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バクの見る夢 CASE1

作者: 彬月正一郎

『此処に、隠れていなさい』


『絶対に、出て来ては駄目よ』


『大丈夫。なんともないから』


そういって、クローゼットは閉められた。


僕はその暗闇の中、ガタガタと震えていた。


なにか音が聞こえる。


−−−でも、出てきちゃ駄目だって言われた。


なにかよく知った人の声が聞こえた。


−−−だって、大丈夫だって言っていた。


もう、声が聞こえなくなった。


そのかわり、なにか、クローゼットの外に気配を感じた。


その、隙間。


クローゼットの隙間から。


見た。


それは、鬼で、化け物だった−−−。






□■□■□■□■□■□



一人目




□■□■□■□■□■□




影絵の街を歩く。時刻は深夜。歩く人はいない。


きっと−−−みんなアイツに殺されてしまったんだ。


僕は走る。


誰もいない街を。


逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて−−−此処にたどり着いた。


自分の通っている小学校。


誰もいない校舎内に入り込み、廊下を抜け、自分の教室に駆け込み、扉を閉め、息を殺す。


程なく、廊下には、なに者かの気配。


この世界には、もう僕とアイツ以外、生きているものはいない。


追って来たんだ−−−!


僕は、もう息さえとめて、震える足を腕で必死で抑え、体育座りの格好で、アイツが僕に通り過ぎるのを待つ。


気配が−−−近付いてくる。


一歩、一歩と、何かを捜すように。


その気配が、僕の隠れている教室の前で止まった。


僕の心臓は、早鐘のように鳴る。


お願い、お願いだから、このまま、通りすぎて−−−!!


気配は、少しの間、扉の前で止まっていたが、やがて、また歩き出した。


僕は、安堵で涙さえ流した。


助かった。


助かった?


なにから、なにを。


そのとき−−−。


僕は忘れていた。


教室というのは、前に一つ、後ろに一つ、扉があるのだ。


まるで、機械人形のように、僕は後ろを向く。


そこには、教室の扉を開き、こちらを見てる人影が−−−。


「−−−ここに、いたのか」


僕は自分の絶叫を他人の叫びのように聞いた。




+--+--+--+--+--+--+--+




「人の顔をみるなり−−−叫び出すことはないだろう」


「まだ生き残っている人がいるとは思わなかったんですよ」


入ってきた人影は、アイツではなかった。


くせっ毛で背の高いこの男の人は、摸本樹と名乗り、今は僕の隣に座っている。


「よく−−−アイツがうろうろしてると言うのに無事でしたね」


みんな、殺されてしまったというのに。


生き残ったものなど、僕以外いないと言うのに。


「−−−アイツって?」


目の前の男は、そんな間の抜けたことを言った。


「アイツですよ!街の人達を皆殺しにした!見てないんですか!?」


「見てない。ボクが此処にきたときは、もうキミ以外誰もいなかった」


−−−つまり、この人は僕と同じ、幸運だったのだ。


だって、アイツと会って、生きているなんて有り得ない。


絶対に、有り得ない。


「教えてくれないか?アイツって誰なんだ?街の人たちはどこに行ったんだ?」


「街の人たちは−−−みなアイツに殺されましたよ」


あの、化け物に。


「アイツは化け物です。アイツと出会って生きているなんて、不可能です」


「−−−化け物?」


「そう、化け物です」


アレは、化け物だった。それ以外有り得ない。


「人を殺す、化け物です」


僕の話しを聞いているんだかいないんだか、男は緊張感がないように、尋ねてくる。


「なぁ、二つ疑問があるんだけど、その化け物が街の人達を殺したとして、死体はどうなってしまったんだろうな?」


なにを−−−言っているんだ、この人は。


「そんなの、決まっているじゃないですか」


「決まっているのか」


「アイツが、まるごと食べてしまったんですよ」

彼は、半ば呆れたように。


「服ごとか?ずいぶんと腹の空いたヤツなんだな」


「ええ、限度というものを知りません」


目の前の男は、緊張感というものが抜けていた。


まるで、この状況がどうということもない。なんて思っているような。


「怖く−−−ないんですか?」


僕は堪らず尋ねてみた。


「え?」


「だから、こんな殺人鬼が近くにいるのに、怖くないんですか?」


少し、苛々しながら僕は聞く。


「怖い、怖いねぇ…」


ここで、少し男は考え込むような仕草を見せる。


いや、考え込むというよりは、なにか、思い出したくないことを思い出してしまったような−−−。


「怖い、怖いか。でも、世の中には人を殺す鬼より、怖いことがあると思わないか?」


怖い。


怖いこと。


本当に怖いこと。


それは−−−。




途端、玄関口からなにか割れるような音が聞こえる。


「−−−!!!」


アイツだ。


ついに、アイツに追い付かれた。


「来た−−−みたいだな」


樹さんは落ち着いている。アイツを知らないからだ。


震えが、戻ってくる。


恐怖が、蘇ってくる。


隠れなければ−−−。


何処でもいい、隠れなければ−−−!


