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神光のギルヴァント  作者: 因幡 縁
第一幕
14/40

第14話





 寮の浴場は、それなりに広い。

 何せ百五十人近くの学生が暮らしているのだ。一度に二,三十人は入る事ができる。皆で入る事のできる浴槽はなく、入浴時は桶に湯を汲んで自分の身を清める。秋も深まりつつあるこの時期、石造りの浴場が暖まるまでにそれなりの時間を要するのは仕方ない事だと言えた。一年次と二年次で利用時間帯が分けられており、新入生たちは先輩たちより先に入浴してまだ肌寒い浴場を暖めるというのが『学園』の慣わしであった。

 そのような慣習の下では、浴場が暖まるのを待ってなるべく後から湯を浴びたいと考えるのが新入生心理というものであろう。だが、そんな事はお構い無しにいつも一番乗りで湯を浴びる学生がいた。短めの金髪が浴場の湿気でわずかに濡れている。二十七期生きっての才媛、オリガ・ワレンシュタインである。

 大陸西部の若者たちの間で広く知られている性格診断の一つに、身体を洗う順番というものがある。何でも、頭から下へ向かって洗う人間はプライドが高く、上昇志向の強い人間なのだそうだ。頭部は人体でもっとも上部に位置する部位であり、それはすなわち地位の象徴でもある。また、顔を洗うという行為は自身の美しさに対する自信の表れなのだという。

 それに対して、足や下腹部など低い位置から洗い始める人間は自尊心の低い人間、あるいは心に深い傷を負っている人間とされる。足や下腹部というのは不浄な部位であり、そのような所から洗い始めるのは自身に何らかの負い目があるからだ、というわけだ。

 無論、根拠などないただの与太話の類ではある。だがしかし、例えば「オリガはどこから身体を洗い始めると思うか」などと問われれば、新入生は十人が十人とも「頭から洗う」と答えるであろう。オリガ・ワレンシュタインと言えば気位が高く常に高みを目指し続ける人物である、という印象はそれほどまでに深く新入生の間に浸透しているのである。

 そんな大方の学生たちの印象とは裏腹に、オリガは足から洗い始めるのが常であった。もっともそのまま下から上へと洗っていくわけではなく、足から脚、そして腕から肩へと移っていく。その肢体は適度に引き締まっており、長くしなやかな四肢は健康的な肉体美を見せつけている。




 いまだ肉付きの薄い胸を洗いながら、オリガは今日の戦闘訓練の事を思い出していた。もちろんアレスとの一戦を、である。

 確かに、アレスの戦闘センスには目を見張るものがあった。四つの『形態モード』をあれほどまでに自在に操る精神力、それらを緻密に戦闘に組みこんでいく構成力。力を抑える腕輪をはめていたとはいえ、まさかせいぜいDクラスの『形態』の組み合わせだけで自分があそこまで追い詰められるとは思わなかったというのが正直な所である。

 だが。端正な顔に指を這わせながら、オリガは思考に没頭する。あの戦いぶり、どうにも解せない所があるのだ。今日の模擬戦にしても、『炎の剣』を解除させるまでの一連の仕掛けは実に鮮やかであった。いや、あまりに手馴れすぎている。実際、彼女はあっさりと剣の解除まで追い込まれてしまったのだ。例えば炎の壁を発動したあの時点で、がら空きになった頭上から直接遠隔攻撃を受ければおそらくオリガはなすすべもなかったであろう。オリガには、あの一連の流れはそのような必殺の一撃を前提としたものに思えてならないのだ。にもかかわらず、アレスは直接壁の中へと飛びこんで来た。そこに彼女は違和感を覚える。何と言えばいいのか、そう、まるで切り札を温存したまま戦っているとでも言おうか。やはり、あの男は私に何かを隠している。



 オリガには一つ気になる事があった。『変異』掃討作戦参加時に見た、まばゆい光である。あの時赤毛の少年はすぐにオリガの視界から消えてしまったが、その後のレオナルドの戦いではあの強い光は見られなかった。もちろんSクラスの能力者ともなれば、オリガの知らない技の一つや二つは持っていよう。しかしそれでも、あの光はアレスの力と何か関係があるのではないかとの考えがオリガを捉えて離さないのだ。

 それにつけ加えるならば、今日のアレスとの模擬戦の後のヨハネス教官の言動も気になる。聞き耳を立てるわけにもいかなかったが、わざわざ声を低くして一体何を話していたのであろうか。

