしらね」
想像力を働かせているのか、ジャネットが空を見上げて小さく唸っている。
彼女の発する質問や推理にアドラメレクがおざなりな返事をし、エヴァンが不思議そうな表情で2人のやりとりを聞いている。
食卓を囲みながら談笑する大人2人と子供1人。
それはまるで、リツコの見慣れていた日常風景のようだ。
「そういえば、リツコの髪や目は珍しい色をしているわね。ご両親はどんな方なのかしら」
言いながら、ジャネットがまじまじとリツコの顔を覗き込む。
「分かりません。気がついたら森の中にいたので……」
胡桃色をしたジャネットの目と目が合い、ぼんやりとしていたリツコは数回瞬きをしてから首を左右に振る。
数秒前まで両親と共に食卓を囲んでいた記憶を呼び覚まされていた彼女の頬には、いつの間にか小さな雫がくっついていた。
「あら、ごめんなさい。無神経なことを言ってしまって」
慌てたジャネットがハンカチを取り出して、リツコの頬を優しく拭った。
「あれ?」
涙を拭かれて初めて、リツコは自分が泣いてしまっていたことに気がついた。
「ち、違うんです!先生のせいじゃなくって!」
顔の前で両手を振りながら、リツコが必死に弁解する。
「ただ、皆の姿が家族みたいで思いだ……私には記憶が無いから羨ましくなって」
自分の家族を思い出して感傷的になっていたことをうっかり告げそうになったリツコは、慌てて言い直す。
「……」
急に静まりかえってしまった場の雰囲気に、気まずくなったリツコは黙り込んだ。
不思議そうな顔のアドラメレクから、ハンカチで口元を押さえて目を潤ませているジャネットへ視線を移す。
「僕も」
リツコの視線がジャネットを通過して自分のほうへ移ったのを感じて、エヴァンが椅子から立ち上がった。
「僕も家族いないよ」
ぎゅっと拳を握ったエヴァンはリツコの前まで来ると、膝をついて彼女の手をとった。
「僕と家族に、なる?」
白い肌。ふっくらした薔薇色の頬。太陽の光を紡いだ様な金髪。
夏の草原を凝縮したような澄んだ瞳が、強い意志の光を湛えてまっすぐに自分を見上げている。
「天使っ」
まるでプロポーズのような台詞と姿勢に、リツコの心はぐらりと揺れる。
変な意味など無い、相手は齢10にも満たない子供なのだ。落ち着け私、と彼女は必死になって自分に言い聞かせる。
「うん。ありがとう!」
妙な嗜好に目覚める前に冷静さを取り戻したリツコが無邪気な少女を装って頷くと、エヴァンが嬉しそうに笑って彼女に飛びついた。
ぎゅっと抱き付き合う少年少女を見て、ジャネットが肩を震わせて勢い良く立ち上がった。
「2人とも、今日からうちの子よ!」
感極まったように両手を広げたジャネットに、2人は強く抱き寄せられた。
「く、苦しい」
ふくよかな胸に押し付けられて息が出来ず、もがいていたリツコの目にすっかり蚊帳の外に追いやられて寂しそうな魔物の姿が映った。
「アドも家族よ。ほら!」
リツコが誘うように手を伸ばすと、魔物は困ったような表情になった。
「アドも!」
真似をしてエヴァンも手を差し出す。
「よく分からないけど……えいっ」
困ったように笑ったアドラメレクが、長い腕で3人を包んで持ち上げた。
地面から足が浮いて驚いたジャネットからは悲鳴が、締め付けられて苦しくなった子供達からは抗議のうめき声が上がる。
「あははっ」
悪戯に成功した子供のように声を上げて笑うアドラメレク。解放されたリツコたちは、大きく息を吸って足りなくなった酸素を補給する。
「そういえば、アドには家族は居ないんですか?」
ふと疑問を感じて、リツコが彼を見上げる。
「いないよ。僕たちの一族は、卵から生まれた後は1人で生きていかないと駄目なんだよー」
人に良く似た姿のアドラメレクがまさかの卵生だったことに衝撃を受け、リツコが唖然とする。
「お、おへそはないのでしょうか……」
間の抜けた表情になったリツコの視線が、シャツに隠された魔物の腹部に釘付けになる。
その下を見たことがあっただろうか。体感では1年近く一緒にいるので、彼の腹くらいは目にしたことがある筈だ。しかし、どうも思い出せない。
「秘密」
もやもやした気持ちを抱えて難しい表情になったリツコを見て、アドラメレクがいたずら小僧のように長い舌を出した。
リツコファミリー誕生。
何となく、ファミリーって言うとマフィアっぽい気がするようなしないような。