「い、樹さん」


「ああ、どうやら−−−早い段階で決着がつきそうだ」


そういって樹さんは立ち上がり扉に向かって歩いていく。


「い、樹さん!なに考えてんですか!?」


「キミは心配しなくてもいい。この悪夢は−−−ボクが片付ける」


樹さんは、ニヒルな笑みを浮かべる。


いや、余裕ぶちかましてる場合じゃないですよ、樹さん。


「無理ですよ…。アイツには、誰も敵わない。やめてください。一緒に逃げましょう!?」


もう、嫌だ。


一人で、生き残るのは−−−。


「大丈夫だ。心配ないから、キミは隠れてるんだ」


大丈夫だから−−−。


隠れていなさい−−−。


「それじゃあ、行ってくる。もう会うこともないだろうから、一応言っとく。−−−サヨナラ」


そして、唯一、僕以外で生き残った男の人は教室からでていった。




後に残された僕は。一歩も動けず。立ち上がることも出来ず。


教室にうずくまっていた。




□■□■□■□■□■□




教室に彼を一人残し、ボクは一人廊下に出る。


「キミは心配しなくてもいい…。悪夢はボクが終われせるから」


世界はどこまでも静寂だった。動くものが三つしかいないせいだろう。


一つは、ボク。


一つは、彼。


そして、もう一つが−−−。


カツンカツンと誰もいない廊下を歩く。


窓の外に映る景色は夜。


いつまでも、明ける気配はない。


明けない夜。


覚めない夢。


カツンカツンカツン。


カツンカツンカツン。


音が重なる。


ボクの中のなにかがゾワリと総毛立つ。


カツンカツンカツン。


カツンカツンカツン。


世界は何処までも静寂。


廊下に響く二つの足音以外。


頭の中が霞がかったように虚ろになる−−−体の中の霧が晴れたように真になる。


「ようやくおでましか−−−煩わせてくれる」


カツンカツン。


カツンカツンカツ


音が止まる。


足音が止まる。


ゆったりと、ものぐさげな仕草でボクは後ろを振り向く。


頭がぼやける。


カラダガスミワタル。


思考を保つギリギリ−−−にまで。


人間の思考ギリギリ−−−にまで。


自己を埋没させる。


最後の思考を目の前のものに向ける。


そいつは−−−立っていた。


髪は御影よりは短いが、それでも長い髪。


背はボクより高く、細い。


長い手足。全てが長く細く。どこか針金細工を思わせる。


前身を黒い服で固め、まるでこの夜の漆黒を背負ったよう。


そして−−−特筆すべきは、二つ。


右手に持った、刃渡り二十センチほどの大振りのナイフ。


獰猛そうな、近寄るのも、見るのも避けたくなるような、凶器。


そして−−−もう一つ。


あえて言うなら、これこそがコイツの決定的な特徴。


深い、暗い、瞳。


なにも映していないような、黒い瞳。


増悪を含んだ、見るのも見られるのも避けたくなるような狂気。


ボクの目の前には−−−悪夢の具現が立っていた。


「お互い、初めましてですね」


挨拶をしてみる。


返答など期待しちゃいないが。


「………」


やはり、そいつは返事なんかしなかった。


そのかわり、止まっていた足をふたたび動かしだした。


ボクに向かって。


「せっかちだな、殺人者。少しばかり、トークを楽しもうぜ?」


そいつはボクの前に立つと、ナイフを後ろにさげた。


「無駄なんだけど、自動的であるお前にそんなこと言うのは無体な話しか」


そいつはボクの腹目掛けて、思いきりナイフを突き刺す。


なにか、イヤな感触。


「………」


自分の腹に、ナイフが突き刺さっている。


………とても、シュールな光景だ。


「酷い−−−じゃないか」


ずぶずぶと、ナイフがボクの腹に吸い込まれていく。


「いきなり、ナイフを突き刺すなんてさぁ」


腹の部分から、ボクが、ボクでないものに変わっていく。


「いくら、人を殺す者って言っても、さ」


もう思考は消え去る寸前。


最後に−−−自動的な殺人者に。


「それじゃあ、もう会うこともないだろうから。−−−サヨナラ」






それでは、イタダキマス。




彼も、殺人者も、なにもかもすべて、バクの中に吸い込まれていった。




+--+--+--+--+--+--+--+




彼の夢から覚めた。


「おはよう」


目を開けた瞬間、隣から声がかかる。


目だけを、隣に走らせる。


大胆に伸ばした黒髪。


ダークグレーのスーツ。


室内だというのに、丸いサングラスをかけている。


見間違えるはずがない。


変態。御影評吾だ。


「おはようございます」


それでもきちんと挨拶を返す自分は、とても律義だと思う。


「起きぬけのところ悪いが−−−首尾はどうだった?」


「滞りなく。彼は−−−もう、悪夢を見ないでしょう」


全て喰い尽くしてやったから。


「それは重畳だ。話しには聞いていたが−−−やはり、摸本の本家メンバーは違うな」


「…ボクは、本家のものじゃないですよ、御影さん」


「そうかい?なら、君は本家と同等か、それ以上の化け物だ」


御影は口元だけで笑って見せる。


容赦なんて、ない。


「……浜田由希はまだゆきの具合いはどうですか?」


「ん?ああ、気持ちよさそうに眠っているよ。−−−もううなされてはいないようだ」


「そうですか…」


「んん?浮かない顔だな?人一人助けたんだ。もっと胸を張っていいと思うがね?」


御影の言葉は、常にボクの神経を逆なでする。


「ボクに−−−人は救えないんですよ」


そして、ボクは起き上がる。


「用はすみました。お手伝い、ありがとうございます」


「いやいや、礼には及ばない。私も助かっているし−−−なにより彼女の頼みだ。聞かないわけにはいかないだろう?」


最後の含みを含んだ言い方に、ボクの精神が限界にきたそうとしてる。


自重しろ…。御影にむきになってどうする。


「御影さん…今日は疲れたので、オレは帰らせてもらいます」


「ああ。眠っていて疲れるとはアンチで面白いが…確かに精神に疲労がたまるだろう。なんだったら車で送っていこうか?」


「いえ、結構です。…以前からお聞きしたかったんですが、御影さん、どうやって免許をとったんですか?」


「お金を出してに決まっているじゃないか」


なにを言っているんだ?的な雰囲気で返答する。


…免許って売り物だったのか?






御影の魔手から逃れ、一人帰路につく。


考えるのは、やはり浜田由希のこと。


もう、終わってしまったことなのに、なぜか、気になっていた。


「なにを−−−気にしてるって言うんだ、このボクは」


ただ−−−どこかで、彼のような子どもを見たことがあったような。


「ああ、そうか…」


それは、深く考えるようなことではなかった。


いつも、ボクの身近にあることだった。


「あの子は−−−ボクに似ていたんだ」


そのことに、思い至った。


思いが至った。


「だから、なんだって言うんだ」


終わったことだ。今のボクには関係がない。


意味がない。


意義もない。


なら、もういいじゃないか。


誰かを、救おうとしなくても。




こうしてボクは思考を閉ざす。


だけど、やっぱりボクは思い至らなかった。


簡単な解決なんて、世の中にはないってことを。


ないことを身を持って知っていることなのに。


思い、至らなかった。




+--+--+--+--+--+--+--+




そこは、白い部屋だった。


中には二人。


二十代前半と思える女医と、まだ小学生らしい少年が机を挟んで、向かい合っている。


少年は、利発そうな顔立ちだったが、その顔は、ひどく疲れているように感じられた。


『それで−−−由希君はどんな夢を見たの?』


『覚えていません』


『そう、由希君は夜寝るたびに、ひどく苦しそうだから、なにか、悪い夢でも見ているのかと思って』


『なにか、見ているような気もします。だけど、思い出せません』


『そう…』


『ただ』


『ただ?』


『予感がします。この夢を、ボクは永遠に見続けるんじゃないかって予感が…』


『………』


『それがきっと、たった一人生き残ってしまったぼくの−−−』


そこで、映像は途切れる。


御影が、リモコンで切ったのだ。


「ここまで。ここまでが樹君の友人として出来る私の精一杯の譲歩だ。あとは−−−医師として、君に答えることは出来ない」


断固とした、発言だった。


…たまには、医者らしいこともするんだな。


「ありがとうございます。御影さん」


ボクは素直に礼を言う。


「しかし、困ったものだね。樹君でも−−−どうにもならないとは」


「はい…」


失敗だった。


悪夢は残った。


喰い尽くすことが−−−できなかった。


「バクでも消し去ることの出来ない悪夢か…それこそ悪夢だよ」


ボクは、ある人の頼みで、頼みというか、願いで。浜田由希を救うという約束をした。


出来ない、約束をした。


そして−−−その結果がこれだ。


やはり。ボクには誰も救えなかった。


誰にもボクが救えないように。


「やっぱり、ダメでしたか…」


「………」


「わかっていた、わかっていたんですよ。自分にはできることはないってことを」


「そんなことはないさ」


御影が、この男にはめずらしいことだが、慰めを口にする。


「樹君は充分によくやったさ。由希君の夢の内容がよくわかった。それだけでも一歩前進だ」


前進−−−したのだろうか?


していない。事態はなにも変わらない。


だって、由希君は今も苦しんでいる。


なら、なにも変わらないのも同じ。


イチか、ゼロか。


確かに、治療関係からみれば大きな指針になるだろう。だがしかし、それはおそらく長期的な意味で、抜本的な解決には繋がらない。


長い時間をかけてゆっくりと治療?


