第4話 渦巻く
「月詠、いるんでしょう」
私の呼びかけに応じた月詠は目の前に姿を現し、しーっ、と口に指をあてて「喋るな」と合図した。
そしてゼロ距離まで接近し、小声で耳打ちされる。
「監視カメラ無し、盗聴器三つ。リビングの机の裏と、寝室のコンセント、洗面所の洗濯機の裏」
月詠はそれだけ言うと、肩にかけていた鞄から自前のノートとペンを取り出し、私の前で腰を下ろした。目線が同じ高さになる。
“今の状況を簡潔に説明するから、了解なら頷いて。わからないことがあったらその部分を口パクで教えて”
ノートの一行目には既にそう書かれていた。私は頷く。
“東雲は友人と美樹さゆりのお見舞いに行った。彼女は事件について何も言わなかった”
こくりと頷く。
“美樹さんの容態は芳しくない。手術後も後遺症が目立つ恐れがある”
今度はゆっくりと頷いた。
“榊原は学校がなくなり、自宅で自習。東雲を泊めている”
東雲? と口パクすると、月詠は詳細を書き綴った。
“葉山の愛人疑惑がある父親をマスコミにリークしたのが東雲、家出した先が榊原の家”
そんなことがあったのか……と頭の中で整理しながら頷く。
“速水と水無瀬は速水家で待機、片桐には雪村について調査させてある”
そして月詠は伝達係、というわけだ。
雪村とはしばらく連絡をとっていないが、まだ私に関わろうとしてくるとは。
あいつはどう考えたって、私が事件に関わっていると知っていて朽木に絡んでいる。
これ以上関与しないでほしい、という願いは、恐怖心よりも、彼を巻き込みたくないという昔の過保護から来ているのかもしれない。
出来れば片桐でなく月詠に、雪村の調査をしてほしいところだが、今はそれを伝える術がない。
盗聴器の場所がわかっているのだから、力を使って破壊することも可能だが――残念ながら今はその段階ではない。
私が思いつめた表情でノートを眺めていると、そのノートはひょいと取り上げられる。月詠がまた何か書き始めたようだ。
“ここからが本番だよ。ギリギリまで周囲を欺いて、紋章集結式を完成させるんだ”
ええ、わかってるわ。私は神妙な面持ちで頷く。
仲間が多すぎては意見が一つにまとまらない。何より、私の願いに東雲たちを巻き込むわけにはいかない。
結果、彼らを裏切ることになっても。全ての力を持った私に抵抗できる術はない。
“雨宮さん”
月詠が、紙面で私の名を呼びかける。
“何が起きても、俺は雨宮さんの味方だよ”
私は頷かずに、彼の瞳を見つめた。一点の曇りもない瞳。いつも胡散臭い月詠だが、この言葉だけは信じられた。
月詠は静かに私の肩を抱き寄せる。
どこか懐かしくも思えるその温もりに、私は恋人である東雲のことも忘れて、ただ身を委ねていた。
◆◆◆
三月十七日(水) 午後五時 速水宅
「まさかこのまま無策、なんてあるわけないだろ?」
久しぶりに会ったこの面々で、話を切り出したのは速水先輩だった。
それはもともと用意された言葉のように読み上げられた台詞。
「もちろん。それを伝えるために集まったんじゃないか」
月詠先輩もまた、演技を披露するように言葉を返す。
二人と水無瀬ちゃんを除くボクたちは、どこか意気消沈としたオーラを纏っていた。そんな中、二人の言葉を急かしたのは東雲先輩だった。
「で? どういう作戦だって?」
雨宮先輩が朽木の家に捕まっているのがよほど気に入らないらしく、とても嫌そうに目を細めて眉をひそめる東雲先輩。
その姿を見てようやく、月詠先輩が流暢に紋章離脱式の作戦を発表する。
「警察が雨宮さんを捕まえていようが、探偵気取りの高校生が事件について嗅ぎ回っていようが、愛人持ちのガチ探偵がうろちょろしていようが、余計なことは考えずに当日七時に現地集合!」
月詠先輩は仁王立ちして言い放つ。
「そんだけ?」
ぽかんと口を開けたまま固まる片桐先輩。
それもそうだ。少し頭を使えば、月詠先輩が雨宮先輩を朽木の家から連れ出すことは容易だけど、もう少し詳細を教えてもらってもいいはずだ。
「うん」
