第8話 愛染ホール
喫茶店の中はほんのりと薄暗く、制服を着ている俺たちには場違いのような気さえした。俺、英治、朽木と雨宮、美樹さんは向かい合って座っている。相変わらずストレートコーヒーを頼んだ雨宮はそれを啜りながら朽木に話しかけた。
「警視庁警部補の朽木昴さん、でよかったかしら」
「ええ」
一気に緊張感が増して、俺も英治も固まってしまう。というか雨宮。お前は目上の人に敬語を使うことをいい加減覚えてくれ。いやまあ、敬語っちゃあ敬語なんだが、なんでこうも上から目線なんだお前は。
「お若いのに、よっぽど優秀な方なんですね」
雨宮はまるで嫌味のようにくすりと笑う。美樹さんは俯いたまま。警部補とか、そういう警察の階級って俺にはよくわからないけど、若い奴がそうそうなれるものじゃないんだな、きっと。
「いえ、ありがとうございます」
朽木は無表情に返す。
「私は三日月高校二年生の雨宮紅愛といいます。紅の愛と書いて“くれあ”です」
「これはまた珍しい……」
「キラキラネームみたいなものです」
普通に遠くから見れば朽木と雨宮は先生と生徒ぐらいに見えるのだろうが、俺には二人が同等の立場の人間のように見える。十つくらいは離れてるはずなんだけどな……あれれ。
「それで、月詠と話したい理由を聞かせていただけますか」
「もちろん」
朽木はそう言うと、自分が連続全焼事件の捜査部長をしていること、脅迫状を人伝いに届けたのが金髪の少年だということを教えてくれた。美樹さんもその辺に関してはあまり知らなかったようで、「メモ、メモ……」と持参のメモ帳に書き留めるのだった。
「なるほど。それで月詠を。とりあえず今電話してみますね……」
今現在事情を把握した――フリをした雨宮は携帯電話をポケットから取り出して電話をかけた。
「……もしもし。そう。……用事以外であんたに電話する理由なんてない。ええ、ちょっと聞きたいことがね」
「なんか……あんまり仲良くなさそうだな」
英治がコソコソと俺に耳打ちする。
「そうだな」
とだけ返しておく。
「……ふぅん。なるほど。了解了解、ありがとじゃあね」
ブチ、と雨宮は通話を切断して朽木に向き直った。
「確かに杖をついたおじいさんから受け取ったと言ってます。でも事件が起きるまで脅迫状だとは知らなかったみたいですね」
「そうですか……一度、その月詠くんに会わせてもらえないかな」
「どうぞどうぞ。これ、彼の番号とアドレスです」
雨宮は言いながら携帯電話で電話帳の月詠のページを開いて朽木に向けた。というか、どうぞどうぞ……って、それ月詠本人から許可取ってないだろ! 確かにこの前の脅迫状の件以来二人は仲悪そうだけど……個人情報を勝手に人に教えるなよ! いや、相手は警察だからいいのか?
そんなことを考えているうちに、雨宮と朽木は名刺交換(?)を交わし、その後俺たち三人にも、
「何か事件に巻き込まれたり、全焼事件について何かわかったことがあったら連絡してください」
と名刺を渡される。
「ありがとうございます……」
俺は少し身を引いて会釈した。
外はすっかり暗くなり、俺と雨宮は同じ電車に乗っていた。
「……月詠が気に食わないのはわかるけど。何もあんな警察に売るようなマネは」
「東雲は気にならないの?」
「は?」
帰宅ラッシュの時間であるため、人と人の間に身をよせて電車の手すりを掴んでいる。俺と雨宮の会話は、恐らく周りの人間には聴こえていない。
「気にならないって何が?」
「月詠の正体」
「……は?」
再び聞き返す。月詠の正体だって? それがどうしたっていうんだ。月詠は月詠だろう。俺の呆れ返った様子を余所に、雨宮はなおも話し続けた。
「あの男は頭がいい。きっとあの金髪とかピアスとかは自分の価値をわざと下げているのよ。胡散臭すぎるもの。あいつはきっと何か隠している、企んでいる……」
「ちょっと、神経質になりすぎてるんじゃないか?」
「そうかしら」
確かに雨宮があいつを敵視する理由はわかる。けれど、こいつは時々感情に左右される奴だ。思い誤って間違った判断を下されては困る。俺は雨宮を宥めた。
「月詠に企みがあってもなくても、今は離脱式を完成させることだけを考えろ」
「……そうね」
何を思ったのか、珍しく雨宮は俺の意見をすんなりと受け入れた。こいつも少しは成長したということか。俺も成長したのかもしれない。
◆◆◆
二月二十五日(木) 正午 警視庁内
見つからない。どの役所に訊ねてみても、見つからない。
月詠爽太という男の戸籍が。
昨晩、雨宮紅愛から頂戴した月詠の電話番号とメールアドレス。そのどちらも繋がらなかったのだ。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。電話番号をご確認し、もう一度おかけになってください』
電話の向こうから聴こえてくる、女性の声が酷く無機質なものに感じた。
『送信できませんでした。宛先を確認してください(451)』
最後に付け足された451というポート番号に、送信されないという現実をより一層感じさせられた。