冗談じゃない。助けを求める人間は、今、助けがほしいんだ。


今、死にそうだから。


今、救いが欲しいから。


−−−それでも、ボクにできることはない。


悪夢なら、消してしまえばそれですむと考えていた。


だけど、事態はそんな簡単なものじゃなかった。


悪夢は、なんどでも蘇る。


記憶が蘇るように。


記憶を読み返すように。バクの領分は夢だけ。


記憶なんて、管轄外もいいところだ。


「…心の傷。というものは、見えないし、現実の意味で、痛くもない。つまり、病なのだよ。死に至る、ね」


痛くもない。病。


病は気から。


では傷は?


「御影さん…由希くんはどうなんですか?」


「今は、薬を使って睡眠を確保してる。夢を見ない程の深度でね。しかし−−−子どもが長い間耐えきれるものでもない」


「………」


「睡眠薬というのは劇薬の一種だよ。彼女に渡していた導眠剤とは体にかかる負担が違う。だけど、それを使わないと…」


「由希君は、常に悪夢にうなされ、衰弱することになる。今やってるのは、患者にとって比較的楽な方。というやり方でしかないんだ」


悪夢に獲り殺されるのと。


薬によって死に至ること。


それが、どちらが早いかということか。




由希くん…。


ボクは、キミを助けてあげたかった。本当だ。嘘じゃない。


たけど、ボクには無理なんだ。到底不可能なんだ。人を救うのは。


許してほしいとは言わない。


罰してほしいとも願わない。


だけど−−−それでもさ。


誰も救えない、誰も助けないのは罪なんだよ。


「諦めるの−−−かい?」


御影が−−−口を開く。


「いや、実際。ここまできたらそれも一つの手だてだ。ここには私を始め、優秀な医療スタッフが数多くいる。−−−超自然に頼らなくても、治療は可能だ」


それは−−−その通りなんだろう。


「だから、ここで君が無理をする必要はない。それとも、無駄と知りつつも、夢喰いを続けるかい?一生」


「………」


容赦が、ない。御影は本当に容赦がない。


優しくないわけではない容赦が、ないのだ。


「ああ、それだと、由希君の方が耐えきれないか…つまり、真実の意味で、樹君にできることは、あまりない」




諦めるのか?


由希くんを助けること。それがボクにとっての救いなるのではなかったのか?


いや、そんなことは−−−重要ではない。


ボクは、もう救いがほしいとは思わない。


救われる資格があるとは思わない。


だけど−−−由希くんはそうじゃないだろう?


ボクとは違うのだ。似ていても違うのだ。まるで、違うのだ。


だったら−−−救われるのは彼であるべきなのだ。


「御影さん…」


ボクは、真摯に。できるだけ、本音で。


「ボクは、諦めたくないです」


ボクは言葉吟味するように言う。出来ないことはわかっている。


無理だということもわかっている。


だけど、でも−−−。


「ボクには、諦めるなんて選択肢さえ残っていないんですよ、御影さん。例え、やれることがなくても、できることがなくても」


助けると誓った−−−。

助けられても、救われてもいいと思った。


−−−誓ってくれた人に、申し訳がたたない。


「ボクは、諦めることなんてしない」


それは、どこか縋るような響きがあった。


そのボクの発言を受け、御影は表情を消す。


「それは、浜田由希の為に、危険を冒す−−−もしくは、命をかけれる覚悟がある、ということかな?」


「え?」


「見も知らない赤の他人の為に、体を張れるかと聞いているんだよ」


誰かの為に、命をかけること。そんなことはとっくの昔から−−−。


「あります」


ボクは、なんの逡巡もなく、そう答える。


覚悟なんていらない。


そういう、決まりがあるだけだ。


−−−少し、御影は、困った顔をする。


「そこだよ。そこなんだよ樹君。その君の心のあり所。それこそが君の弱さなんだ」


諭す様に、言う。


なんの、話しなんだ。


なんの、話しをしている。


「御影さ−−−」


「危険を冒すよ?」


御影がボクの言葉を遮る。


「危険を冒す。もしかしたら洒落にならない怪我を−−−最悪、命を落とすかも知れない。それでもいいなら、方法が一つある」


なん、だって−−−?


「あるんですか!?」


「私は一度も、『ない』とは明言していなかったと思うがね」


偉そうに、踏ん反り返る。


…なんか、それに近いニュアンスのこと言ってなかったか?


