05
ベルナルドは漆喰の壁を添うように歩いていた。足音が木霊するほどの静寂、彼以外はその廊下に誰もいない。身に付けた黒い軍服が放つ、重苦しい雰囲気。
やがて搭の絵画に挟まれた樫の扉が見えてきた。右には黒を背景とした搭の絵。赤と青、白と緑の四色の宝石を描きそれで長細い搭を囲んでいる。左には白を背景とした横長い搭を、黒と赤、青と緑の宝石が囲んでいた。挟まれた扉には、白いレースカーテンが被さっている。
ドアノブを掴み、冷たいドアの感触、前へ押し中に入る。
その部屋は一目見て異常だと分かる、壁も床もソファも服さえも、全てが白で埋め尽くされていた。白の他にあるのは物の影と――――部屋の真ん中にあるソファに鎮座している少女、その灰色の目のみ。
「すまない、少し遅れた。元気だったか……ディマーネ」
「まったくだよ、ワタシは随分と前から待ったよ、ベル」
返答するのは揶揄まじりの凛とした声。ベルナルドを愛称で呼んだのはこの城の主で、白の王を意味するディマーネの名と力を受け継ぐ僅か十三歳の少女だ。
気が狂いそうなほどの白い空間をコーディネートした本人でもある。
一礼してから少女の座るソファと相対するソファに腰をかけ足を組み、ベルナルドは少女――ディマーネに向き直った。
「久しいね、黒の王。実に四か月と六日ぶりだ。多忙の中よく来てくれた」
「前置きはいい。言った通りこの忙しい時期に呼び出したのに訳があるんだろう」
急かせば揶揄な笑みを困ったように歪める。大袈裟に首を振るうのは、彼女の性格を知っていれば演技だと分かるだろう。ベルナルドの真似をするように足を組み、長くゆったりとした白い袖を揺らし、腕を両足の間に挟んだ。
「いやあ、実は昨夜、預言を賜ってね。それも待望のものだよ」
遠回しな言い方に眉を上げた彼は、確認するように言う。
「観たのは、黒の王の後継者か?」
「ああ、そうさ」
王立リウニール学園の初等部。属性を探査し報告する魔法石にて、黒い光を出した人影。
王都へ行く馬車の中、見開く碧眼。白日の下で揺れ輝く銀色。
狂喜の歓迎に困惑と嘲笑、畏怖が渦巻く戴冠式。赤い拍手のファンファーレ。
「しかし問題ばかりだよ、次代の黒の王は」
「どういうことだ?」
「銀髪碧眼だ。――どこにも黒がない」
ベルナルドが息を飲む。衝撃の事実を告げる時でさえ、ディマーネの表情は笑みから動くことはない。
他の搭の主を呼ばず二人で話し合いに臨んだのは、この為であった。彼が我に返るのは少し時間がかかるだろう。その間、ディマーネは目を伏せ、これから起こるであろう困難を思い浮かべた。
――――サーノズ神国は地母神リリス・サイナーを信仰している。
およそ三千と七百年前。世界の中心に位置するサーノズと、その右に隣接するヴェノグの大戦が起きた。元々犬猿の仲の二国が交戦をするのは時間の問題であって、その対策と準備は十分すぎるほどだった。
誤算は一人の兵。強大すぎる魔力と生まれ持った聡明さ、参謀役と手を組みサーノズの兵を圧倒した。
そして敗北を確信した時、兵の前に現れたのが、リリス・サイナーの化身とその加護を持つ者。戦意を喪失した兵の前で颯爽と敵を倒していく姿。仲間たちを率いてサーノズを勝利に導いた。
それからというもの、権威の弱かった神官は絶大な権力を持ち始め、今では軍と教会が合同で作った機関すらある。
その機関こそがベルナルドとディマーネが王として所属している、五色搭だ。
文字通り黒、赤、青、白、緑の搭と専門塔があり、それぞれ優秀な人間のみがその搭の人間――アフェクトを名乗れる。
鋭敏の赤は戦闘専門化。戦争に出る人間たちだ。主に武力を担当。言うなれば特攻だ。
聡明の青は戦術専門化。心理に特化する人間が集まり、主に権力者の補佐を務める。
包容の白は治癒専門化。治療と部下に対するメンタルケア、不正の担当になることも。
猜疑の緑は諜報専門化。情報が一番まわるところであり、稀に発言力が高く重要だ。
そして――支配の黒はオールマイティ。戦闘もできて叡智を持ち身体について詳しく周りを欺くことができる、カリスマ性のある人間だけが一員になれる。