 なぜだろう、アレスの事を考えると全てが疑わしく思えてくる。噂によると、アレスとカリンの間には入園式以前に何かがあったらしい。それは彼らとの会話から察するに本当なのだろう。アレスが遅刻してきた理由も、もしかするとそのあたりに起因しているのかもしれない。カリンもアレスに対して何らかの疑念を抱いているように見えたが、それは色恋絡みの話ばかりというわけでもあるまい。あるいは、カリンはすでに核心に近い所まで迫っているのではなかろうか。いや、実はマリーも加えた三人はすでに何らかの秘密を共有しており、口裏を合わせて自分をたばかろうとしているという線もありうる……。そこまで考えて、さすがにそれはないだろうと首を振った。



 まるで、噂に聞く恋する乙女のようだな。ふとそんな事が頭に浮かび、思わず苦笑が漏れた。恋する乙女? 一体誰に? 私は『学園』に進むと決めた時点で、そのようなものは捨てると誓ったはずだ。そもそも恋など経験した事もない身でありながら恋する者の心情を語るなど、噴飯ものだと言うほかないであろう。

 それでも。綺麗な金髪を洗いながら、オリガはなぜここまでアレスに執着しているのか自問する。浮ついた恋愛感情などでは断じてない。うまく言えないが、あの男からは自分とは異質な何かを感じていたのだ。そう、それこそ教室で初めて目にしたその時から。



 ふと周りを見回せば、浴場には学生が集まり始めていた。ひとり思案に暮れていたので気づかなかったのであろう。あるいはオリガの周りには誰も近づいてこなかったからか。入園して半月あまり、噂では自分の「親衛隊」なるものも存在するそうだが、彼女に積極的に話しかけてくる者は予科の同期を含めてもわずかであった。

 考えてみれば、『学園』に入園して以来もっともよく会話しているのはアレスたちかもしれない。マリーはあの通り誰とでも付き合える人間だし、カリンも初めこそ遠慮気味だったものの、今では普通に接してくれている……と思う。そしてアレス……。そこでオリガは今日何度目かの苦笑を漏らす。色恋は別として、私はずい分とあの男を意識しているようだ……。

 友人などいなくても構わない、などと入園時は思っていたが、どうやらそれはただの強がりだったようだ。少なくとも、彼らとの付き合いはどこかしらオリガの胸を弾ませるものがある。自分にまだこんな気持ちが残っているとはな。髪を拭いながら、ひとり壁に笑みを向ける。存外、恋愛など下らないと思うのも単に意地を張っているだけなのかもしれない。最後に湯を一浴びすると、オリガは浴場を後にした。









 着替えを済ませ、ランプがともる廊下へと出たオリガの視界に、意外な顔が飛びこんで来た。マリーとカリンである。いつも通り、よくしゃべるマリーの話をカリンが困り顔で聞いている。と、オリガに気づいたマリーが声をかけてきた。

「あ、オリガ。今上がった所?」

「ああ。君たちはこれからか?」

「うん。こんにちは、オリガちゃん」

 笑顔でカリンがうなづく。その黒髪の滑らかさがオリガの密かに羨む所である事など、彼女は知る由もないであろう。

「オリガって、いつもこんな早い時間に入ってるの?」

「ああ。人ごみはどうも苦手でね」

「そうなんだ。私たちも今日は混む前に入ろうって思ってたんだよ」

「私は寒いから気乗りしないんだけどね~。てか、オリガはもしかしていっつも一番風呂なの?」

「もしかしなくてもそうさ。なんならマリーも明日一緒にどうだ?」

「いやいや、遠慮しとくよ」

 胸の前で両手を振って、マリーが遠慮の意を示す。それが当然の反応であろう。普通は体を温めるのが楽しみで湯を浴びるのだろうから、好き好んで寒い浴場に入りたい者などそうはいまい。

「それは残念だ」

「ま、オリガが『形態』で暖めてくれるって言うなら別だけどさ」

「ふっ、そんな軟弱な事では前線で戦えはしないぞ?」

「まぁ、私ゃ後方支援志望だからね~」

「でも、私オリガちゃんといっしょにお風呂入りたいな」

 両手で軽く手ぬぐいを握りしめながら、カリンがオリガに微笑む。この娘の事だ。社交辞令などではなく、本心からの発言なのであろう。それにしても、実に無邪気な笑顔だ。自分にはこんな笑い方が、はたしてできるであろうか。

「ほほう、カリンちゃんは誰もいない浴場でオリガさんとハッスルしたいわけですか。浴場だけに、ね?」

「ちょっとマリーちゃん、何言ってるの!?」

 マリーのどうしようもない駄洒落に、カリンの顔が真っ赤になる。相変わらず初心うぶな娘だ。オリガもつい、意地悪のひとつも言ってみたくなる。

「さすがにそれは、私も受け止めきれる自信がないね」

「なっ、オリガちゃん!?」

 こうも可愛らしい反応を見せてくれるとあっては、からかいたくなるのも道理であろう。目を白黒させるカリンの頭をマリーがくしゃくしゃと撫でる。それにしても、マリーの笑いのセンスはいかがなものだろう。酒場の酔っ払いもかくやというレベルに思えるのだが……。