このペテン師め。


「樹君に、その覚悟があるんなら、その方法を伝授しないでもないが−−−やはり、オススメは出来ない」


「…勿体ぶらずに、教えて下さい。一体、どうすればいいんですか?」


どうすれば、いいんだ。


例え、この邪悪な男に縋ってでも、ボクは答が欲しかった。


キミの為ではなく。


ボクの為に。


「樹君−−−」


御影は、いつも通り、邪悪に満ちた表情で。


「人を殺したことはあるかい?」




□■□■□■□■□■□




走る走る走る−−−。


ボクは一人きりで夜の街を駆け回る。


駆けずり逃げる。


だって、もう、ほら。


最後の生き残りである僕を追って、アイツがやってくる。


僕を捜して捜して、殺す為に−−−。


隠れなきゃ隠れなきゃ隠れなきゃ。


アイツに見つからないように隠れなきゃ。


アイツが、僕を見失ってしまうよう隠れなきゃ。


アイツには、誰も敵わないんだ。


だから、僕みたいな小さな子どもでは簡単に殺されてしまう。


だから、隠れなきゃ。


隠れて、でていっちゃ駄目なんだ。


駄目だって言われたんだ。


隠れろって言われたんだ。


だから、隠れなきゃ。


でていっちゃ駄目なんだ。


誰も−−−助けられないんだから。


誰も−−−助けてなんかくれないんだから。



走る走る走る走る−−−。


逃げる逃げる逃げる逃げる。


怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて仕方がない。


だって、僕は生き残ってしまったんだから。




□■□■□■□■□■□




そいつに会うには−−−運と確率の勝負となる。


夜の、繁華街。


街にはネオンが輝き。嬌声が飛び交う。


ボクは−−−その中に埋没しながら、ある人物を捜す。


この人波の中、たった一人の人間を捜し出すのは至難の業だろう。


だけど、ボクには確信があった。


アイツは−−−必要のないときも現れるが、必要なときと、ここぞという場面は、決して外さない。


だから、特に捜す必要はない。おそらく、向こうの方からボクのことを見つけてくれる。


「あれ?摸本じゃないか。久しぶりだな」


道を歩いていると、ポールに腰掛けていた。同い年くらいの、髪を明るく脱色した少年に声をかけられる。


「おいおい。お前がこんな時間にうろうろしてるなんて、不良にでもなっちまったのか摸本?」


ニヤニヤと、どこか人懐っこい笑顔で近づいてくる。


「お前を捜してたんだよ、黒臼」


「ははっ!男に捜されるとは、オレも因果な因縁が増えちまったな。どうせならお前のツンデレな妹が来いっつーの」


なんか、不可解なことを言われた気がするが、ことは急を要するので、不問にする。


「黒臼、頼みがある」


単刀直入に、ボクは言う。


「んん?」


「お前の力を、借りたいんだ」


あー、と、黒臼は一度を天を仰ぎ、そして、ポケットから携帯を取り出し。


「困りごとってわけか」


携帯のストラップ−−−をクルクル回し、ニヤリと笑った。






+--+--+--+--+--+--+--+




黒臼三太くろうすさんたと言う、この年末には忙しそうな名前が本名かどうかは知らない。


コイツとは夜の街で知り合い、時たま行動を共にする。


非常に人懐っこく、ボクのようなヤツにも気さくに話し掛けてくるヤツである。


同じ十七歳だが、高校には通っていない。半年程で諸事情があり、辞めてしまったらしい。


それぐらいが−−−ボクの知っている黒臼のプロフィール。


だが、それは黒臼を語る上で、些事でしかない。


黒臼の−−−非凡なる能力。


それは、情報収集力。


彼は、知っている。


この世界の表で起きていることは、全て知っていると思えるほどの情報収集力。


それは、安いチケットの購入から国家情勢まで。


その、情報収集力と広い人脈で−−−世界を網羅する。


世界を支配する。


世界を統べている。


その−−−類い稀なる能力を、ボクは今必要としていた。




「それで−−−なんについて知りたいんだ?」


場所はすでに、二十四時間営業のファミレスに移動している。


穴場なのか、時間帯がすでに山場を越えているのか、店は空いていた。


「浜田由希、について、出来るだけ詳しく聞きたい」


「浜田由希?」


黒臼は意外そうな声をあげる。


「…知っているのか」


「割と有名人だからな」


そう言いながら、黒臼は携帯とノートパソコンを繋ぐ。…因みにコイツはノートパソコンと、携帯を十台ほど持ち歩き、使いこなしている。


…主な収入源が株らしい。見た目によらずインテリなヤツなのだ。


コレがホントのモード系?


「なぁ…一応きくけど、信じてもいいんだよな?」


途中、黒臼が、どうでもよさ気に聞いてくる。


「−−−ああ。別に、興味本位や遊び半分なんかじゃ決してないから」


「あっそ」


黒臼はノートパソコンに指を走らせる。


その、どうでもよさ気が嬉しかった。


その、不器用な信頼が嬉しかった。


コイツは−−−個人情報を軽はずみに人に言うヤツじゃない。


ただ、知っているだけ。それだけの男なのだ。


「今のところ−−−オレが知っているのはここまでだ」


黒臼が画面をこちらに向ける。


そこには、幾つかの新聞記事。警察情報。そして−−−浜田由希の顔写真が乗っていた。


「事件が起きたのは数週間前」


黒臼が、画面も見ずに話し始める。


「現場は、ここからさほど遠くない、閑静な住宅街だった」


その事件はニュースでも報道された。その事件は−−−。


「長男であった少年を残して、家族三人が、なに者かに惨殺された」


凄惨な、常識のあるものなら目を覆いたくなるようなニュースだった。


「犯人は以前不明のまま逃走中。生き残った少年は−−−翌日クローゼットの中から発見された」


画面には被害者の情報も乗っている。


「発見された当初は心身喪失状態で、まともに調書も取れず、捜査は現場証拠のみで進められたらしい」


被害者−−−父、母、ゼロ才児の弟三名。


−−−家族全員だ。


「現場から読み取れた内容は−−−おそらく、侵入してきた犯人に赤ん坊を人質にとられ、まずは父親から殺された」


両親の死。それを、どこかで知っていた。


「異変を察した母親が少年を二階のクローゼットに隠し、そのあと−−−殺された」


殺された。喪失した。


「少年は−−−クローゼットの中に隠れていたお陰で助かったらしい。犯人は金品らしいものを奪っていない。殺人目的の、通り魔的殺人の線が有力だ」


一人、生き残ってしまった。


他の家族の犠牲の上で、生き残ってしまった。


それは、なんて−−−。


「ここまでが、一般的に報道されてる情報だ。そして−−−」


画面には、ある男の顔写真が載っている。


この顔は、見たことがある。


コイツは−−−。


「その画面に映っている男。そいつが、この事件の犯人だ」






+--+--+--+--+--+--+--+




「犯人…だって?」


「正確には、容疑者だけど、十中八ッ九間違いない。日本の警察をなめちゃいけないさ。現場検証、プロファイリング。アリバイ調査。全てがコイツを黒だと言っている」


画面の男は、どこにでもいそうな面構えだった。


「名前は戸頭琢磨。二十一歳、大学生。なにがコイツを狂気に走らせたのかは知らないが、…失礼。まだ容疑者だったな」


「いや、訂正の必要はないよ」


彼の夢で見た。


ただし、写真の十倍は凶悪そうな雰囲気で、だ。


「ありがとう。知りたいことは知った。相変わらず、すごい情報網だな」


必要なことは、知れた。


あとは、必要なことをするだけだ。


「もういいのか?情報としちゃあ、時間不足のせいであまり詳細じゃないが、明日まで待ってくれたら、もう少し煮詰めとくが」


「いや、これで充分だよ。サンキュ黒臼」


「まぁ…、お前のがそういうんならいいけどさ」


そういって、黒臼は端末を閉じる。


そして−−−。


「それじゃあ、報酬の話しをしようか?」


「………」


世の中は、ギブアンドテイク。


取られたら取り返される。


取ったら。取り返される。


それが世の中の基本。


基本には、常に裏技があるけどね。


「まぁ、今回は情報不足感が否めないから、安く負けてやるけど−−−負けてやるってのは、タダじゃないってことだぜ?」


「………」


報酬。黒臼への報酬。


一応、考えてはきたけど−−−。


「同等の情報か、それに代わる物か、好きな方を選ぶんだな」


「………」


正直、気は進まない。気は進まないが、背に腹は代えられないのだ。


「−−−わかった。コレで手を打ってくれないか」


一枚の、数字が羅列した紙を取り出す。


「−−−コレは?」


「ウチの生徒会長の携帯番号だ」


「………」


「ルックスは充分。中学時代から委員長でレベルはMAXだ」


どうだ?通じるのか!?この取引は!?


「こないだ、生徒会長と知り合いになりたいとかいってただろう?だから、ウチの生徒会長を紹介してやる」


「摸本…」


「ちなみに、眼鏡は標準装備だ」


「摸本さん。ここの席代はオレが払います。お忙しいでしょうからオレのことは気にせずお先にどうぞ」


取引は成立した。


思わぬ、高値取引だった。


「そうか、それじゃボクはこれで」


「ああ。…委員長かぁ。いいなぁ。髪がオサゲでそばかすタイプかなぁ?ツンデレだといいなぁ。こいつはかなりつかえるぞ」


黒臼はなにか不気味な嘆きをする。


なにに使うというのだろう?


そういえば性別については言わなかったが、生徒会長であることは変わらないから、別にいいだろう。


心の中で委員長と、ついでに黒臼にもなぜか謝りながら、ボクはファミレスを出る。




やるべきことは、あとは一つだけだ。


重い体を引きずりながら、ボクは夜の街を歩いていった。




□■□■□■□■□■□




結局は、ここに来てしまった。


自分の家。クローゼットの中。


そこで、生まれたての胎児のように丸くなっている。


−−−ここは。僕が、隠れんぼでよく隠れたところだった。


クローゼットの中に隠れると、決まって母に怒られた。クローゼットの中には、母の洋服が沢山あったから。


それでもボクは−−−母の匂いがするこのクローゼットが好きで、よく隠れたものだった。


−−−いつから、僕は母と隠れんぼをしなくなったのだろう?