月詠先輩はさもそれ以外何かあるのか、といった顔で頷いてみせる。本来なら、これ以上質問は受け付けない、という隠された表現なのだろうが、片桐先輩はそんなことも露知らずに質問を続けた。
「こう、紋章離脱式―! っていうぐらいだから、発動するときによォ、呪文とかなんかあるんじゃないかって思ってな!」
「確かに、それはボクも気になってるよ」
離脱式の発動条件として、特定の位置関係と時間については書かれていたけど、実際に何かするのかどうか、詳細はどこにも書かれていなかった。
「それは……」
「その場で強く願うだけだよ」
水無瀬ちゃんが言いかけたとき、月詠先輩が言葉を被せてきた。
「それは本当なの?」
試しに、ボクから彼に尋ねてみる。
「そうだよ」
彼はあっさりと答えた。
正直、ボクは半信半疑のままだ。
さっき彼が言っていた“余計なことは考えずに”という言葉がどうしても引っかかる。気にかけられると何か不都合でもあるのか。
考える暇もなく、東雲先輩はどんどん話を急かす。
「当日になれば雨宮も戻ってくるってことだろ。それまで俺たちはいつも通り生活してればいいってわけだ」
「そういうことだな」
そこに速水先輩も同調し、話は収束したかのように思えた。
プルルル……プルルル……
「俺に電話? 知らない番号だ」
唐突に、東雲先輩の携帯電話が鳴った。
この場にわずかの沈黙が訪れる。
「相手はケータイ?」
速水先輩が訊ねると、
「いや、どっかの家電」
と東雲先輩は答える。きっと先頭に市外局番がついていたんだろう。
しかし、その着信は五コールほどで切れた。
「もしかして、雨宮か!?」
片桐先輩がそんな期待させることを言うものだから、東雲先輩は躊躇なくその電話にかけ直してしまう。
「もしもし……」
相手がすぐに出たようで先輩が挨拶すると、室内の静寂のせいか、スピーカーでなくても相手の声がこちらまで聞こえてきた。
『もしもし蓮くん? 私です。葉山です。今少し時間あるかな? 本当に、少しでいいの。三十秒ぐらい、お時間ください』
突然の葉山瑞紀からの電話に狼狽える東雲先輩。
「……」
彼は何も言わず、ただ黙り込んでしまった。電話を切る気配はない。何か情報を聞き出そうとしているのだろうか。
『そうだよね。黙り込んじゃうよね。この前のスキャンダル、蓮くんのパソコンから写真を送った形跡が発見されたよ。やっぱり、私のこと受け入れられないかな……』
葉山は、自分から時間は少しでいいと言ったにも関わらず、悠長な喋り方をしていた。これは職業病からだろうか。いや、彼女は別にゆっくり喋らなきゃいけない職業ではなかったはず。
この沈黙の中で、一瞬のアクションを起こしたのは、速水先輩だった。
ビュンッ! と、東雲先輩の顔の横を何かが通りすぎる。
あまりに一瞬のことで、何が起きたのか、東雲先輩もボクも理解できなかった。
ようやく気付いたのは、東雲先輩の後ろに、風穴があいた携帯電話が転がっているのを発見したとき。
速水先輩は、一瞬で鋭い風を生み出して東雲先輩の携帯電話に穴を空けたのだ。
「おい速水!」
当然、東雲先輩は憤慨する。それに対し速水先輩は、冷静に告げた。
「逆探知でもされたら、どうするんだ」
「!!」
言われてから、周りがハッと気付く。
もしGPSなどの機能を使ってこの場所が特定されれば、速水先輩と水無瀬ちゃんが生きていたことも、そこに関与しているボクたちの存在も明らかになって、大騒ぎになるはずだ。
「あー危ない危ない! 命拾いできたね!」
月詠先輩は両手を広げてそのままソファにダイブした。
「月詠から聞いたぞ。お前の父親、探偵なんだろ? お前なら雨宮と通じているかもしれないと探っているかもしれない。浅はかな行動は避けろよ」
「……わかったよ」
速水先輩に諭されて、東雲先輩は俯いた。
この状況下で逆探知のことを即座に思い出すなんて、速水先輩はなんだかんだ言ってもすごいと思う。だけどその反面、そんな秀才に隠し事をされていると思うと、一筋縄ではいかないなと落胆した。




