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気になるニオイをシャットアウト

「何か来ますね」

 夜目が利くようになったリツコは、音のするほうへ目を凝らす。

「アンデッドだね」

 リツコの耳元で、アドラメレクが興味薄げに呟く。

 3人が見つめる闇の向こう。淡く輝く木々の間から現れたのは、大きな狼だった。

「ぐる、るる、る、る」

 狼はリツコたちが腰掛けている枝の下にたどり着き、彼らを見上げて低く喉を鳴らす。

 そのうなり声は、空気漏れを起こしたように所々音が切れている。

 アンデッド。

 リツコにとっては、TVゲームなどのフィクション内で時折見かけることのある空想の産物を指す単語だ。

 ゾンビのような動く死体系の怪物に使われるその言葉どおり、狼の体は半分腐敗していた。

 白く濁った目に、肉が剥がれてアバラ骨が剥き出しになった胸部。

 千切れかかった後ろ足の傷口には白いモノが蠢いており、リツコが目を凝らすとそれが蛆であることが判明した。

「うっ」

 腐敗の進んだ様子の狼が真下をうろつき出すと同時にリツコはスカートの裾で鼻を押さえ、少年も両手で口元を覆った。

 狼ゾンビは木の上に登ってこようとはしなかったので直接襲われる危険はなかったのだが、すさまじい腐敗臭を放って2人を苦しめた。

 アドラメレクは2人程気にならない様子で、僅かに眉を顰めただけで平然としている。

「あれ、どうにかなりませんか!?」

 あいにくと周囲には風が吹いておらず、空気が停滞している中では臭いが消えることはない。

 こみ上げる吐き気に耐えかねてリツコがアドラメレクに助けを求めると、彼は少し考えるような素振りを見せた後に頷いた。

 何をするのだろうと見つめるリツコの前で、アドラメレクは大きく息を吸って口を開いた。

「おおおおおぉぉぉぉぉん」

 突然上がった咆哮に、リツコは慌てて耳を押さえた。

 ただの大きいだけでなく、反響して広がっていくような奇妙な響きを持つ声はすぐに収まり森に再び静寂が訪れる。

 騒音に驚いたリツコの両耳が機能を取り戻す頃にはアドラメレクはぴったりと口を噤んでおり、周囲には狼の喉を鳴らす音と地面を引っかいて土を削る音がするだけだ。

「もう、びっくりさせないでくださ……」

 何事も無かったかのような涼しい表情の魔物に抗議しようと口を開いたリツコは、何処からともなく聞こえてきた異音を察知して言葉を止めた。

 それはシャベルで砂を掘り進める音に似ていたが、もっと滑らかで不穏な響きを持って近づいてきた。

 音が地面の下から聞こえるのだと気付いたときには、それはリツコたちの真下へ辿りついていた。

 音の正体を探ろうとリツコが地面に目を凝らしても、狼の腐敗して溶けかかった瞳が光っているだけだ。

 姿を見た途端に忘れかけていた臭いを思い出し、リツコが再び鼻に手を当てる。

 瞬間、狼の姿が掻き消えた。

 否、地中から姿を現したモノに飲み込まれたのだ。

 瞬きをするほどの僅かな時間。サメの様に幾重にも並んだ尖った歯と硬そうな鱗に覆われた口が、飛沫のように土を跳ね上げながら出現したのをリツコの目は捉えていた。

 成人ですら一飲みに出来そうな大きな口は、鋭い歯の間に狼を捕らえると再び地中へと消えた。

「……」

 言葉を失い、唖然と地面を見つめるリツコ。

 彼女ほど夜目の利かない少年は何が起こったのか分からず、不安そうに目をきょろきょろさせている。

「臭いしなくなったでしょ?今のが地面の下の魚だよ」

 動揺し硬直しているリツコに向かって、のんびりとした口調で説明するアドラメレク。

 どういう訳か巨大魚の出現した場所は多少盛り上がってはいるものの穴などは空いておらず、注意して見なければ周囲の地面と見分けがつかない。

「アレは音に反応して襲ってくるからね。大きな物音を立てたりすると、察知して襲ってくるよ」

 ここに住む生き物はあの魚を警戒して大きな音を立てない為、森は常に静まり返っている。

 故に、この森は静寂の森と呼ばれているのだと彼は解説した。

「あんなのがいる森で生活するんですか!?」

 恐れ戦いたリツコが悲鳴を上げる。

「地面から離れてれば大丈夫だよ。ほら、僕達は襲われなかったでしょ?」

 宥めるようなアドラメレクの言葉に、リツコは頭を抱えた。


 一行が行動を再開し目的地に着いた頃には、木々の隙間から朝日が差し込んでいた。

 案内人のアドラメレクの計画よりも遅い到着だったようで、着いた途端にアドラメレクが小さな声で「もう朝かぁ」と呟いていたのをリツコは聞き逃さなかった。

 例の魚の姿を確認した後、音を立てることに敏感になって歩みが遅くなってしまったリツコと疲労が限界に達していた少年の2人を抱えていたために時間がかかってしまったのだ。

「この辺なら生活できそうでしょ?」

 とりあえず到着したことで機嫌の良さそうなアドラメレクの言葉に、疲労のあまりどんよりと濁った瞳を巡らせてリツコは周囲を見渡す。

 目の前には大きな泉があり、その周囲の地面は青々とした下草で覆われている。

 木もまばらで見通しが良く、他の場所に比べて日当たりも良好だ。

 一見すると、居心地の良さそうな空間なのだが。

「アドラメレクさん。アレはなんですか?」

 泉の傍で蠢く黒い物体を発見し、リツコは口をへの字に曲げた。

 それの全身は黒い毛で覆われており、丸い胴は節のついた8本の足に囲まれている。

「蜘蛛だね」

 事も無げに答えるアドラメレク。

 リツコの目から見ても、それは蜘蛛に見えた。

 ただの蜘蛛ではない。普通自動車程もある巨大な蜘蛛だ。

 タランチュラに似た姿のそれは8匹程度の群れを作って、湖の周囲をうろついていた。

 その光景は、虫嫌いなリツコを戦慄させた。

「ここはやめて別の場所にしましょう。あんな大きいんです。頭からばりばり食べられてしまいますよ!」

 涙目で訴えるリツコに、アドラメレクは朗らかに笑った。

「大丈夫、あの蜘蛛は草食だから」

 ……そういう答えが欲しい訳じゃないんです。

 アドラメレクは間違っていないのだが、なんとなく複雑な気分になってリツコは再び頭を抱えた。

資料用に蜘蛛の写真を見ていたら、虫嫌いの青南瓜は気分が悪くなりました。

虫嫌いの主人公は、今後森で生活していけるのでしょうか。

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