第2話 焦燥
「お風呂ありがとー」
「ありがとうございました」
木下に腕を掴まれながら脱衣室を出ると、朽木は相変わらずノートパソコンと向き合っていた。
しかし私たちが風呂を出たと知ると咄嗟にパソコンを閉じて、風呂に入る支度を始める。
それを木下は怪訝に思ったのか、
「今なんか隠さなかったかなー?」
と茶化し始めた。
「何も」
朽木は冷めた顔でそう言い放ち、脱衣場へと足を向けたが。
「いいや! あたしの目は誤魔化せないよ! 昴ちゃんは今確実にエロサイト見てたよね!」
「見てない!」
「……」
痴話喧嘩というやつか、と私は落胆する。
「まあ人のパソコンの履歴を覗くつもりはないけど~、昴ちゃんが変態だって証拠はここにあるからねん」
木下は音速かと思うほどのスピードで朽木の寝室から何かを持ち出してきた。
「そ、それは!」
「?」
朽木がやけに焦燥するので何かと思って見てみると。
「何々、女子高生に……」
「やめろおおおおおお!!!」
コンビニで売っているような成年誌だった。これは合法だ。
「あはは。うけるー。昴ちゃんの性癖モロバレだよねー」
「うけるー。じゃないだろ! 勝手に何するんだよ!」
「え? 面白いから? 昴ちゃんの“マジおこ”が見たいから?」
「人を小馬鹿にしやがって……」
「気をつけてね紅愛ちゃん。こいつロリコンだよ!」
「……気をつけます」
「俺はロリコンじゃない!」
「ふふ……」
この流れで朽木が何の説得力もないことを言うので思わず口に出して笑ってしまった。
木下は「笑われてやんの~」とけらけら笑う。
頭に血が上った状態の朽木は、なんとか取り繕おうと必死に熱弁し始める。
「大体、ロリータコンプレックスの対象は十二歳~十五歳の女児であり、それ以上である女子高生はそれに該当しない。よって私はロリコンではなく」
「髪の毛乾かそっか」
「はい」
だったら何故そんなに詳しいのかと問い詰めたい気持ちを抑え、ここは朽木をスルーする方向で一致した。
朽木のことは月詠に聞いた限りで他の情報は知らないが、もしも私を“そういう目”で見ている節があるとしたら、これから一週間はずっと冷や汗をかくことになるだろう。朽木に限ってそんなことはないとは思うが……正直、少し恐怖を覚えた。
◆◆◆
三月十五日(月) 午前八時半 都立海島高等学校
部活の朝練にも身が入らなかった俺は、教室で英治に問い詰められようとしていた。
「お前、最近変だぜ」
「え、何が?」
俺は何の狂った調子もなく爽やかに返す。しかし英治はそれが気に入らなかったようで、俺のネクタイを掴んで引き寄せた。
「絶対おかしい。バスケも凡ミスばっかだし、今まで相手にもしてなかった取り巻きに笑顔振りまいたりしてさ!」
「ミスは悪いと思ってる。でもあの子たちだってずっと無視してたら可哀想だろ?」
「そうだけども! なんか調子狂うんだよ! お前、正直に言えよ。雨宮さんとなんかあったんだろ」
「……」
俺は返す言葉も見当たらなかった。
雨宮が警察に捕まってしまったなんて、英治に言えることではない。
「俺でよければ、相談乗るぜ?」
英治は優しく、そして悔しそうに言った。
……お前に相談して解決できるなら、俺はこんなに悩んでないんだ。
どうするんだよ。やっとここまで来たのに、最後の最後で一人が捕まってしまうなんて。
雨宮の失踪設定を決行した日以来、まともに喋ってもいなくて。
しかも、雨宮が捕まったのは俺のせいじゃないか。
あの時水無瀬に教えてもらった、もう一人の人間の反応を見逃していなければ、美樹さんが負傷することも、雨宮が捕まることもなかったんだ。全部、俺のせいなんだ……。
「じゃあ俺は、どうすればよかったんだよ……」
思わず、人目も気にせずに英治に泣きついた。
「……」
英治は一瞬困惑したが、数秒後には俺の肩に手を回して、
「ちょっと保健室行こうぜ」
