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乙女のピンチ

 闇のベールに包まれ始めた泉の淵を、白い煙と共に魚の焼ける香ばしい匂いがゆらゆらと漂っている。

「うーん、こんなものかな?」

 焚き火を囲むように刺した串の一本を取り上げて、リツコが皿に載せた。

 森で拾った枝を箸代わりに、串に刺していた魚の火の通りを確認する。

 ぱりっと焼けた皮を割れば、中からはふっくらとした白い身が覗く。

「うん。いい感じ」

 まだ赤みの引かない目元を拭って、リツコは残りの魚を3つの皿に取り分ける。

 リツコは一番大きな魚を、食料調達の功労者である少年の目の前に差し出した。

「?」

 彼は受け取ろうと手を伸ばしかけて躊躇し、窺うように傍らを見上げた。

 視線の先に居たアドラメレクが頷くと、少年は皿を膝の上に載せて嬉しそうに笑った。

 アドラメレクも魚を受け取り、膝に載せる。

 すっかり習慣となった、いただきますのポーズをしてから2人はそれを食べ始めた。

 最後の皿を持って立ち上がったリツコは、腰に火を灯したカンテラを吊り下げて梯子に手をかける。

 片手が塞がっていながらも、危なげなく頂上にたどり着いた彼女はカンテラと皿を床に並べた。

「お夕食です。ここに置いておきますね」

 リツコは奥の暗がりに向かって声をかけた。

 返事は無かったが、リツコの目にはカンテラの明かりを浴びて蹲る女性の姿がはっきりと見える。

 言葉は通じないが、ここに食事があることは伝わるだろう。

 女性に背を向けて、リツコは自身も夕食を摂るために地上へと降りた。

「どうするの、彼女」

 自分の分を食べ終わり、何も無くなった皿を弄んでいたアドラメレクが戻ってきたリツコに気付いて顔をあげた。

 今リツコが食事を運んだ女性は、昼間に盗賊に襲われていた人物である。

 幸いにも彼女に大きな怪我は無く、負っていた軽い傷や打撲も手持ちの薬品の中から傷薬を見つけ出したアドラメレクによって手当ては済んでいる。

 しかし襲われたショックの為か魔物と謎の子供たちが恐ろしい為か、昼からずっと巣の隅に座り込んだまま動かないのだ。

「どうしましょう」

 椅子代わりに地面に置いた石に腰掛け、魚の身をほぐしながらリツコは首を捻った。

 唸りながら身を口に運べば、川魚特有の香りが振りかけた少量の塩と混ざり合って口の中へ広がった。

 この魚の味や食感は虹鱒に近いようだ。

「森の中へ放り出す訳にもいきませんし、暫く滞在してもらうことになりますね」

 人の世界へ帰そうとすれば、リツコは女性を守って静寂の森を抜けて街まで行かなくてはならない。

 森の中にどれだけの魔物がいるのかを知ってしまった今、リツコにはアドラメレクに連れられて歩いてきた道を無事に戻る自信は無い。

「なら、食料が沢山要るね」

 言いながら、アドラメレクが隣に顔を向ける。

 つられてリツコが視線を移した先では、少年が一心に魚に齧りついていた。

「?」

 注目されて、口をもごもごと動かしながら少年が首を傾げる。

「そうですね。明日からがんばりましょう!」

 少年の可愛らしい仕草に励まされ、リツコは勢いよく頷いた。

 情けなく泣いてしまった分も挽回しようと気合を入れなおして、彼女は焼き魚を口へと運んだ。



 しんとした泉の傍を、彼は一つの木を目指して歩いていた。

 朝日を受けて輝く朝露は妖精の瞳のように輝いており、その美しさに時たま足を止めながらのんびりと進む。

 やがてたどり着いた木の下には、森の中では他に見たことのない奇妙なものが沢山並んでいた。

 ここは、最近やってきた奇妙な生き物達の住処である。

