第7話 笹倉マンション全焼事件
◆◆◆
「火事だー!」
「皆さん押さないで! 走らないで!」
「どけ!」「邪魔なんだよ!」「落ち着いてください!」
突如燃え上がった笹倉マンション内は混乱に満ちていた。
このマンションはオートロック式で、一階にはそのオートロックの自動ドアと非常口以外に出入り口は存在しない。更に、自動ドアには既に炎が上がっており、とても近づけた状態ではなかった。
何人かの住人は皆で生き延びようと先導に徹するが、そんなことは構わない所謂自分だけ助かればいいという考えをもつ住人は誰にも従わず他の住人を押したり蹴ったり殴ったりして床に転がせ脱出に徹した。
「非常口だ!」
「早く開けなさいよ!」
「わかってる! ……うわっ!!」
非常口のドアノブを掴んだ瞬間、住人の体に絶大な威力をもった電流が走る。それによってその住人は焼け焦げてしまった。まるで彼に雷でも落ちたかのように。
「ひぃぃっ……!」
それが見せしめとなり、他の住人は非常口のドアノブに触れることを恐れた。
「消防団はまだなの!?」
「多分もうすぐ……ほら」
消防団と救急車のサイレンが辺りに響き渡る。それは笹倉マンションで生存している住人にもはっきりと聴こえた。
「これで助かる!!」
誰もがそう思った。それもそのはず。消防団が消せない炎など存在するはずがないのだから。しかし住人の希望は儚く絶えた。待てども待てども炎は消えず、それどころか着実に威力を増していく。
「おい! このままじゃ全員死ぬぞ!」
住人の一人が声を上げた。
「そんな……どうしてこんな目に遭わなければいけないの!」
「うわあぁぁあああああんん!!! 死にたくないよぉおおおおおお!!!」
周りの住人が口々に叫びだした。
「他の階にあったスライドラフトは……?」
スライドラフトとは、緊急脱出用の滑り台のことだ。通常は防火性が強く、金庫のように頑丈な小さな保管庫に保管されている。
「だめだ、全部焦げてる」
「焦げてる? 保管庫は燃えないでしょ?」
「わからないよ! でも確かに焦げてたんだ」
住人たちは今の現象をおかしいと思い始めていた。
「ねぇ、これってこの前の……」
「ああ。似てるな……」
「もう死ぬしかないのかしら……」
大人たちは諦めていた。死を覚悟して目を閉じる。しかし、中にはこんなことを言い出す住人もいた。
「待てよ、いちかばちか、二階から飛び降りてみないか」
「無理ですよ、階段は既に……」
「じゃあこのまま燃え死ねっていうのか!?」
「私は死を選びます。夫も息子も死んだから……」
「……」
沈黙が続いた。
聞こえるのは、炎が燃え盛るゴォォォという音と、ガヤガヤという野次馬や消防団の声。
やがて住人たちは全員、死を決意した。
◆◆◆
一週間前の全焼事件のときと同様、全く消えなかったはずの炎が一瞬にして消えた。その頃には、笹倉マンションは跡形もなくなっていた。唯一残っているものといえば、数分前に死んだのであろう住人たちの遺骨のみ。これで、前回との関連性を結びつけられた。数十分前に駆け付けた警察が早速捜査を開始する。
「なぜ住人は非常口や滑り台を使わなかったのか?」
そんな謎が叩きつけられた。今回は一週間前の全焼事件とは違って自然現象と思われるぐらいに炎が燃えていた時間が長かった。
「ショッピングモールがあれだけの短時間で跡形もなくなってしまったというのに、なぜマンションにこれほどの時間を費やしたのか?」
またひとつ、謎が叩きつけられた。
「二つの事件が人為的なものであるのは確かだ。だが、犯人の証拠はない。しかも一番の謎は、科学的に解明出来ないことだ」
「いくらなんでも不自然だ……」
捜査官が頭を抱える。
「解明は後回しだ。これが人為的なものだとわかった以上、周辺で犯人らしき人物の目撃情報がないか調べろ」
「「はっ!」」
