森生活のススメ
リツコが目を覚ますと、薄暗い籠の天井に細かい朱色の光が散っていた。
身を起こそうとした彼女は、何か柔らかいものに拘束されていることに気付いて自分の体を見下ろす。
背中側から伸びて腰に巻きつく細い2本の腕。
耳元を擽る穏やかな寝息。
首を回して背後を見やると気持ち良さそうに眠る少年の顔が視界に入り、リツコは困惑した溜息をつく。
「どうしよう」
抱き枕にされた状態のまま助けを求めて見渡すが、見える範囲にアドラメレクの姿はなかった。
仕方なく、彼女は寝転んだ状態のまま巣の中を観察することにした。
籠状の巣は蜘蛛の糸と蔦を上手く編んで作ってあり、外から見るよりしっかりとした造りになっていた。
樹上にありながら揺れも少なく、採光できる入り口が小さい為中が薄暗いことを除けば案外過ごしやすい空間だった。
巣の壁に散っている朱色の点は、僅かに空いた籠の目から外の光が入っている為だった。
「もう夕方かぁ」
光の色から夕日だと判断して、リツコは呟く。
長く眠っていたことを自覚すると同時に、腹の虫が鳴り出して彼女は頬を染めた。
そっと少年の方を窺い、彼が変わらず眠っていることを確認してほっと息を吐く。
そのままじっと入り口の穴を見つめていたリツコは、そこに括り付けられた縄梯子が軋んで音を立て始めたことに気付いた。
しばらくして、暗い色味をした丸い頭がひょっこりと現れた。
「あれ、リツコ起きたの?」
異形の瞳と目が合って、リツコは頷いた。
「今起きたところです」
「そうなんだ。元気になった?」
問いながら、アドラメレクが巣へ入ってくる。
彼は片腕に緑色をした包みを抱えていた。
「多分。それは何ですか?」
アドラメレクの持っていた包みは、大きな葉を丸めて作られていた。
彼はそれを床に置き、その前に胡坐をかいて座った。
「ご飯だよ。お腹空いたでしょ?」
にんまりと笑ったアドラメレクが包みを開くと、中から色とりどりの果実や木の実が姿を現した。
「わぁっ、すごい!」
自分では到底集められない量に感動してリツコが声を上げると、彼女を抱いていた腕がぴくりと反応した。
背中伝いに身じろぎする振動が伝わり、続いて耳元で寝ぼけた声が上がる。
「あ、ごめんね」
大きな声を上げてしまったリツコは慌てて口を押さえたが、時既に遅し。
すっかり目を覚ましてしまった少年はリツコの腰から手を引き、上半身を起こして伸びをする。
同じ体勢でじっとしていた為に体の節々が痛むリツコもそれに習って、天に向かって大きく手を伸ばした。
アドラメレクに手招きされて、リツコと少年は木の葉の皿の周りに体を寄せる。
林檎に似た赤い果実。
プルーンに似た、紫色の実。
鞘に入った茶色味がかった豆類。
野苺のように小さな木の実。
この世界で目を覚ましてからリツコが食べたものよりも、ずっと多くの種類の実が目の前に並んでいる。
どれもよく熟れて瑞々しく、すぐに口に運びたい気持ちを起こさせた。
「これ、全部食べられるんですか?」
酷い腹痛に苦しんだことを思い出して念のためにリツコが尋ねると、アドラメレクは自信満々に頷いた。
「毒は無いよ。君達と僕は味覚が違うかも知れないから、味の保証はしないけど」
身体構造が違えば毒になるものもあるのでは。と考えないでもないリツコだったが、折角の好意なので素直に頂くことにした。
「いただきます」
食事前の習慣としてリツコが顔の前で手を合わせる。
「?」
それを不思議そうに眺めていた少年も、真似をして手を合わせた。
そうやって小さな2人が仲良く食事をする様子を、アドラメレクがにこにこしながら見つめていた。
たっぷりの睡眠と食事で元気になったリツコは、改めて新居を見渡す。
あの巨大な蜘蛛の巣だけあって、成人男性サイズの魔物と子供2人が寝泊りするだけならば十分な広さがある。
