第10話 対立
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三月十九日(木) 正午 朽木宅
東雲が事件外で殺人を犯した。それも紋章の力を使って。――それを伝えてくれたのは月詠。
“私のシナリオ”には描かれていない不測の事態だ。突然の爆発、更に全焼事件との関連性を裏付けるかのように、何もない場所での溺死。これで警察は完全に、私の他にも容疑者が存在することを確信した。
もしかしたら、私を容疑者から外すための東雲なりの気遣いだったのかもしれないが、“こんなことくらいで”容疑者を外されるわけがないなんて、普段の東雲なら気づくはず。きっと今の東雲は精神が不安定なのだ。
“心配はいらない。今の東雲は改心して落ち着いた状態だよ。コウちゃんとシンちゃんが説得してくれたんだ”
月詠がノートに書き綴った文章に、そうなの……と口パクして安堵の表情を見せる。
“それより、そろそろ媒体を説得させないと”
そうね。
媒体とは、紋章集結式を行うにあたって、私が全ての力を得るためには一度力を他の器に移し替えなければならない、そのための人(媒体)だ。移し替えには以前説明した単独紋章離脱式を利用する。
しかし、その媒体を説得させるためには、一つ厄介なことがある。――木下の存在だ。
彼女は要注意人物だ。同族嫌悪、とでも言うべきだろうか。どこか私に似ていて、しかし違う、その微妙なズレが、私を激しく嫌悪させていた。
“木下智恵を殺しておく?”
それはさすがにまずい。私に仲間がいることのアピールと等しい。向こうから何か仕掛けてこない限り、こちらはしばらく待機。
“それが最善手かも。でも、時間はもう長くないよ? 集結式決行の時刻までに、媒体を説得して力を預けておかないと”
ええ。しかも、木下智恵の監視外でね。大丈夫、作戦は練ってあるわ。
そう口パクした直後に、玄関からガチャリ、と重たい扉の開く音がした。
「ただいま~。ふぅ、遅くなっちゃった。ごめんね紅愛ちゃん。今から昼ご飯作るね~」
木下が帰ってきた。
“じゃあまたね”
咄嗟に見せられたノートには、走り書きされた月詠の文字。その文字は酷く汚く、まるで今まで字体を変えていたかのような粗さだった。
ノートが一瞬にして消え、月詠の気配もなくなった。
「~~~~♪」
聞こえてくるのは、木下の鼻歌と、小気味のいいテンポでまな板を叩く包丁の音。一見機嫌が良さそうに見えるが、これはいつものことだ。本当は何を考えているのかわからない。私にとってこの音はホラーの一種だった。この後調理されるのは自分自身の肉体ではないかという妄想が頭を過ぎり、笑いながら大腸を引き裂く木下の姿が脳裏に浮かぶ。
こんなことを本人に言ったらどんな反応をされるだろうか。それはそれで面白そうだ。だが、あの“表面上の”木下の反応はおおよそ予想がつく。食事中にそんなこと言わないのとか、人殺しはダメだよ! とか、そんな半ば母親気取りの返答をされるだろう。
しかし、木下は私の予想の斜め上を行く回答をするのだった。
「あっはははは! 何それー! あたしが事件起こしてどうすんのって! ははははっ、ひぃひぃ、お腹痛い~」
「……」
半狂人的な自分を妄想されたのがそんなに面白かったのか、お好み焼きを切り分けながら笑い上戸になる木下。職業柄か、多少のグロテスクは許容範囲のようだ。それにしても木下、笑いすぎである。
「あたしが自分でそういうことすると思う? そういうのは見るのが楽しいんだよー!」
「まさか木下さん、それ目当てで警察に……」
「えっ? や、やだなぁ! そんなわけないよ。己の正義と仁義を尽くす! 悪を制裁する! それがモットー!」
「制裁するのは警察じゃないですよ」
「あれ、そうだっけ……」
木下が意外にもグロテスク趣味があったことに少し愛着を持てた。
「でもまぁ、そういう猟奇的事件は懲り懲りだね……」
はい、と切り分けられたお好み焼きを平皿に盛って差し出す木下。
「懲り懲りって、そんな事件が頻繁に起こるんですか?」
「……ん、こっからは守秘義務。詮索禁止」
木下はそう言って青のりやら鰹節をふりかけた。
もし、頻繁にそんな事件が起こり、それを守秘義務にするというなら、木下は相当位の高い警察なのかもしれない。最初に名乗った時点で、朽木の同期とだけ明かし、職業に関してはそれ以上何も言わなかった。ここで部署を尋ねても答えてはくれないだろう。
「あ、そういえば。この前都内で溺死事件が起きたんだって」
ふと思い出したかのように木下は話を切り出した。
「なんでも、その事件現場には溺死に陥るような水とか全くなくて、しかも爆発の痕跡もあるんだって。あまりにも怪奇現象だったから、連続全焼事件の関連事件として捜査を進めてるみたいだけど……」
確かにその怪奇現象っぷりは全焼事件に似ていただろう。だけど警察は、溺死という時点で事件の関連性を疑いにかかっている。なぜかこの検死結果は公にしていないようだが。
「それで警察は、紅愛ちゃんを事件の容疑者から外すかどうか検討してるんだって。よかったね、これで疑いが晴れれば釈放されるんだよ」
明るい口調でそう言う木下の目は笑っていなかった。
「そうですか。でも、警察の疑いが晴れた=私の釈放ではないですよね。木下さんと朽木さんはまだ、仲間の線を疑ってるのでしょう?」
「うん、残念ながらね。ごめんね……何か、“無実を証明する決定的な証拠”が手に入ればいいんだけど」
木下は申し訳なさそうに呟く。
「嘘。少なくともあなた方二人は、私が“犯人である決定的な証拠”を探している」
それは確信に近い直感だった。
「どうしてそう思うの?」
「どうして、でしょうね。私には、木下さんがとても強敵に見えます。知人であれば絶対に敵には回したくなかったですね」
「強敵かぁ。それは、紅愛ちゃんがあたしを尊敬してる……ってことで、いいのかな?」
「そうですね。ある意味、尊敬しています」
「ある意味ってなんだよぅ。もっとベタ褒めしてくれていいんだよ?」
木下は子供のように無邪気に頬を膨らます。こちらは真面目に話をしているというのに……あえて茶化しますか。
「本当に、ある意味なんです。私はこの拘留期間中に一つの目標を立てました」
「目標?」
「あなたの化けの皮を剥ぐことです」
「……」
急にだんまりとした木下。
「あなたは他人を見下した上で、さも対等のように振舞っている――私にはそう見えます。だから必ず、あなたを地面に引き摺り下ろし、本当に対等の立場で、正々堂々と戦いたい」
「正々堂々……ね」
木下は私の言葉を言及することなく、マグカップを片手に微笑んだ。




