第1話 赤の力
音一つ立たない無人の部屋。ボクはそこに一人佇んでいた。この静けさが、過去の出来事を思い出させる。
あれは、いつのことだっただろうか。誰とも仲良くなれず、自分が頼れるのは自分だけ――――
あれは、今から四か月前のこと。
ボクは紋章の力で、両親を殺した。
◆◆◆
秋、十月。
四月に入学した都立三日月高等学校の正門前に聳え立つイチョウの香りが鼻をかすめ、涼しげな秋風が首元をひんやりさせる。ボクはいつも通り、誰とも一言も交わさずに自分の所属するクラスの下駄箱へと向かった。
「ねー昨日の歌番観たー?」
「見た見た! あいつ歌詞間違えてたし!」
きゃははは、と笑う女子の声がする。
ボクはそこにジャリ、ジャリとスニーカーで砂を滑らせる音を鳴らしながら近づいた。
「……早く行こっ」
「……うん」
また避けられた。これで、何回目だろうか。こんな風に避けられるのは日常茶飯事で、中学の時からずっとそうだった。高校に入って心機一転しようと張り切っていた頃の自分が後ろめたい。結局、何一つ変わってないじゃないか。どうして、どうして……!!
避ける人間よりも、自分の不甲斐なさに腹が立つ。目つきが悪いわけでもなく、愛想が悪いわけでもなく。ボクは周りの人間から避けられていた。理由は分からない。けれどきっとそれは、自分の体質的な何かだと考えている。
誰かに必要とされたい――――――ボクがそう願うのは、罪なのだろうか。
教室の戸を開けると、室内にいたクラスメイト達が一斉にこちらを見るが、それがボクだと分かると一斉に元の行動へ戻る。おはよう、とか普通は挨拶をするんだろう。けれどボクに対してその普通は訪れない。なるべく人の邪魔にならないように通行量の少ない通路を使って自分の席に着いた。
「今度スタレボの新作出るんだってよ!」
「まじで!? 今のやつやっと最高レベルに達したっていうのに早ぇよー」
前の席で屯っている生徒の話が耳に入る。そのゲームならボクもやっている。出来ることならその話に混ざりたい。でも、ボクは必要とされていない……。
ホームルーム前、ボクは誰とも話さず一人携帯ゲーム機を持ってゲームに熱中していた。そして放課後になると、また一人で下駄箱に向かい、一人で帰宅する。
帰宅すると、専業主婦の母親が迎えてくれる。
「あらおかえり慎也、今日は学校どうだった?」
「楽しかったよ! 今日は物理の実験で大失敗しちゃってさぁ」
嘘。
「みんなに笑われちゃって。榊原くんはホントドジなんだからーってさ」
嘘。
「それでやっと成功したときに拍手なんかもらっちゃった」
全部嘘。
本当は、ボクの話じゃない。全部、クラスの人気者のお話で。ボクはそれを自分のことのように置き換えて話しているだけで。実際ボクは一人で実験していて、そいつのことを遠目で笑っていたんだ。そんな簡単な実験も成功できないのかよ、ドジとかいうレベルじゃないだろ絶対。
頭悪すぎ。
――妬んでいた。
クラスでハブられていることも、避けられていることも、親に話すわけにはいかなかった。両親には迷惑をかけたくない。本当のことを言ったらきっとめちゃくちゃ心配する。
だからこうして嘘の話で安心させる。それは幼い頃から編み出していた悪知恵で、話が深ければ深いほど信憑性が高いことを利用した、人間観察置換だった。
夕食の時間に父親が帰ってくると、ボクはまた母親にしたように楽しげに今日の出来事を自分に置き換えて話した。それがボクの日常だった。
しかし、その日常は突然崩壊する。
夢という名の無意識が、ボクの脳に語りかけてくる。
《誰からも必要とされず一人果てていくなんて嫌だ》
《早く楽になりたい》
《こんなボクを早く殺してよ》
《生きる価値なんてない》
《周りの人間がボクの良さに気づいていないだけだよ》
《ボクはこの世界を壊してしまいたい》
《ボクはボクはボクはボクはボクはボクはボクはボクはボクはボクはボクはボクはボクはボクはボクは――――――――》
《ボクを必要としない人間なんてみんな死んじゃえばいいのに》
バッ!!
と目を覚まして起き上がると、右鎖骨下が痛み出した。キリキリキリキリキリキリキリキリと痛みが徐々に増幅する。ボクは目を瞑って激痛に身悶えた。そしてようやく痛みが治まった時、目を開いて現実を知った。
真っ赤な炎が、そこにあった。自室の壁から、炎が飛び出ている。
なんだ、この光景は。
壁の反対に位置するベッドから降りることも出来ずに座ったまま、ただその炎を眺めていた。
何が起きている?
現状を理解出来たのはそれから一分後のことだった。
「火事だ!!」
慌てて家を飛び出ると、自分がケータイを持ってきていないことに気が付いた。しかし誰かが既に通報しているようで、家を出た直後に消防車と救急車はやって来た。
やがて炎は徐々に消えていき、一戸建ての自宅が姿を現した。いや、炎が沈静化したと言った方が正しかったのかもしれない。なんとか全焼は免れたようだ。修理費だけで済む。こういう状況でそんなことを考えていた自分が恐ろしい。
両親が家から出てきていないことを不思議に思ったのは、自分の生命に別状がないことを確認したあとだった。
結局、自分の命が尊い。そう悟った。今思えば、当然のことだったのだ。だって、自室の壁の向こうは両親の寝室だったのだから。言い訳をすれば、気が動転していて隣の部屋を確認することが出来なかったからどうしようもなかった。
火事が起きたのは両親の寝室で、出火原因は寝タバコとされているけど、ボクは心の片隅で気付いていた。右鎖骨下に浮かび上がっている、赤の紋章が原因だと――――
今でも、このことを思い出すたびに涙が流れてくる。事件を鮮明に思い出せば出すほどに涙が溢れ、同時に後悔の気持ちが込み上げる。そして毎回思うんだ。
「こんな力、ないほうがいいのに」
綺麗に修繕された両親の寝室で一人すすり泣く。本当は思い出したくもない。けれどもこうして両親の寝室に来ては事件を思い出すのは、自我の保持のためでもある。一瞬でも、この紋章の力を必要と感じてしまわないように。
自分は必ず、紋章離脱式を完成させて、この世界から紋章の力を消し去るんだ。