しかし、とリツコは口をへの字に曲げて隣に目を向けた。
「?」
指に付いた果汁を舐め取っていた少年は、リツコに見つめられて首を傾げる。
彼の頬から額にかけて、巣を構成する蔦に圧迫されて出来た蛇のような寝跡が走っていた。
「お布団が欲しいなぁ」
硬くて凹凸の多い床の上では、寝ていても座っていても体が痛む。
ここで暮らすことになるのならば、より快適な生活を求めたい。
リツコは腕組みをして、人間らしい生活を送るために必要なものについて考え始めた。
食料。布団。調理器具。火。着替え。靴。薬などなど。
現地調達できそうなのは食料だけで、他のものは人と接触しなくては手に入りそうにないものだった。
「むむむっ」
頭を悩ませてうなり声を上げるリツコを、アドラメレクが不思議そうに見つめている。
そのうち少女を観察するのにも飽きたのか、魔物が長い舌を静かに宙へ泳がせ始めた。
「うひあぁっ」
横から伸びてきた舌に、ちろりと耳を舐められてリツコは悲鳴と共に飛び上がる。
「あはは。どしたの、難しい顔して」
普通の人間には出来ない悪戯に驚いて心臓を押さえているリツコに、元凶のアドラメレクがのんびりと尋ねる。
「もうっ、吃驚させないで下さい!」
ぷりぷりと怒るリツコだが、アドラメレクに反省の色は無い。
何に怒っているのか分からず首を傾げだす彼に、腹を立てるのも馬鹿らしくなってリツコは溜息をついた。
「暮らしていくのに必要な道具をどうやって調達するのか考えてたんです」
自力での調達手段が思い浮かばなかったリツコは、アドラメレクに相談することにした。
「食料以外に何かいるのかい?」
アドラメレクが首を傾げる。
「暖をとるために布団が欲しいです。火を起こすための道具も。食事の衛生管理も気になるので調理器具……あとは衣服ですか」
必要なものを列挙していたリツコが、アドラメレクの格好に気付いて付け足す。
何処で手に入れたのか、人に似た魔物はシャツとズボンを身に着けていた。
しかしそれは、もはや服と呼べるのかも疑わしいほどに汚れと痛みが酷く襤褸雑巾と変わらない。
少年に目を向けると、彼もまた同じような格好をしていた。
「ふーん。人間って大変だね?」
どうすれば手に入るかな、と呟きながらアドラメレクが目を閉じて腕組みをする。
暫くその様子を見ていたリツコは、違和感を覚えて眉根を寄せた。
「アドラメレクさん?」
反応が無い。
先ほどからリツコ達のやり取りを静かに見つめていた少年が、立ち上がってアドラメレクに近づく。
少年の指が、魔物の頬をつつく。
「お?」
ぱちっと両目を開いて、アドラメレクは惚けたように笑う。
「あ、ごめん。寝てた」
がっくりと肩を落としたリツコは、大きな手に抱き寄せられた。
少年も同じように引き寄せられ、2人はぬいぐるみのようにアドラメレクの腕の中に収まった。
「とりあえず、今日は寝ようよ。人間は夜に寝るんでしょ?難しいことは明日にしてさ」
少年とリツコを抱えたまま、ごろりと横になるアドラメレク。
「私達、さっきまで寝てたんですが」
「寝る子は育つんだよー」
呆れたリツコが抗議するが、マイペースなアドラメレクは全く取り合わない。
彼の腕の中から逃げ出そうともがいていたリツコだったが、体格差は如何ともし難い。
びくともしない拘束に、抵抗を諦めたリツコは全身から力を抜いた。
静かにまどろむ彼女の耳に、遠くの獣の声が届いた。
夜が更けるにつれて、森を徘徊する獣の気配が濃くなる。
岩陰に隠れて1人怯えていた記憶は、彼女にとってまだ新しい。
びくりと体を震わせて思わず隣にあった小さな手を掴むと、その手はリツコの手をぎゅっと握り返した。
背後から聞こえる息遣い。腕や背中から伝わる鼓動の音。
人と人でないモノの温かさに励まされ、リツコはほっと息をついた。
保護者を得た主人公は、超アウトドア生活を堪能中。




