りっすん・あんど・りぴーと
細い光線が降り注ぐ巣の中。
床に直接腰を下ろした少年の、まっすぐ前に伸ばした足の間にリツコはちょこんと座っていた。
並んで伸びる2組の細い足が斑な光を浴びて並んでいるのを、リツコはじっと見つめている。
彼女の頭上では、少年と女性の会話が続いていた。
リツコはすっかり蚊帳の外だが、少年が彼女を抱いたまま離さないのでぬいぐるみのように力を抜いて為されるがままになっている。
少年だけでなく、アドラメレクも度々リツコを抱きしめて離さないことがあるのだが、彼らは自分を何だと思っているのだろうと疑問に思っている今日この頃。
そろそろ抱き枕に転職しても良いかも知れない、などと思考を弄びながらリツコは2人の話が終わるのを待っている。
アドラメレクと話をしている間の少年の気持ちが何となく察せられて、彼女の中で申し訳ない気持ちが膨らみかけてきたころ。
長い話し合いにようやく結論が出たようで、女性が口を閉じて顎に手を当てて何かを考え込み始めた。
少年もそれ以上何かを言うことなく、緊張を解いてリツコに回していた手から力を抜いた。
拘束を解かれてほっとしていた彼女の頬に、少年の温かい手が添えられる。
「ぶっ」
すっかり油断していたリツコは、突然両頬を潰されて口内の空気を勢い良く吐き出した。
背中越しに聞こえる少年の笑い声に、抗議をしようと彼女は体ごと彼へと向き直る。
「ちょ、止めて。止めて!!」
目が合ったとたんに意地悪そうに口を歪めた少年が、リツコが嫌がるのも構わず頬を両手で摘まんで引き伸ばした。
6歳児の柔らかい頬の感触が気に入ったのか、ひっぱったり潰したり撫でたりと彼は好き勝手に遊び始める。
「ううっ」
天使の顔をした悪魔に翻弄されながら、強制的に百面相をさせられることになったリツコは悟った。
自分は抱き枕ではない。玩具なのだ、と。
少年と女性の話し合いが行われてから数日、巣の隅に座り込んで何かを悩んでいた様子の女性が行動を起こした。
リツコの手が空いたタイミングを見計らっては積極的に近付き、話しかけてくるようになったのだ。
「××××」
女性が自身を指差しながら、口を開く。
彼女が発するのは以前リツコを追い詰めたような長文でなく、非常に短い言葉だ。
その場にある植物や石、空を指差しながら、何度も同じフレーズをゆっくりとした速度で繰り返し発音する。
リツコが真似をして声を発するようになると、指先を別のものへ移して同じことを行う。
それを何日も繰り返せば、言葉の通じないリツコにも彼女の意図は分かった。
女性はリツコに人間の言葉を教えようとしているのだ。
それに気がついてからは、リツコは自分から女性へ近付いて教えを乞うた。
リツコが勉強の為に女性の後を歩いていると、その更に後ろに少年がくっついてくるようになった。
その様子はまさに、母鳥を先頭に歩く鴨の親子のようだった。
一通り発声練習が終わったある日の午後、リツコはふと思いついたことがあって回れ右をした。
ワンピースの裾を膨らませながら勢い良く振り返った少女に、すぐ後ろにいた少年は驚きに目をまるくした。
「りつこ、です」
リツコは自分を指差しながら、少年に向かって自己紹介をする。
彼と出会って随分と経ち、お互いの好き嫌いや得意なことは何となく察することができるようになった。
しかし、未だに彼女は少年の名前を知らない。
恐らく、彼も目の前の少女の名前を知らない。
それに気付いて、リツコは少し寂しい気持ちになったのだ。
「いっ」
意図を理解したのか、少年が真似をして声を発した。
しかしそれは、リツコとは似ても似つかない別の音だった。
「り・つ・こ」
「いっう?」
小さい子供に教えるようにリツコが一音一音を区切って発してみても、少年はお手本どおりに出来ない。
「~~~~っ!!」
上手く発音出来ないことに癇癪を起こした少年が、駄々を捏ねる幼児のように奇声を上げた。
その大音量に慌てたリツコが、彼に飛びついて口を塞いだ。
押さえつけられた少年はしばらくもごもごと口を動かしていたが、リツコに優しく頭を撫でられて大人しくなる。
「今度は、あなたの名前を教えて?」
宥めるように囁いたリツコの意思を理解したのか、指先を向けられた少年は涙の溜まった目を瞬かせて頷く。
「えぶ」
少年が自らを指差しながら、小さく声を上げた。
「えぶ?」
リツコは聞こえたとおりに真似をしたつもりだったが、聞いた少年は不満そうに首を横へ振った。
お互いに上手く発音出来ないことに焦れながらも、ちょっとした時間を見つけて2人はそれを繰り返した。
闇に包まれていた森に朝日が訪れると、鳥達が一斉に囀り始める。
薄っすらともやのかかった泉を見下ろしながら、リツコは一つ大きな欠伸をした。
夜目の利く彼女のマイブームは太陽よりも早起きして巣の入り口に寝そべり、徐々に明るくなっていく森の様子を眺めることだ。
そうして観察していると、この森は他の場所と比べて少しばかり静かなだけで様々な生命が溢れる自然豊かな場所であることが分かる。
今朝も、泉の水を飲みにリスや兎のような小動物が集まってきていた。
「おはよう、リツ」
可愛い動物達を夢中で観察していたリツコは、背後から声をかけられて振り返る。
「おはよう、エヴァン」
薄暗い中に寝ぼけ眼を擦りながら立っていたのは、金髪緑目の美少年。
寝巻きの裾から見える細い足を折って、彼はリツコの隣にぺたりと座る。
最近になってやっとお互いに名前を呼び合えるようになった2人は、並んで泉に目を向けた。
「今日は何がいるの?」
光を受けた水面のようにキラキラとした瞳を瞬かせて、舌足らずな発音でエヴァンが問いかける。
「兎やリス、あと猪がいますよ」
そう言ってリツコがウリ坊を連れた猪を指差すと、エヴァンの目がそれを追う。
近くで遭遇すると怖い動物だが、襲われる心配の無い場所から眺めている分には可愛いものである。
「猪!」
ほのぼのと水を飲んでいる猪の親子に、エヴァンが座ったまま体を揺らしてはしゃいでいる。
彼の可愛い仕草に、心和んだリツコの頬も緩む。
「美味しいよね!」
無邪気に笑う少年の心は、食欲で満たされていたようだった。
ひと月ほど前にリツコが作った牡丹鍋の味を思い返したのか、その口元に涎が光っている。
「……朝食にしましょうか」
エヴァンの子供らしい素直さに苦笑しながら、リツコが提案した。
やっと人間同士で会話が出来るようになりました。
少年の登場から名前が出るまで、予想外に長かった……。




