第8話 東雲の事情
三月三日(水) 午後六時半 コンビニエンスストア
「午後六時といういい時間なのに激辛肉まんが売っていないとは一体全体どういうことなのかしら」
「たまにはそういうこともあるって。ほら、フライドチキン食えよ」
「骨付き肉の食べ方はエレガントじゃないの」
「知るかよそんなこと」
今日は殆どの公立高校で「三年生を送る会」なるものが実施され、東雲の部活もなく、駅で落ち合ってここまで二人で歩いてきた。学校が午前中に終わったのでお互いに私服。私はつい先ほど後ろのコンビニで購入した「チョコまん」をレジ袋から取り出し、外装をゴミ箱に入れてから頬張った。
「甘すぎずとろけすぎず、且つ固形すぎず。この絶妙なバランスがいいのよね。ベルギーチョコを使用しているのもいい点だわ」
「いよいよお前の好物がわからん」
「あら、私は激辛肉まん一択よ。今日は私の前に現れてくれなかったことへの報復としてチョコまんを食べているのだわ」
「せめて激辛肉まんに準ずるものを食べるという選択肢はなかったのか」
「それは浮気行為よ」
「お前がわからん」
そんな他愛もない会話を弾ませながら東雲はフライドチキンをむしゃむしゃと頬張っていた。ゴミ箱の近くで二人並んで食事をする際、視界は隣か前方向に限定されてくる。そのとき、私は急激に「誰かに見られている」という不安に駆られた。
誰だ? 月詠か? ……いや、違う。こう、もっと人間的な――――
駐車場の最も車道側に停められている黒い車の運転席にそいつは乗っていた。サングラスをかけた朽木だ。
「東雲」
「ん、どうした」
「朽木に張り込みされてる。うまく撒くわよ」
「張り込みって……! あいつ、俺らのこと疑って……!?」
「可能性は十分にあるわ。一度接触した相手よ。――できるだけ一通の道を歩きましょう。あと、今日は予定変更、お前の家に行くわ」
「ま、待てって。そんなことしたら余計怪しまれるだろ!」
「張り込みに気付いちゃったものは仕方ないじゃない。それを許すなんて気分を害するわ」
「そうだけど……」
「というわけで、よろしく」
「はい」
食事を終えたと同時に、私たちはその場を離れた。朽木の車とは反対の車道に行き、そこからはなるべく一方通行の道を選んで駅を目指す。
いつから尾行されていたのだろうか。相手が車ということは、少なくとも私たちが駅を出たあとのこと。もしかしたら、運転中に偶然見かけていい機会だと尾行したのかもしれない。
とりあえず今警戒すべきは駅までの経路。それからは心配も少ない。ただ、張り込みするということは当然ながら私が朽木に疑われているということ。それは月詠の連絡先を教えた時点である程度予想はしていた。まさか自分の現住所が知られているとは思いたくない。そうなればこれからの会合は他のメンバーの家を使うか、どこかの施設を使うことになる。
――無事、東雲の自宅に到着した。八階建てのマンションの六○二号室。
「七時か……ギリギリ、親が外出したってとこかな」
「そう、お邪魔します」
東雲家には、家庭の事情がある。東雲が幼少期の頃、母親が亡くなった。
彼の母親は精神病を患っていたためか、ヒステリックに慟哭しては彼に肉体的ダメージを与え続けていた。所謂、ドメスティックバイオレンスというやつだ。
食事もろくに与えられず半ネグレクト状態の彼は、そんな母親が自分の母親だとは認められなかった。だから自分は見ず知らずの人間に暴力を振るわれているのだ、自分の母親、そんなものは存在しないのだ、と――。
そしてある時突然母親はパタリといなくなってしまった。その翌日に彼の母親は、当時住んでいたマンションの階下で遺体となって発見された。彼は、ざまぁみろ、と思ったらしい。自分を痛めつける人間はもういない、これからはそんな恐怖もなく、子供として父親に無償の愛を授かるのだと安堵した――しかしそれも束の間のこと。彼の母親が精神病を患っていた理由が、彼の父親にあると聞かされる。それは不倫だ。彼は絶望した。
一度躍起になった彼は、父親の不倫現場を盗撮して会社に送り付け、父親の立場を失くすことに成功し、現在、転職先では夜勤で働いている。
何かから逃げるように過ごしてきた彼は、自分より優位の人間を当然のように蹴落とした。愛を知らずに育った彼は、当然、人の愛し方を知らなかった。
「ゲームしようぜ! 先に百体倒した方が勝ちな」
「はいはい。負ければいいんですよねー」
「ちゃんと真面目にやれ!」
「はーい」
彼自身が知らないだけで、彼はしっかり親の愛情を受けて育っている。
彼の父親は、きっと自分の行為を恨み、省みているのだろう。
◆◆◆
三月六日(土) 午後七時 仙郷寺
無意味で、無謀で、何の策も講じることが出来ていない。
捜査部では「次こそは現行犯逮捕だ!」と苦し紛れに声を高らかにしたが、相手は魔法使いかもしれない。対面した瞬間に殺される。それは三回目の如月美術館全焼事件のときに明らかにされている。ベテランの浜島警視長が殺害されたのだ。
朽木は頭を抱えながら、仙郷寺の裏口に身を潜めていた。現在、表では寺に重宝されていた多数の品々がトラックに詰め込まれている。そして、仙郷寺の至るところに警察がランダムで配置され、皆決まって外からは見えない位置に立っている。
今回は無人を装い、油断させたところで背後から捕まえようという算段だ。一応寺の周りには立入禁止のテープを張っている。これで一般市民は絶対に近寄らないが、犯人は確実にここに来る!!
その数分後の出来事だった。
唐突に、胸ポケットに仕舞っていたトランシーバーがザザ……という音と共に声を受信した。
『本部から連絡! 本部から連絡! たった今、笹倉児童館で火災が発生しました! 至急、数人そっちに回ってくれとの伝言です!』
笹倉――児童館?
朽木は頭を傾げる。
こんなときに他の場所で火災が起こるなんて――模倣犯の仕業か?
『海蔵寺、向かいます』
『鈴浦、向かいます』
『能山、向かいます!』
『仲眞、向かいます』
次々とトランシーバーから移動宣言の声が上がり、仙郷寺の入口に近い者は早々と出て行った。
『人数確保です! 協力ありがとうございます!』
これで仙郷寺に残る人数は四人。
『もう一つ、本部から連絡があります!』
朽木はトランシーバーを持ち上げて、自身の耳に近づけた。
『笹倉児童館、一向に炎が消えません!』
それを聞いた瞬間、朽木の全身に戦慄が走った。
嘘だろ……?
笹倉児童館なんてノーマークだ。絶対に仙郷寺だろうと予想していたのに。予想が外れたのか? それとも、これも犯人の作戦の内なのか。
朽木は今すぐにでも笹倉児童館に向かいたい衝動に駆られたが、先ほど応援に向かった四名の名を思い出して、喉まで出かかった衝動を堪えた。
ふと腕時計を見ると、時刻は午後七時二十五分。仙郷寺火災発生予想時刻までタイムリミットはあと五分。本当にここは燃えるだろうか?
実は笹倉児童館が本命でしたーというオチではないだろうか?
朽木は一抹の不安を抱きながら、裏口で拳銃を構えた。