…答はすぐにでた。


アイツが、産まれてからだ。


弟。


まだ赤ん坊で、親の庇護がもっとも必要な、弟。


弟が産まれてから、両親の注意は全てが弟に向かった。


僕が、どんなに先生に褒められても。


僕が、どんなに家のお手伝いしても。


僕が、−−−どこに隠れたとしても。


見てくれなくなった。


捜してくれなくなった。


そのことに−−−怒りを覚えなかったと言ったら嘘になる。


弟に対して−−−嫉妬していなかったと言ったら嘘になる。


だけど、お母さん。僕は、本当に−−−。


ガチャリ、と玄関が開く音がした。


「−−−!!!」


瞬間、僕は身をちぢこませる。


気配は−−−真っ直ぐ二階へと向かってくる。


大丈夫。このクローゼットの中にさえいれば−−−。


気配は、クローゼットのある部屋に入ってきた。


心臓は、なぜか氷点下まで下がってしまったかのように静か。


かわりに、心が悲鳴をあげる。


怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い−−−!!!


気配は、ゆっくりと室内を回り−−−やがて、クローゼットの前に立った。


−−−。


僕は、もう息さえできない。


圧迫感で死に至る。


死に至る。


殺される前に、死に至る。


死に至る恐怖。


クローゼットの扉が。


ゆっくりと。


開いた。


そこには。



長い髪をし。



ナイフを持ち。



黒い黒い化け物のような目をした。



鬼が。



人を殺す鬼が。



僕を殺す鬼が。



いた−−−。




絶叫。




□■□■□■□■□■□




「ま、待ってください、樹さん。これ以上は、走れない」


「ダメだ、ヤツとはもっと距離をとらないと。−−−ここでは、部が悪い」


ボク達は走る。誰もいない夜の街を。


動くものは三つしかいない夜の街を。




ボクが由希の夢に入り込んだとき、すでに舞台はクライマックスだった。


あの、殺人者が、由希にナイフを振り下ろす瞬間だった。


−−−そんなことは、許せるものではない。


だから、乱入した。


由希にだけ集中していたアイツに、横から思い切り−−−体当たりを打ち噛ました。


ウェイトしてはそれほど差があるわけではないが、それでも−−−助走たっぷりなボク。不安定な姿勢のアイツ。


充分に、効果があった。


のけ反り動かなくなった殺人者を放っておいて、放心状態だった由希の手をとり−−−走り出した。


もちろん。前回の夢を由希は覚えていなかったので、走りながら、自己紹介をしておいた。




「何処に行くって言うんですか−−−樹さん!」


走りながら、由希は当然の疑問を口にする。


「そうだな−−−出来るだけ開けたところがいい…学校のグラウンドなんて最適かもしれない」


ボクは答える。


事前にこの街の地理的なものは頭に入れてある。この世界でそれがどれだけ通用するかわからないが、それでも−−−用意できることは全部した。


これからすることは、あまりにも危険なのだ。できることは、全部したって足らないのだ。


「学校−−−!?樹さん、貴方一体なにをするつもりなんですか!?」


「ヤツを倒す」


「え?」


「聞こえなかったか?アイツを−−−あの殺人犯を、やっつけるって言ったのさ」


ボクは、出来るだけ、自信満々に−−−由希を勇気づける為に、出来るだけカッコつけて、そう言った。




+--+--+--+--+--+--+--+




「樹君は−−−なぜ、由希君は悪夢を見るんだと思う?」


「…怖いから、−−−ですか?」


「そう、その通り。怖い。恐怖。恐ろしく怖い。−−−だから、悪夢になる」


「悪夢…」


「由希君の根底には拭い去ることの出来ない恐怖がある。犯人に対してね。なにしろ−−−一つ屋根のしたで、家族を殺されたんだから」


「………」


「つまり、その、犯人に対する恐怖を取り去ってしまえば−−−」


「どうやって、するって言うんですか」


「んん?」


「夢喰いは、記憶にまで及ばない。そんなのは、前ので証明されている−−−それじゃ前回のと同じじゃないですか」


「人の話しは最後まで聞くんだ樹君。私は、夢喰いをしろなんて−−−一言もいってないよ」


「…それじゃあ、どうしろって言うんですか」


「実力で倒せ」


「−−−はぁ?」


「だから−−−その殺人犯を、樹君の実力だけで倒すんだ。由希君に、この殺人犯は、取るに足らない、−−−恐怖に値しない、雑魚だと認識させるために」


「それは−−−」


「充分、出来ない話しじゃない。樹君にだってそれなりのアドバンテージがある。勝ち目は−−−ある」


「実力で、戦って、勝つ…」


「そう、その通り。肉弾戦である以上、ある程度のダメージは覚悟しなきゃ駄目だけど、それでも−−−やるかい」


「−−−やります」


「そっか。早い決断で結構だ。それじゃあ−−−それなりに準備がいるな」


「準備?」


「地形とか、敵の特徴とか。あと−−−武器とかね」


「…はい」


「樹君、一つだけ−−−言っておく。恐怖を取り除くなら、その恐怖を、圧倒しなきゃならない。だから、容赦なんかしちゃ駄目だよ。あれは人の形をしたものだと思うんだ。絶対に−−−油断は禁物だよ」




□■□■□■□■□■□




学校にたどり着いた。


「はぁはぁはぁ」


ボクは必死で呼吸を整える。


「よし、ここでしばらく休憩だ」


樹さんは元気なものだ。息一つ切れてない。


−−−途中、僕を抱えて走ったというのに。


人間、離れしている。


だけど、それでも−−−。


「樹さん、貴方−−−本気なんですか?」


「本気も本気、大本気さ!なに、あんなヤツ、ケチョンケチョンにしてやるさ!」


「………」


なんだ、この妙にハッスルした人は。


セリフにも、無理してる感が沢山あるし。


「まぁ、決闘までしばらくあるし、少し休んでいよう」


そして、樹さんは地面に腰をおろす。


「………」


樹さんの脳天気さにあてられたのか、ボクも、隣に腰をおろす。


どうせ−−−何処に逃げたって同じなんだから。


「樹さん…一応忠告します。やめたほうがいいですよ」


「なんで、そう思う?」


「アイツには、誰も敵いません」


「………」


「アイツは−−−人を殺す鬼なんです。人は鬼には勝てません」


どうあがいても。人には、不可能なのだ。


だから、僕にも。


「鬼、鬼かぁ…」


樹さんは、『鬼』というワードに反応をみせる。


「−−−鬼が、どうかしたんですか?」


「ボクの両親も、鬼に殺された」


「………」


死んだ。殺された。


家族を−−−失った。


「ほとんどボクが悪かったんだけど−−−それでもその鬼が殺したことには変わらない」


「それは−−−悲しかったですね」


死は−−−いつだって悲しいものだ。


それが肉親だったとしたら尚更。


しかも、それが理不尽なものだったとしたら泥沼だ。


「悲しかった−−−のかな」


樹さんは、遠い目をする。


近いのに、遠い目する。


「当時のボクはキミと同い年くらいだったんだけど、いろいろ訳ありでね…両親とは、隔たりがあった」


隔たり。隙間。


家族なのに、疎外感を感じること。


「由希君は−−−悲しかったかい?」


「え?」


「由希君は両親が死んで悲しかったのか」


なんて、−−−当たり前のことを聞くんだろう。


そんなのは決まっている。


そんなのは決まっているんだけど−−−。


「樹さん…樹さんの両親を殺した鬼は、どうなったんですか?」


答えられず、話題を逸らす。


目を逸らす。


近い目を逸らす。


樹さんは、それに気付いたんだか気付いてないんだかわからなかったが−−−答える。


「死んだよ」


「ほとんどボクが殺したようなものだけど−−−死んだ」


鬼を殺した。


それでは鬼殺しだ。


「生きていれば−−−死ぬ。それが当然なんだ。約束みたいなものなんだ。だけど裏を返せば」


生きていれば、死ぬ。


産まれた時の、約束。


その、裏とは−−−。


「死んでないということは−−−生きてるだけの理由があるってことだよ由希君。あのときは聞きそびれちゃったけど、今度は問おう」


あのとき?あのときっていつのことだろう?