 土で作られたドームには天井に穴が開いており、黒い頭の住人が時折中に火を入れて食べ物を加工している。

 木の幹に立てかけられた長い木の棒には長い糸がついており、昨日は金色頭の住人がそれを使って泉の中にいるきらきらした生き物を捕まえていた。

 布を継ぎ合わせて作った屋根の下には、銀の木と同じ色をした危ないものが沢山積み上げられている。

 面白そうなものは他にも沢山あるのだが、彼にはそれらが何なのか分からない。

 想像力を働かせながら周囲を観察していた彼がそろそろ住人達を訪ねようと樹上に目を向けると、いつもと違う光景が目に入った。

 木の幹のすぐ隣から垂れている、糸を寄り合わせて作った昇降用の器具が無いのだ。

 住人達が『はしご』と呼んでいたそれがあると上るのが楽だったのだが、と落胆した彼が仕方無しに木の幹に飛びついた時。

「アドラメレクのバカーーーー!!!」 

 樹上から甲高い叫び声が上がり、その剣幕に彼は思わず足を止めた。



 朝日を受けてきらきらと輝く森は美しく、小鳥の歌声は耳に快い。

 そんな外の世界を前に、わなわなと震えるリツコ。

 彼女の隣にならんだ少年も、困った顔をして光の溢れる方向を見つめていた。

 丸く空いた外へと続く出入り口。

 そこに本来あるべきものが無く、その為に2人は外に出ることが出来ない。

「梯子がないじゃないの!!」

 リツコの言葉通り、この巣から出る為の唯一の手段である縄梯子が無くなっているのだ。

 梯子を外した状態で木から降りることが出来る人物はここには1人しか居らず、誰がやったのかなど考えるまでもない。

 怒りに任せて叫んではみたものの犯人は声の届く範囲にいないようで、リツコの見下ろす地上に彼の姿はない。

 彼女の叫びが聞こえたところで、アドラメレクがすぐに戻ってくる可能性は低い。

 そもそも、残された者たちの怒りを買うことを恐れるのならば最初から軟禁などしないはずだ。

 苛立ちを抑えきれないままにリツコが振り返れば、巣の奥に疲れきった顔をした女性が膝を抱えて座っているのが見える。

 部屋の中央には、山のように積み上げられた果実と桶に入ったたっぷりの水が置かれていた。

 3人の朝食として用意されたのだろう。

 新鮮さを主張するように艶やかに輝く果実たちが、見るものの胃を誘惑するはずなのだが。

「食べとる場合かあぁ!!」

 目に映る何もかもに怒りを覚えて、リツコが力いっぱい床を踏み鳴らす。

 大きな音と共に、軽い地震のように巣が震える。

「!!」

 少女の怒り様に驚いた少年が、慌てて彼女を押さえにかかった。

 彼は暴れるリツコを両腕の外から手を回して抱きかかえ、その額に自分の額をくっ付けた。

「あ、う」

 お互いの鼻先が触れ合いそうな距離で、新緑色の澄んだ瞳がリツコを見つめる。

 驚いた彼女の思考が一瞬停止し、同時に巣を襲っていた揺れも収まった。

「うう……」

 怒りに吊りあがっていた眉尻が下がり、リツコの紅玉色の瞳が潤んだ。

 食料調達に連れて行ってもらえなかった悔しさはもちろんある。

 しかし、彼女の怒りの最大の原因はそれではなかった。

 人が生活する為に必要なのは、水と食料だけではないのだ。

「おトイレ、どうするのよぉ……」

 リツコが弱弱しい声で呟いた。

 樹上にあるただの大きな籠である巣に下水施設などあるはずも無く、地面に下りることの出来ない彼女達にとってそれは深刻な問題だ。

 焦るリツコを余所に、アドラメレクが帰ってきたのは太陽が頭上に昇る少し前のことだった。


ちょっと品が無いですが、女性には結構深刻な問題かなと。

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