 オリガがそんな事を思っていると、マリーがカリンの後ろから抱きつくような格好になる。

「それじゃあカリンちゃんのお相手は、このマリーお姉さんがた~っぷりとしてあげるからね~」

「ちょっ、マリーちゃん!?」

「ほら、ここもい~っぱいマッサージしてあげるよ~」

 そう言うと、カリンの背後から胸を両手で鷲づかみにする。マリーの手によって不意に強調されたその豊かな双球を前に、オリガののどから思わず声が漏れた。

「ちょっ、いやっ、ダメぇ……」

「ほ~れほれほれ……って、オリガ、どうしたの?」

 右に左にと両手の中のものを揉みしだいていたマリーが、呆然とするオリガに気づき声をかける。問いかけに気づき、弾かれたかのようにカリンの胸から目を離すオリガ。

「な……何でもない! べ、別に女の価値は胸の大きさで決まるものでもない! そもそも私は戦士として……」

 突然まくしたてるかのようにしゃべり出すオリガに、マリーの目がギラリと光る。獲物を見つけた猛禽の目だ。

「おやおや……どうやらオリガさんは、ご自分の胸をずい分と気にしておられるようですなあ……」

「なっ……!? そ、そんな事があるものか! そんな脂肪の塊、戦士にとっては邪魔になるだけだ!」

 オリガがカリンの胸を指さしながら、幾分ヒステリックな声をあげる。いつもの彼女からは想像もつかないその激しい調子に、行き交う学生たちが何事かと足を止める。

「そうかな? その割にはずい分とカリンの胸を羨ましそうに見てたようだけど……?」

「み、見てない! 大体そう言う貴様こそ、私とそう大差ないくせに何を……」

「いやいや、私はまだまだこれから成長するからね~」

「それを言うなら私はマリーより三つも若い! 成長の余地だってまだ十分にある!」

「あれ? オリガさっき、脂肪の塊なんて邪魔なだけだって言ってなかったっけ? はは~ん、そういう事ならオリガの胸も、私がたっぷりマッサージしてあげるよ~」

「そ、それは……! くっ、貴様……!」

 そう言いながら、オリガの方へと突き出した両手の指をわしゃわしゃと蠢かせるマリー。オリガの瞳に危険な光が宿る。なおも反論しようとするオリガの口に重石をかけたのは、ひとりうつむくカリンの姿であった。

「脂肪……塊……」

 心底堪えたのだろう。虚ろにつぶやき続けるカリンの姿に、オリガの熱は氷風呂にでも入ったかのように急激に冷やされていった。そのあまりの落ちこみぶりに、さすがのオリガもうろたえてしまう。

「カ……カリン? 済まなかった……その、悪気があって言ったんじゃないんだ……」

「そ……そうそう! あれはほら、言葉のアヤってやつで、全然本気じゃないんだよ!」

 悪気もないのに「脂肪の塊」なんてセリフが出るものか。我ながらひどい言い訳だと思いながらも、とっさには適切な慰めの言葉が出てこない。大体、生まれてこの方こんな場面に出くわした事はなかったのだ。言葉が出てこないのも致し方ないではないか。マリーもカリンの頭を撫でながら懸命にフォローする。

「オリガもごめんね? ちょっと調子に乗りすぎちゃったよ……」

「いや、こちらこそ大人げがなかった。すまない」

「うん。それと、カリンの事は大丈夫だから、気にしないでね?」

「え? いや、しかし……」

「悪いのは私だからさ、何とかするよ。ホント大丈夫だから!」

「あ、ああ……」

 何だかんだ言っても、面倒見のいい姉御肌なのであろう。オリガに気を使わせないようにと思っているのか、やや強引にこの話題を打ち切ろうとする。

「そうだ、今度三人でお風呂入ろ? カリンも喜ぶからさ。それじゃ、またね」

 そう言い残すと、マリーはカリンの肩を抱きながら浴場へと入っていった。後にはオリガがひとり残される。集まっていた野次馬たちも、見ものは終わりとばかりにそそくさと退散していった。




 これは……私がカリンを泣かせたようにしか見えないんじゃないか……? そんな事を思い、またしてもオリガはひとり苦笑する。周りの目が気になるとは、自分にもずい分と年頃の娘らしい所があるではないか。それとも、マリーたちの雰囲気にでもあてられたか。

 それにしても、こんなに感情を露わにしたのも一体いつ以来の事であろう。きっと明日には、「オリガ様の意外な一面!」などと噂が飛び交うのだろうな。小さく笑うと、オリガはその場を後にした。






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