第3話 父と女
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今日は夜勤が休みなのか、午前○時頃に父親が家に帰ってきた。きっといつものように飲んだくれて、ふらふらとリビングに倒れては酒の匂いを撒き散らすのだろう。俺は、この時間は常に自室に篭ってパソコンなりテスト勉強なりをしているので、実質害は及ばないが。
しかし、今日はどこか雰囲気が違った。――玄関の方から、話し声が聞こえるのだ。自室から玄関まで距離があるため内容までは聞き取れないが、あれは確実に父親と、……女の声だ。
それを耳にした時点で俺は、この状況を悟った。すぐにパソコンのディスプレイに向き直り、愛用のヘッドフォンをつけて、お気に入りの動画を漁る。
今頃、雨宮は速水の家でうまくやっているだろうか。水無瀬もいるから卑しいことなど何もないと思うが。
――雨宮の声が聴きたい。
よりにもよって今晩、こんな時間に女を連れ込んだ父親のことを考えると、その想いがより一層強くなる。自分も一度経験したことなので他人のことをどうこう言う資格はないかもしれないが、この時間、この家には俺がいる。女はそのことを知っているのだろうか。いや、実の妻に暴力を振るうような男だ、信用できるわけがない。
ここで突然、俺がリビングに飛び出していけば、父親はどんな顔をするだろう。絶望、という二文字が相応しい真っ青な顔にでもなるのか。それとも“しら”を切り通そうとするのか。興味はあったが、それよりも雨宮のことが気になって自室を離れられなかった。
直接電話する、という手段も少し前まではあったが、雨宮は昨日の事件以来、失踪したという設定になっているため、通話記録を残すことは避けなければならない。
俺にとっては“苦”以外の何物でもなかった。
今までは特別、寂しいとか苦しいとか、全然思わなくて、高校生活もそれなりにエンジョイしていたというのに、いざ彼女が出来て、当分会えないとわかると、途端に孤独の寂しさが襲いかかってくる。居場所は知っているが、会いに行ってはいけない。抑えなければならない。
――一つの動画の再生が終わり、ヘッドフォンの外側の音が漏れ聞こえてくる。
「……のコピーです。……の調査……次第、こちらで……」
リビングに移ったのか、先ほどよりも会話がよく聞こえた。
こんな場面でも仕事の話か?
俺は怪訝に思いながらも、しばらくはヘッドフォンをする必要がないと判断して、それをパソコンの隣に置いた。
「ふぅん、これが。魔法だの術式だの書かれているが、これが日本の警察の調査結果なのか?」
「間違いありません。彼は連続全焼事件の捜査部長です。恐らく部下に内緒で、独自で調査を進めた結果かと」
おい、何の話をしている。魔法、警察、連続全焼事件、捜査部長……、独自調査。それって……。
胸騒ぎがする。
俺は、何か得体の知れない触手に絡まれたような拘束感に墜ちていた。この触手を振りほどかない限り、いつかは食われてしまう。解放されるためには、その正体が何かを突き止め、打開策を練る必要がある。
「こんな子供騙しを吹き込んだのは、どうやら子供らしいな。雪村棗、か。こいつをマークしよう」
「雪村棗? 朽木が調べている雨宮紅愛ではなく?」
「いや、雪村だ。資料を見る限り、雨宮以上に怪しい。もしかしたら、雨宮を犯人に仕立て上げるために工作しているのかもしれん」
「つまり、東雲さんは、雪村こそが犯人だと? そう仰りたいのですか」
「犯人とは思い難いが、雪村を追えば、雨宮との関係性も浮き彫りに出来る」
どうやら、父親とその仕事仲間が見ているのは、朽木が調査した、連続全焼事件についてのファイルのようだ。でも、なぜ俺の父親がそんなこと?
女の方の正体も謎だ。彼女は父親の仕事仲間、あるいは愛人だと思われるが、話の流れからして彼女が朽木の捜査ファイルを盗み出したと考えていいだろう。彼女は何者だ? そして、雪村棗とは? 疑問に疑問が重なっていく。
落ち着け俺。冷静に考えるんだ。雨宮なら、こういう時にどう考えるか。彼らの狙いは何か。
まず、雨宮が疑わしい人物を見る時には、相手の表情、目の動き、口の動かし方、喋り方を第一に読み取る。内容は二の次、三の次だったはずだ。今回は残念ながら相手の正体も顔もわからないため、喋り方のみ。
父親も女も、茶化した様子は一切ない、真剣に話している。こうして耳を澄ましていると、自分がいかに父親を知らなかったのか理解する。あんなに語尾を強調する喋り方をしていたのか。内容こそ真面目だが、あんなにゆったりとした喋り方だったか。聞けば聞くほど、本当は自分の父親ではないんじゃないかと思えてくる。いや、むしろそうであってほしいと切に願う。
女の方は、しっかりとした聞き取りやすい標準語だった。声も通っていて、普段から腹式呼吸をしている可能性が高い。そういえば、この声はどこかで聞き覚えがある気がする。ラジオだったかな、テレビだったかな、それとも――
『こちら! 今回、連続全焼事件のターゲットだと言われている愛染ホールです! 今回は脅迫状が届いた様子はありません! 天候はこのように雷雨ですが! 果たして愛染ホールは全焼するのでしょうか!』
葉山瑞紀!?
どうしてそんな人が家に。理由はすぐにわかった。
「これをマスコミにリークすれば、瑞紀の仕事も増えるってわけだ」
「そうですよぉ。それに、マスコミの力を借りれば、わざわざ私たちが動かなくても、雪村棗について知れるってことです」
「おいおい。たまにはこっちの仕事も増やしてくれ。探偵業もそんなに食えたものじゃない」
「だからこうして、依頼してるんじゃないですかぁ」
「いろいろと矛盾してること、気づいてるか?」
「えへへ~」
葉山はすっかり父親になついていた。事件についての話も終了し、“そういうモード”に入ったのかもしれない。リビングの向こうで、二つの足音が父親の部屋に入っていくのを聞いた。
――俺がやるべきことは二つだ。
一つは、あの資料を盗み出すこと。そしてもう一つは――