と教室を離れようとしてくれた。
――英治は親友だが、紋章のことや全焼事件の全容を話すわけにはいかない。
美樹さんはなんとなく察していたようだが、もしかしたら英治も? とは思えない。
こいつはポジティブな奴だ。そんな発想に及ぶ心配はないだろう。
けれど、いっそのこと全てを打ち明けてしまいたいという思いもあった。
打ち明けることで少しでも身が軽くなるなら……なんて。そんなことをしたら、英治まで巻き込んでしまうというのに。
――保健室に着いて、しばらくベッドで休ませてもらうことになった。部活でミスが多いことを理由に、足が重い、などと適当なことを言って。
「英治、授業はいいのか?」
「いーんだよ。一時間ぐらいバックレたって大丈夫だろ!」
「進路に響くぞ」
「ご心配どーも。俺さ、やりたいことってないんだよね」
英治は唐突に自分のことを話し始めた。
「この前の進路調査でもさ、空欄のままなかなか提出できなくて。なんだっけなぁ、適当に総理大臣とかでっかく書いてやったわ! 再提出くらったけどな!」
「お前っ……」
俺は思わずくすりと笑ってしまう。気を紛らわそうとしてくれているのだろうか。
「中学生の頃までは本気でプロバスケ選手になりたいと思ってたけど、いざ高校上がって進路とか言われると、引き下がっちまうんだよな。現実、思い知っちゃうんだよな」
「そうだな」
軽い溜息まじりに頷く。
「さゆりちゃんから聞いた。雨宮さん、警察に捕まったんだってね」
「……知ってたのか」
またしても唐突に、英治は話を切り出した。
病院に搬送され、しばらくしてから意識を取り戻したらしい。これで美樹さんが亡くなっていたら、雨宮はもっと責任を負うことになるだろう。月詠情報によると、捕まったといっても、重要参考人として朽木の自宅で匿われているだけらしいが。さすがに美樹さんはこのことを知らないか。
「俺には信じがたい。でも、雨宮さんなら犯罪、起こしそうな気がするわ」
英治は続けた。
「捜査に協力するふりして、友人でっち上げて捜査をかく乱してたんだろ? 怖いんだよ、あの子。蓮と中学で何があったのかは知らねぇけど、さすがにあの子はヤバいって。お前もそう思うんだろ?」
俺は布団の中で震え出した右手の拳を左手で押さえつけた。
確かにあいつは“ヤバい”。それは認める。だけど、俺は別にあいつが恐ろしくなって他の女の子と仲良くしているわけじゃないんだ。
「あいつは……悪くない。悪いのは、あいつを完璧に信用できない俺だ」
「だったらもう忘れちまえよ。犯罪者を庇うなんて世間体的にもあんまりよくねぇよ」
「なんだよ世間体って! お前本当にあいつがやったって信じてんの!? 疑ってんの!?」
「本当はそんなこと思いたくねぇよ友達だったし! でもあの女はやる! 人一人殺してもなんとも思わなさそうで怖いんだよ!」
「勝手な決めつけしてんじゃねぇよ! 友達だったら信じるのが普通だろ!」
それ以上言い返す言葉が思いつかなくなり、いったん息を整える。
俺だって本当は怖い。犯行中、出会い頭に警察を殺せと命令したんだ。英治の言うとおり、人一人殺したところでなんとも思ってないのかもしれない。親が死んだその翌日に共闘を申し込んできた。なにもかも、英治の言うことは的を射ていて。それでも肯定しちゃいけないのが煩わしかった。
「俺は今日、さゆりちゃんのお見舞いに行く。蓮はどうすんの」
「……ついていく」
英治が何を言いたいのか、今の俺には理解できなかった。英治なりの考えがあって俺を怒らせているのだとしても、それ以上の意図が掴めない。
彼女である雨宮をきっぱりと諦めてほしいのだろうか。それとも――
もしかすると、実は何も考えなしに喋っているだけかもしれない。
だめだ、頭が回らない。
――直後、普段の寝不足が祟ったのか、意識が朦朧とし始めた。