しかしそれらしい目撃情報はなく、容疑者すら絞ることが出来ずに終わった。
◆◆◆
二月六日(土) 午後一時二十分 東三日月公園
「ちーっす」
「……揃ったわね」
笹倉マンション全焼事件から四日。私たちは再び集結した。
またも待ち合わせに堂々と遅れてきた東雲は、またも悪びれた様子はなく平然としている。ちなみに、今回榊原は遅れていない。
「まだあれから四日しか経ってないけど、なんだか久しぶりな気がするよ」
「そうね……容疑者候補にも挙げられなかったからこの間に顔を合わせることもなかったし。順調と言えば順調なんだけどね」
「お前らって同じ学校なんじゃねぇの?」
「不審がられないようになるべく学校では顔を合わせていないのよ」
「そりゃまた用心深いことで」
「このくらいして当然なんじゃないかな……」
東雲とも榊原とも、連絡はなるべくメールのやり取りだけにしている。
「んで、ふわぁ~今日は何すんの?」
東雲はんーっと背伸びと欠伸と質問を同時にした。
こいつ、寝起きか? 正午はとっくに過ぎているが。
「今日は、情報収集よ」
「「情報収集?」」
これには榊原も首を傾げた。
「それってもしかして、全焼事件の?」
「ええ」
「……その全貌を知ってる俺らがなんで全焼事件の情報収集をするんだよ」
「先輩はきっと、客観的な判断を下したいんじゃないかな」
「客観的な判断ねぇ」
いまいち目的が理解できていない東雲にも理解できるように説明しよう。
「私たちが知っていることは、あくまで加害者側の情報。推理ものでよく耳にする「犯人の大きなミス」っていうのは、大抵「加害者側しか知らない情報をうっかり口に出してしまうこと」でしょ?だから私たちは、加害者でも被害者でもない「第三者」目線から事件を見たり感じたりしてそのミスを犯さないようにするのよ」
「わかりやすい説明どうも。つまり、俺たちが完璧に第三者側だと思われるように振る舞うってわけだな?」
「そう。事件については、もう見たことあると思うけどテレビや雑誌、新聞、インターネットのニュースなんかでおおまかな概要が得られるわね」
「その他にも、近隣の住民の口コミやネットの掲示板、ボクたちの友人・知人なんかが情報源だよね」
「それらを統合して、俺らにも俺らの持論を作ればいいのか……」
「えぇ。恐らく近隣の住民の大半は怯えているはず。次に死ぬのは自分かもってね」
「最初はショッピングモールだったけど、次はマンションになったから、余計にね」
「怯えを装うって……平然を装うより難しいんじゃねぇの!?」
「かもね。私たちなんかは特に。平静を装いながら内側に怯えを隠すタイプだろうから」
自分で言っておいて苦笑してしまう。正直わからない。自分がそんなタイプかどうか。最初の全焼事件のときに自分から炎に飛び込んで行ったような女だ。
「「……」」
目の前の二人は反応に戸惑っているようだ。否定したいけれど出来ない、そんな感じ。それは肯定と受け取っていいのよね。しばらくしてようやく榊原が口を開いた。
「……親友がいたら、その人にそっと自分の怯えを打ち明けてみるのもいいかもね」
親友が“いたら”?
その言い回しに引っかかった。もしかして榊原は、高校内だけでなく普段から友達と呼べる人がいないのだろうか。
「それはいいテだな! そうしてみよう」
少し寂しそうに俯く榊原に気づいているのかいないのか、東雲がやたらとポジティブに返す。
「うん、がんばって」
どうやら榊原本人はそれを「気遣い」と受け取ったらしく、微笑みながらそう返した。もう充分、友達と呼べる存在がいるじゃないか……。
「うっし! そうと決まれば早速情報収集するかー!」
「おー!」
「そ、そうね……」
私から提案したはずなのに、なぜか私が置いてきぼりにされていた。
大勢の人の死が、無駄にならないように。この紋章の力を、この世界から――――
第2章 人為的事件 完