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神光のギルヴァント  作者: 因幡 縁
第一幕
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第1話





 その少女は、追われていた。


 『学園』の入園式。ストライプの入ったベストが可愛らしい新品の制服に身を包み、いざ『学園』へと向かう最中の事。彼女は二人の男に襲われ、この薄暗い裏路地まで逃げこんだのであった。

 退路は、もう、ない。

 男たちはどうやら『学園』の先輩のようであった。私服ではあるが、自分と同種の「力」の気配を感じる。少女は、なけなしの勇気を奮って男たちに向かって叫んだ。

「なぜ……? どうして『学園』の先輩が、こんな事を!」

 その問いに、背の低い男が下卑た笑いを漏らす。

「なぜ? げっひぇっひぇ、決まってんだろ。お前みたいな黒髪女が珍しいからだよ」

「黒髪の女なんて、買おうと思ったらいくら積めばいいかわからんからな。その辺の商売女とはワケがちげぇんだよ」

 長身の男がそれに続く。無精髭が何とも汚らしい。背の低い男が短い足を脇の木箱にかけ、黄ばんだ眼で少女の全身を視姦していく。

「それにしても上玉だ……げひぇひぇ、たまんねぇ。こいつぁ何発でもイケそうだぜぇ」

「ああ……おまけにチチもでけえ。こりゃ三日、いや、一週間はイケんじゃねえか?」

「散々遊んでから売り飛ばしても、いい値がつきそうだしなぁ!」

 聞くに堪えない下劣な会話に、少女が露骨に顔をしかめる。しかし一方で、もしこのまま男たちの欲望のままに嬲られたらと思うと、恐怖で己の体が強ばるのを止められない。おそらく自分の「力」では、一人を相手するのが精一杯であろう。二人となると、はたして逃げ切れるものかどうか。だがしかし、うまく男たちの隙をつけばあるいは――。


 そんな少女の頭の中を見透かしたかのように、長身の男が髭だらけの口を開く。

「反抗しようなんて思わない方が身のためだぜ。オレは『火』のCクラス、そいつは『地』のBクラスだからな」

「――――!」

 少女の顔を驚愕が覆いつくす。Bクラス。能力者の集う『学園』の中でも数えるほどしか存在しないと言われている、いわば神に祝福されし存在。目の前のこの小男が、そんな選ばれし者の内の一人だというのか……。少女の心に、絶望という名の雨が激しく打ちつける。とてもではないが、彼女だけでどうにかできる相手ではない事は明らかであった。

「ありゃ? お嬢ちゃん、『水』のCクラスなの? 新入生なのに大したモンだねぇ?」

 長身の男が、ルーペの様な物を通して少女を見つめながら茶化す。おそらくあれが、『学園』の学生全員に支給される、相手の「力」を”視る”事ができるという魔具なのであろう。男の言葉に、いよいよ絶望の色が濃くなっていく少女。イヤだ、こんな所で嬲り者にされるために私は『学園』に来たんじゃない。私は、私は――。



「よう、ずい分楽しそうだな」

 出し抜けに、若い男の声が陰気な裏路地に響いた。三人の視線が、声の主へと集まる。その視線の先には、『学園』の制服をその身にまとった一人の少年の姿があった。

「何だテメェ!」

 小男がドスのきいた声で誰何する。制服の少年は特に気にする風でもなく、小男に手を振った。

「何、もうすぐ式だからな。そっちの子も遅刻しちゃいけないと思ってさ」

 その人を食ったかのような物言いに、二人組から怒気が吹き上がる。

「テメェ!」

「フザけた事抜かしやがって!」

 怒号と共に、長身の男の手のひらから炎の塊が三つ、四つと放たれた。炎の玉は特にかわす素振りも見せない少年に向かって真っ直ぐ飛んでいき、直後、轟音が鳴り響く。ついさっきまで少年がいたあたりからは、煙がもうもうと立ち昇っていた。

「へっ、ザマァみろ」

「おいおい、あんま派手にやんなよ? 人が来ちまうじゃねえか」

「ハッハ、そんなマヌケはお前が『埋め』てくれるんだろ?」

「ゲヒャヒャ、ちげぇねぇ」

 そんな事を、まるでテーブルにこぼしたスープを雑巾で拭うのと同じ事のように平然と話す男たち。

「ああ……」

 少女の目から涙が零れ落ちる。それは自分を助けようとして死んだ哀れな少年に対するのと同時に、これから辿るであろう自らの悲惨な末路に対しての涙でもあった。




 その時。

 立ちこめる煙の向こうで何かがきらめいた。直後、長身の男の体が宙に舞う。

「……まあ、死んではないだろ」

 煙の中、垣間見える人影。やがて、煙の向こうから――少年が姿を現した。

「てっ、テメェ――!?」

 周りの木箱が粉々になるほどの爆風だったにも関わらず、少年の体には怪我一つない。それどころか真新しい制服にさえ、ほころびひとつ見あたらなかった。赤みを帯びた髪が、燃え立つ焔のごとく揺らめく。なぜだろう、そんな少年の姿に、少女は神々しさを見た気がした。