「由希君は−−−なんで生きてるんだろう」


「なにを−−−言ってるんですか」


質問の−−−意図がつかめない。


質問の−−−意味がわからない。


「言い換えるなら、なんで死ななかったんだ?アイツは鬼で−−−化け物だったとしたら、なんでそれと出会ってキミは−−−死ななかったんだろう?」


死ななかった、理由。


それは−−−。


運がよかったから?


偶然の産物だった?


違う。


違うと思う。


隠れていろと言われたのだ。


大丈夫だと言われたのだ。


僕はずっと隠れていたから−−−。


僕は、大丈夫だと言われたから−−−。


だけど、それは−−−。


「樹さん、ボクは−−−」


「お喋りはここまでだ」


途端、樹さんは厳しい目で、ボクを見る。


いや、違う。


遠い目。


文字通り、遠くを見る目で−−−僕の後ろを見る。


ボクはギリギリと音をたて。


後ろを振り向く。


そこには−−−鬼が。


漆黒の衣装を纏った黒い目の鬼が。


ナイフを手に持ち。


両の眼を黒に染め。


凶器を手に持ち。


狂気を黒に染め。


鬼が−−−現れた。


追い付いてきた。


僕を殺すために。


あれは−−−駄目だ。


あれは、駄目なのだ。


アイツは殺すだろう。


絶対的に生かさない。


勝てる−−−わけがない。


恐怖。


怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


恐ろしくって仕方ない。


「樹さん樹さん樹さん樹さん樹さん樹さん樹さん−−−逃げてください」


「………」


「アイツの狙いは僕だから−−−」


「離れているんだ」


−−−樹さんは一歩前に出て。僕と、鬼の間に入る。


立ち塞がる。


「安全なところで見ているんだ、今から−−−鬼退治を始めるから」


そういうと−−−樹さんはポケットからなにかを取り出す。


それは−−−一振りのナイフだった。


アイツが持っているものより一回りほど小さいが、それでも−−−。


はっきりとした存在感。


明確な凶器としての存在感。


「これは、鬼でさえ圧倒する変人からもらった、鬼殺しのナイフだ」


樹さんは、それを右手に持ち、軽く前に構える。


「鬼殺しがいかなるものか−−−見ているんだ」




それが合図となり、戦いは始まった。


腰をおとし、ナイフを構える樹さんはどこか−−−獣を彷彿とさせた。


殺人鬼と獣。


その戦いは、学校の校庭−−−観客一人を取り残し、開始された。




□■□■□■□■□■□




「まずはさしあたって武器だな」


そういって御影は、机の中から一振りのナイフを取り出す。


「そんなものを−−−常に机の中にいれているんですか、御影さん…」


「そのことにはノーコメントとしておこうか」


いつもどおり、ニヤリと邪気のある笑みを浮かべる。


「だけど、御影さん−−−それをどうやって夢の中に持って行くって言うんですか?」


「ああ、それか。−−−じゃあ、ちょっと来てくれるかい」


「なんですか?」


油断した。


この男には油断なんかしちゃいけないとわかっていたのに。


油断してしまった。




近付いた瞬間、御影に、ナイフで斬りつけられた。


「なぁ!?」


バックステップで後ろに下がる。


痛い。


痛いというより、熱い 。


左腕が。


左腕から、服の下から、血が吹き出てくる。


赤い。


赤いんだ、ボクの血は。


変なことを気にしてる。


当たり前のことを気にしてる。


「なにを−−−」


「それが、ナイフで斬りつけられる痛みだ」


「………」


「これから、このナイフの形状を形態を性能を切れ味を材質から強度にいたるまで、すべて記憶するんだ」


なるほど−−−つまり、そう意味か。


「理解し、認識する。自分の一部−−−とまで言わなくても、服と同じで、常に身につけていると思い込むんだ。そうすればこれは−−−樹君の力になる」


御影は刃を逆手に持ち、ボクに向ける。


「………」


そのナイフは、ボクの血を吸い、生気を取り戻したかのように、静かに、それでいて力強く輝いている。


ナイフの柄を握る。


手に吸い付くようなイメージ。


もとから、これは自分のものだったかのようなイメージ。


自らの主に自分を誇示するかのように輝くナイフ。


−−−それを、美しいと、思ってしまった。


「取り扱いについて、一つだけ注意がある」


御影は少し、ボクから間を離す。


「それは、人殺しの道具だ」


「………」


「なにをどう言い繕っても、それは人を傷つけ、自分も傷つけるもろ刃だよ」


ナイフを眺める。…赤い血がそこには付いていた。


「それを扱うということは−−−どういうことなのか、よく理解することだ」


ボクは−−−。


「御影さん、とりあえず−−−救急箱お願いします」


少し、貧血気味だった。




+--+--+--+--+--+--+--+




腰をおとし、ナイフを正眼に構える。


思考は驚くほどクリア。


体は熱を帯びて、今にも爆発しそう。


−−−条件は勝利。それ以外は許されない。


−−−失敗は敗北。それだけは許されない。


戦いに幕開けはなかった。


ヤツは前回と同じように、遮蔽物であるボクにむかって、無機質にナイフを突き刺してくる−−−!


それを、避ける。


もう受けたりはしない、そのまま反転するように回り込み、ナイフを突刺す−−−!


「−−−!」


瞬間、バックステップで後ろに跳ぶ。


距離にして十メートル弱。


ボクの想像できる、自分の肉体の最大スペックを−−−自身の肉体をまったく省みない、動き。


肉体から、精神だけが切り離されたからこそできる芸当。


それを−−−最大限に使って、避けた。


ヤツの、異様に長い腕が繰り出した、横薙の一撃を、避けた。


「は、はは」


なにが、圧倒するだ。僅か一合の攻防で、殺人としてのレベルが−−−露呈した。


だけど−−−。


勝てない見込みがないわけではない−−−!


体の中のリミットを限界まで加速する。


肉体が加速する。


否、精神が加速する。


突撃。


ボクは真っ向からヤツに突っ込んでいく。


ヤツは−−−ゆらりとこちらにを向く。


もうボクはヤツの目の前。


ヤツが繰り出した右腕を−−−体を剃る形でかい潜り、懐に入りこむ。


狙いは右胸−−−もらった。


−−−に向かおうとしたナイフをヤツの左腕に軌道を逸らす。


金属音。


「く、う−−−!?」


なんて、力だ。


弾かれる。


もうバックステップとか言っていられない。


転がるように距離をとる。


いつの間に−−−ナイフを左手に持ち替えた?