戸籍が存在していない以上、月詠爽太という人間は確実に架空の人間である。ここから考えられることは二通りだ。
一つは、雨宮紅愛が嘘をついている。一つは、月詠爽太という偽名を騙る人間がいる。もし後者だった場合、その人間はこちらの捜査に気づいていることになる。個人情報を得たすぐ後の話だ。それはなかなか考えられないのではないか。
だとすると――――――――
雨宮紅愛を詳しく調査する必要があるな。
◆◆◆
二月二十六日(金) 午後七時二十分 愛染ホール周辺
天候は雷雨。
ザァザァと冷たい雨が地面に叩きつけられ、気温は既に零度以下。都内ということもありそこまで酷い寒さに襲われることはないが、それでも寒いものは寒い。
愛染ホールはビルのように高く聳え立つ赤茶色の建物だった。この雨の中でも、しっかりと警察官や警備員がありとあらゆる出入り口を塞ぎ、その周辺には赤色灯で辺りを照らすパトカーが数台。
そしてその周りには立ち入り禁止のテープが張られており、一般人やマスコミは愛染ホールの半径七メートル以内に侵入することが出来ない。
朽木は今回もテープの内側で、黙って愛染ホールの正面入り口を見張っている。
「こちら! 今回、連続全焼事件のターゲットだと言われている愛染ホールです! 今回は脅迫状が届いた様子はありません! 天候はこのように雷雨ですが! 果たして愛染ホールは全焼するのでしょうか!」
毎度お馴染みの事件リポーター葉山瑞紀が現場中継を担当している。葉山は日本東京テレビ――略して「JAT」――という放送局で中継を繋いでいる。朽木が腕時計を見て時間を気にしている中、葉山の読むカンペに衝撃的な文章が書かれた。
「えーたった今こちらJATに、連続全焼事件の犯人と思しき人物から封書が届きました!」
その場にいる全員――いや、お茶の間の主婦たちも、一斉に葉山を注目しただろう。
「封書!?」
朽木は驚きで声を上げた。しかしその声は雨で掻き消される。葉山はスタッフから受け取った茶色の封筒を見て、険しい顔をした。
「それでは早速開けてみたいと思います! 茶色の封筒には筆で小さく『全焼事件書』と書かれており、中には白い三つ折の紙が一枚! 書かれている文章を読み上げたいと思います!」
朽木は息を呑む。
(何が書かれている!?)
「“自然の驚異を思い知れ”」
「な……」
朽木は目を丸くして、葉山の方を向いたまま体を動かせずにいた。ゴロゴロゴロ……と遠くで雷が鳴り、辺りが一瞬真っ白になる。
“自然の驚異を思い知れ”
それは、どういう意味なのだろうか。この連続全焼事件は、自然災害ではなかったはず。ヘプタゴンという法則に基づいた人為的事件ではなかったのか。
再び背後で大きな雷の音が聞こえたとき、朽木の頭の中は真っ白になった。
「…………」
口をカクカクと震えさせながらそっと振り向く。そこには、先ほどまでの愛染ホールではない、別の何かが建っていた。黒くて四角い何か……。こんなことが、あっていいのだろうか。
雨に打たれてプシュウ……と小さく悲鳴を上げる、四角く黒い物体。そっと視界を下にスクロールしていくと、また同じ黒い物体があった。しかしその黒い物体は、決して四角くはなかった。
いつかの笹倉マンション全焼事件のときと同じ。水と血肉が交じり合った異臭。雨によってその異臭はそこまで強く感じられなかったが、確かにそれは――人が焼け焦げたとき独特の臭いだった。
“それら”はすぐに待機していた救急車で運ばれていったが、朽木は間近で見てしまった。その黒い物体を。かろうじで原型を留めているその黒い物体はぴくりとも動かず、まるで無機物のようだった。
朽木は思わず目を逸らす。逸らした先に、一人の少女が目に止まった。
(あれは……雨宮紅愛)
雨宮はテープの向こう側の最前列でしゃがみこんでいた。その隣で先日雨宮と一緒にいた少女が「紅愛ちゃん大丈夫!?」と背中をさすっていた。
よっぽど衝撃的だったのだろう。目の前で人が死ぬ様を見てしまったのだから。思えば彼女の両親も最初のイデア全焼事件で亡くなったんだったな。
(雨宮紅愛は事件の被害者でありながら――――)
不気味に笑っていた。
背筋をゾワリと悪寒が襲う。雨宮の笑う様を見て、朽木は雪村の言葉を思い出した。
『朽木さんは、魔法って信じますか?』
僕は科学的根拠を一番に信用しますが、この連続全焼事件は、何かオカルトが絡んでいると思うんです。例えばそう、“魔法”――。
魔法は、物理法則を凌駕する、科学的根拠では何も立証されない不思議な能力です。直接建物に触れなくたって、遠隔操作で発火させることが出来る。もしも犯人が魔法使いであれば、そいつを捕まえて実際に使わせてみればいい。科学的根拠ではなく、証拠を掴まなければいけない。
まぁ、結局はネットで噂になっているようなただの仮説に過ぎないんですけどね――――
「魔法――――――――――――――――――――――か」
一縷の望みというものは、限界を知ったときに唐突に膨れ上がる。
第5章 怪異事件 完