国王陛下とほぼ同等の権力を持つ、五色搭の黒の王。
座につくのは白の王である占視と呼ばれる能力者が未来視して指定する。その未来視が外れたことは一度もない。
それで此度、未来で見た王は――黒がない、と。
この世界には人間と獣人と魔族がおり、魔族は浅黒い肌を持ち忌み嫌われる。そのため黒い肌に生まれた子供は不吉だが、黒の王が毎度黒髪か黒目を持って生まれるため、肌以外の黒は神の加護がある証だ。
しかし次代の黒の王が黒髪でも黒目ではないということは――
「反発は凄いだろうね。それでも未来視が外れたことはないから歓迎されているけど、勿論嘲笑の声もあったよ」
「黒の王が黒を持たないなど……前代未聞だ」
揶揄まじりの声音でどこか淡々と言う彼女を睨みながら、ベルナルドは額で手を当てた。今にでも溜息を吐きそうなほど眉を寄せた表情は、子供が見れば泣き出すだろう。
「まあ安心するといいよ。未来視が外れたことはないんだから、どんな困難でも乗り越えられるさ。力に関しては君より上らしいしね」
「力だけではどうにもならない」
「勿論それだけじゃないさ! 結構図太さもあるし、その上皮肉屋でもあるらしい」
自分の栄光を語るかのように多少上擦った声で言った。
ベルナルドが内心で首を傾げる。
「まるで会ったことのあるような言い方だな?」
「ワタシは会ったことはないさ。でも、君の幼馴染である従者のザクナ。彼には子供がいただろう?」
脳裏に馴染んだ顔を浮かべ、頷く。
搭の人間――アフェクトになると、特にその機関の高位の人物になれば、弱点を作らないように結婚はできず、子供も作ることはできない。
しかし多才で公爵家の人間でもある彼は、特例で第三王女の子供を産んだ。
「第一王女は跡目を継ぎ、第二王女は国外へ嫁いだ。第三王女はアフェクトとの繋がりの役目を貰い、ザクナと婚約した。第一子のノーヴェを公爵家の跡取りに、第二子のヴァイツをアフェクトへ献上。覚えているだろう、ザクナに紹介されたのを」
「ああ、そういえば……どこにやるか話し合ったな。最後は白に送られたか?」
「いや、進んで青へ行ったさ。どうやら父親に憧れて、仕える人間を選びたいらしくてね。青なら従者としての心得も学べるだろう、従者になる例もあるしね」
「ほう、それは珍しい。――それで、それがどうした?」
「ヴァイツを黒の跡目と会わせた。聞けば嬉しそうにいろいろと話したよ」
ただ、と彼女。
「話していて相手を主人に決めた、とさ。黒の王の従者になろうとは、とことん父親と同じ道を進むらしい」
「ザクナに聞かせれば相当喜ぶだろうな。……しかし……、そうか」
ソファの背もたれに体重をかけ、天へ顔を向ける。まるで陽の光を遮るように、両目の前に腕を置く。今度こそ、深い溜息を吐いた。
「ああ、そういえばもうすぐだね」
ディマーネは呟く。
「跡目の――四大公爵家が一つ、ハイゼングルドの嫡子であるレイアードが、リウニール学園に入学するのは」
がばりと前に体を乗り出すベルナルド。
「それを早く言え! その嫡子はいくつだ!」
「六歳だよ。来年には初等部一年の七歳だ」
リウニールの初等部は七歳から九歳の三年間、中等部が十歳から十五歳の五年間。高等部はアフェクトを目指す人間のみが残り、また二年間学び続ける。
中等部で卒業するのは後を継いだり、嫁いだりする貴族の生徒だ。
「それなら今からリウニールに連絡を取らねば」
「そうだねえ」
彼女は呑気に笑いながら肯定した。
「さて、」
――次代の黒は、どんな騒動を持ち込むかな。
占視。未来を視ることのできる能力者。
彼女はわざと未来を視ないことで、人生に快楽を産み。
生でも死でもなく快楽を司るリリス・サイナーへの信仰心を保っている。
その為には自分は勿論、快楽の原因になりそうな些細な物事にも気に掛ける。
主に最悪な方向によって。
ディマーネはニマリと笑う。
快楽主義者にとって前代未聞の次期黒の王は、弄るための火種にしかならなかった。