最初の右はフェイク。


次の左が本命とは。


強い。


この強さのもとが、恐怖。


コイツが強ければ強いほど、それが浜田由希の抱えた恐怖ということだ。


怖い。怖いぞ。


こんなの、ボクだって怖いさ。


だけど−−−。


「樹さん!」


「黙って見てろ、由希!」


負けられない理由が、そこにいるから−−−!


走る。


ジグザグに。


スピードだけなら、ボクはヤツより何倍も早い−−−!!


前面から、スピンをかけ、後ろに回り込み、そのままの勢いで袈裟斬りに−−−!


金属音。


ヤツは。


後ろも見ることなく、ナイフを後ろに回し、防いで見せた。


「−−−は」


なんて、でたらめな。


だが、しかし。


ここで動きを止めるほど、ボクは悠長ではない−−−。


一撃でダメなら、二撃。それでダメなら三撃目を−−−!


ヤツは後ろを向いたまま。ならば、今が好機であることに変わるまい。


ナイフを、がむしゃらに斬りつける。


−−−もともとボクは卓越した技術なんて持っていないんだ。


持っているのは肉体の限界までの性能を使えること。


それを最大限に使い、力任せに斬りつける−−−!


ヤツは、体をくねらせ−−−もはや不気味としかいいようのない動きで−−−こちらに向き直る。


金属音。


金属音。


弾かれる。


岩をも砕く力で斬りつけているのに、力負けをする。


だが、まだ−−−。


ついていける。


ヤツのナイフの動きが見える。


刃を合わせる。


足が悲鳴を上げる。


腕が限界を見せる。


それでも、まだ−−−!


金属音金属音金属音金属音金属音金属音−−−!!


七撃目までは−−−目で追えた。


八撃目からは−−−反射で応えた。


なんでだ?


一撃一撃のたびに、ヤツの一撃は速く、強くなっていく。


こちらはもう限界まで加速しているというのに、ヤツには際限というものがない。


これじゃあ。


このままじゃ。


そのうちに−−−。


都合、数えて二十八合目。


ヤツのナイフをナイフで弾く。


体勢が崩れる。


ヤツの追撃。真上からの単調な振り下ろし。


それを、海老剃りに避けようとする。


−−−。


瞬間。赤い花が咲いた。


ボクの胸から、腹にかけて。


「あ」


洩れた声は、あまりにも間抜け。


つい、自分の傷に見とれてしまう。


やっぱり赤いんだ。


赤い。


朱い。


紅い?


ドクン。


心臓が、脈打つ。


まだ、生きている。


まだ、動ける。


まだ、戦える−−−!



ボクはつけられた赤い跡など気にもせず、全身の力をフル稼働させ。弓なりの形で、剃った体を戻す勢いそのままで−−−ナイフで斬りつける−−−!!




腹部に鈍痛。


後ろに吹き飛ぶ。


蹴りが。


ヤツの蹴りが反り返ろうとするボクをカウンター気味に蹴り上げる。


空を跳ぶ。


滞空時間は一秒程だろう。


その瞬間。


視界の端に。


今にも泣き出してしまいそうな子供の顔を見る。


…まいったな。


ボクは、キミのそんな顔見たくなかったのに。


そんなボクみたいな顔、見たくなかったのに。



地面に墜ちる。


距離は十メートル以上、飛ばされてしまったようだ。


体から、力が抜ける。


リミットまで高めた体ももはや限界。


両腕は契れそうで。


両足は壊れそうだ。


胸にはキレイな花を咲かせてるし。


腹からは内臓がいってしまった気配。


ごふり、と血を吐き出す。


それと同時に、なにか、体を動かすために必要なものまで失ってしまった予感。




ごめんな。由希くん。


ボクはここまでのようだ。



ボクの心は折れてしまった。




□■□■□■□■□■□






大きな声で、叫んだ。


なんて叫んだのかはわからない。


ただ、樹さんがヤツに吹き飛ばされたとき、言葉にならない叫びを叫んだ。


樹さんは強かった。


もちろん、僕なんか比べものにならないくらい強かった。


だけど、勝てるわけが−−−ないんだ。


アイツは無敵なんだ。


アイツは不死身なんだ。


アイツは−−−鬼で、化け物なんだ。


勝てるわけがないんだ。


アイツに会ったら、殺されるしかない。


それは、運命なんだ。


それは、絶対なんだ。


どうしようもない−−−ことなんだ。


どうしようもない−−−ことだったんだ。




鬼が−−−獲物を仕留めて、こちらを向き直る。


目が合う。


黒い鬼と目が合う。


瞬間、僕は金縛りにあったよう。


恐怖で、足がすくむ。


恐怖で、思考が麻痺する。


ああ−−−そうか。


出会ったら、必ず死ぬのか。


なら、逃げるだけ徒労。


怖がるだけ無駄。


生きたがるだけ、滑稽。


ならボクは、一体なにを怖がっているというのだろう−−−。


鬼が、近づいてくる。


最後の一人を殺すために。


お残しは行儀悪いもんな。


ボクは変に悟ったよう。


だけど、恐怖だけは拭えない。


それでも最後に−−−。


樹さん、助けようとしてくれて、ありがとうございます。


−−−その瞬間、僕は恐怖の正体を思いだしかけた。


『生きていたのは、死ななかっただけの理由が−−−』


目前にはナイフを構えた鬼。


そいつは、恐怖で足がすくんで動けない僕に、一欠けらの慈悲もなく、振り上げたナイフを−−−。




□■□■□■□■□■□




見ていた。


もはや、全身不随となった体で、見ていた。


あの鬼が、由希を殺そうとするのを。


−−−おいおい、順番が逆だろう。


さっきまで戦っていたボクを放っておいて、由希を狙うのか。


…まぁ、こんな半死人、とどめを刺すだけ無駄ってことか?


でも−−−ここで由希が死ねば、この夢から解放される。


生きのびれる。


由希だって、ホントに死ぬわけじゃない。


また次回、作戦を練り直して−−−。


死ね。


死ねばいい。


こんな考えをするボクなんて死ねばいい。


救いを欲しい者は、今すぐに欲しいんだ。


それを、身を持って知ったはずじゃないか。


右手に、確かな感触がある。


ナイフ。


御影から貰ったボクのナイフ。


そいつはボク自身ボロボロだと言うのに、刃零れ一つしていない。


ああ−−−そうか。


弱かったのはボクだけで、ナイフは違う。


常に、ヤツに負けないと自身を主張してた。


ところが、使い手がこの様じゃな。


ナイフに申し訳なく思う。


鬼は、由紀にナイフを振り上げる。


待てよ。


待ちやがれクソヤロウ。


ナイフから−−−力が流れてくる。


まだ戦えるとボクを鼓舞する。


戦え、とボクの心に火をつける。


「まてよ」


立ち上がる。


「い、樹さん!」


「………」


「ボクの方が先約だろう?取りこぼしがあったとなっちゃあ、殺人鬼の名が泣くぜ?」


ボクは挑発的な台紙を口にする。


勝負は一回限り、これで打ち止め。


「かかってこいよ。オレはまだピンピンしてるぜ!?」


手招きをする。それが合図となったのか、ヤツは真っ直ぐボクのところに駆けてくる−−−!