「ぐっ……ぉおおおぉぉぉおっ!」

 本能的に危険を察知したのかもしれない。小男は咆哮を上げた。直後、小男の目の前の地面が隆起する。「それ」は間もなく巨大な円形の盾のような形をとり、互いの視界を遮った。半径は小男の身長ほどもあろうか。土や石から構成されているのであろう「それ」は、狭い裏路地を完全に塞ぐ格好になっていた。

 小男が、粘つく口内を広げて吼える。

「クソガキがぁぁぁ! この『大地の盾』はァ! あらゆる攻撃を防ぎ、全ての敵を撃ち貫く! 全部終わった後にはテメェのグズグズの死体が残ってるって寸法よぉ!」

 「それ」の向こうから返ってきたのは、涼しげな声。

「弱い犬ほどよく吠える、というのは本当なんだな」

 たちまち小男から怒気がほとばしり、黄ばんだ眼が真っ赤に血走った。少女が叫ぶ。

「ダメっ、逃げて――」

「ビチグソがぁぁぁぁぁあっ!」

 小男が叫ぶと、「それ」から無数のつぶてが放たれた。つぶては唸りをあげながら、少年へと真っ直ぐに向かっていく。絶え間のない無慈悲な集中砲火は、しばらくの間続いた。

「いや、もうやめて……」

 近年普及してきたという新式の火器の着弾音を思わせる轟音の嵐の中、少女は耳を塞ぎながら訴える。その声も、爆音の前に瞬く間にかき消されていく。




 やがて、音が止んだ。

「けっ、クソが……」

 タン交じりの唾を吐きながら小男が毒づく。嵐が過ぎ去り、あたりは静寂に包まれた。そんな中、少女の嗚咽が場の空気を震わせる。その瞳にすでに諦めの色が見て取れるのは、「それ」の向こうのにあるはずの、かつて少年であった肉塊でも想像してしまったためであろうか。小刻みに震える小さな体には、もう抵抗する気力など残されていないように見える。



 突然の光が、網膜を焼いた。

 わずかに遅れて、鼓膜が破れるのではと思うほどの大きな音。

 一時的に聴力を失う中、少女が顔を上げると、裏路地を塞いでいたはずの「それ」はどこかへと跡形もなく消えていた。そしてその先には――。

 何事もなかったかのように、少年が立っていた。

「テッ、テメェ――!?」

 小男の顔には明らかな狼狽の色が浮かんでいる。どうやら「それ」は、少年によって破壊されたようだった。

「ご自慢のオモチャをおしゃかにされた気分はどうだ?」

 少年の声は、相変わらず涼しい。

「な、何モンだ、テメェ……」

 小男の声が枯れ、乾き、擦れていく。

「さて、覚悟はいいな?」

 少年の声はその温度をさらに下げ、冷たいものを孕み始める。その冷気が、小男の肝から熱を一気に奪い去っていった。

「う、ウソだろ……? お前、オレを殺る気か……?」

 怯えきった様子の小男に、少年が冷笑を返す。

「お前、これだけの事をしておいて、まさか自分だけは死ぬ事はないなんて本気で思ってたのか……?」

「ひッ、ヒィ……!」

 小男が一歩、二歩と後ずさる。

「その子を人質にしてみるか? オプションで徹底的に苦しませてやってもいいぞ? 俺はお前がその子を捕まえるより先に、お前の四肢を焼き切る事ができる」

 そう言うと一度目を閉じ、そして再びまぶたを開くと、小男に冷たい視線を向けながら薄い笑みを浮かべる。

「……試してみるか?」

「――!」

 小男は腰を抜かし、その場にだらしなくへたり込んだ。少年の言葉がはったりではないと確信したのであろう。もはや抵抗の意思もないようだ。


「いい心がけだ」

 一言つぶやいて小男に近づくと、その眼前に手のひらをかざした。一瞬光を発したかと思うと、小男の体が無様に前へと崩れ落ちる。倒れた小男には目もくれず、少年は少女の下へと近づいた。少女が、びくりと体をすくめる。青い瞳が、不安げに揺れる。

「安心しろ、二人とも殺しちゃいないさ」

 苦笑しながら、少年が右手を振る。なおも震えが止まらない少女に、少年はやれやれと頭を掻いた。

「そう怯えるなって。俺は君が遅刻しそうだから声をかけただけさ。入園式、行くんだろ?」

 そう言いながら、右手を少女に差し出す。その小指に光る飾り気のない指輪が、今さっきまで激闘が繰り広げられていたこの裏路地と場違いなほどに可愛らしい。一瞬の躊躇の後、少女はおずおずとその手を握りしめた。

「どうも、ありがとうございます……」

「何、気にする事はないさ」

 少年の手の暖かさに、少女はなぜか心が静まっていくのを感じた。

「とは言っても、これは式には間に合いそうもないな……」

 少女の腕を引っ張りながら、少年が他人事のようにぼやく。

「こいつらの後始末もあるし。君、先に行けよ」

 ぶっきらぼうな少年の口調に、少女からもようやく笑みが漏れる。手に残る温もりが、暖かい。

「まあ、さすがにまた襲われる事もないだろ。君、名前は?」

「私……カリン」

 風に吹かれ、絹のように滑らかな黒髪が少女の頬を撫でる。桜色の柔らかな唇が、小さく開いた。

「あなたは……?」

「俺か? 俺は――」

 暗い裏路地に、少年の赤い髪が揺らめく。

「アレス」


 それが、少年の名であった。




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