+--+--+--+--+--+--+--+





−−−タイミング。


タイミングが、重要だ。


ヤツを見据える。


限界の動きなんて、あまっちょろいことは言わない。


今からやるのは限界を越えた動き。


それでなくては、ヤツを仕留めきれない−−−!!


ボクも駆け出す。


ただし、ヤツに向かってではなく、斜めに起動をずらして。


ボクとヤツが交差する。その距離、横に四メートル。


「おおおお!!!!」


爆ぜた。


ヤツに向かい、右足の力のみで、四メートル距離から飛び掛かる−−−!!。


−−−そのとき、右足が壊れた。


狙いはヤツの頭部。空中からそのまま、ヤツの頭部に向かってナイフを振り下ろす−−−!!!


弾かれた。


ヤツは右手に持ったナイフでボクの渾身の一撃を退けた。


−−−そのとき、右腕が死んだ。


ボクは弾かれた衝撃を空中で回転することで受け止め、左足の力のみで着地し、ヤツの後ろをとる−−−!!


−−−そのとき、左足が砕けた。


鬼が、向き直る。


ボクが、左腕を突き出す


鬼が、ナイフをボクの右肩に突き刺す。


ボクの、左腕が、鬼の首を捕らえる。


鮮血がほとばしる。


ナイフは−−−ヤツと同等だった。


ならば−−−摸本樹の肉体だって、ボクの心さえ強ければ、きっと同等の結果がでる−−−!!!


−−−そのとき、左腕が崩れた。


−−−それを、代償に。




+--+--+--+--+--+--+--+




五体のほとんどを犠牲にし、ナイフを突き立てられても、勢いをそのままに戦い続けた結果−−−。




摸本樹の左腕は、殺人鬼の首を捻り切った。






□■□■□■□■□■□






「ハァハァハァハァッ…!」


樹さんは、呼吸をするのも苦しそうだ。


それでも、ボクの方に這うように進んでくる。


血だらけで。


今にも死にそうな体で。


だけど、その顔は。


「…勝ったぞ、由希」


なんて、誇らしげなんだろう。


「樹さん…」


「見たか、由希。あんなものだ。あんなものなんだ。由希が怖がっていたものは、あんな、ただの男子高校生に負けるような、雑魚なんだ」


樹さんは、息も絶え絶えだと言うのに、僕にそう主張する。


「楽勝、だ、ったぜ?前半ちょっとあそ、遊んじまったけど、ちょっと本気を出せば、あんなものだ」


少し、笑って見せる。


呂律の回らない口調で。


誰がどうみたって無理矢理だ。


「アイツは−−−鬼なんかじゃ、化け物なんかじゃない。ただの、殺人犯だ。不死身の化け物なんかじゃ、ない」


樹さんは僕に言い聞かせるように言う。


それに、僕は−−−。






違う。






アイツは、不死身の化け物だ。


鬼なんだ。


絶対の死なんだ。


運命の死なんだ。


そうでなくちゃ、困るんだ。


アイツは、どうしようもないものじゃないと駄目なんだ。


そうでなかったら、僕は−−−。


視界の隅に、なにか動くものを捉らえる。


ほうら、やっぱり、不死身じゃないか。


僕の視線に気がついたのか、樹さんも後ろを振り向く。


「−−−−−−−−−−−−−−−嘘だろ?」


嘘じゃない。


これが、真実だ。


アイツが−−−動いていた。


首なしの鬼が、地面に腕を突き、立ち上がろうとしていた。


だけど、頭がないから、うまく立ち上がれないらしい。


懸命に立ち上がろうと、手足を動かしている。


僕は、戦慄で動けない。


樹さんだって、固まってしまっている。


二人で、鬼が立ち上がろうとしているのを茫然自失で眺めている。


ゴロゴロと、なにかが転がっている。


ああ、鬼の首だ。


鬼の首が、体を捜しているんだ。


「−−−逃げろ」


先に呪縛から解かれたのは−−−樹さんだった。


「逃げるんだ!」


樹さんは傷だらけの体でボクを引っ張ると、そのまま校舎に入っていく。


…グラウンドには、首無しの鬼と、首だけの鬼が残された。







+--+--+--+--+--+--+--+






そこは用具入れだった。


「この中に−−−隠れてるんだ」


樹さんはそういって僕を中に入れる。


「樹さん、樹さんはどうするんですか!?」


「ボクは−−−アイツと決着をつける」


僕の肩に樹さんは手をかける。


その手は、冷たくて、どこにも力なんて篭っていなかった。


「樹さん…」


「心配しなくてもいい。さっきの見てたろ?ボクはアイツより強いんだ」


強い。樹さんは強い。だけど、アイツには敵わないんだ。


「ここに、隠れてるんだ」


『隠れていなさい』


いつか、言われた言葉だった。


「心配ない、大丈夫だから」


『大丈夫だから』


僕は、それを嘘だと見抜いていた。


それなのに−−−。


「…どうして」


「ん?」


「どうして、勝てっこないってわかっていながら、戦おうなんて思えるんですか!?」


「………」


「どうして、負けるってわかっていて。殺されるってわかっていて、戦うんですか!?」


「………」


「僕には、わからない。…なんで樹さんは逃げないんですか?」


僕はもう、泣いていた。


ずっと、泣いていなかったのに、泣いていた。


「…それは−−−どうしてなんだろうね」


樹さんは力なんてどこにも残っていないのに、その瞳にだけは、ずっと力を宿していた。


「多分、ボクは−−−後悔したから」


「………」


「こんな思いをするなら死んだ方がいい。そう思えるくらい後悔したから」


後悔を、した。


「だから、次は−−−後悔するくらいなら、死んだ方がいい。そう思ったんだ」


僕も、僕もですよ樹さん。


「それが、理由と言えば、理由かな?」


そう、僕も後悔をした。


知っていたのに、気付いていたのに。


「もういくよ。…勝てるかどうかは、正直、わからないけど−−−ここで逃げて、後悔はしたくないから」


手を離す。


離れていく。


「由希。人生は後悔の連続だ。それを乗り越えられるような強いヤツばっかりじゃない。だけど−−−」


樹さんは、どこか敬意を表すように。


「キミのお母さんは、家族は、強かった!それだけは知っている。だから−−−由希も、それに恥じないように、後悔しないように、な」


扉を閉める。


後には暗黒だけが残される。


−−−後悔をしないように。


僕は床にうずくまる。


無理だよ…怖いよ…。


樹さんは、どこかへ行ってしまった。


僕は、どうすればいいのかわかっていながら、ここから出られなかった。




□■□■□■□■□■□






今にも倒れてしまいそうな体を引き摺って、階段をのぼる。


「後悔をしないように、か。なに様のつもりだって言うんだボクは」


ブツブツと、自分に悪態をつきながら、階段をのぼっていく。


おそらく、アレには敵わないんだろう。


理論的に不可能だったのだ、最初から。


御影の読み間違えか。


御影に騙されたのか。


−−−おそらくは、後者だろう。


階段をのぼり、ドアにまでたどり着く。


ならば、不死身も当然。


始めから『勝てない』と設定してあったのなら、どうあがいたって勝てない。


ドアを開ける。そこには星一つない夜空が。


初めから、御影の狙いは唯一つだったのだろう。見事に捨て石に使われたものだ。


屋上は静まり返り、誰一人いない。


知っていた。あの男には容赦なんてない。


グラウンドを眺める。−−−もうそこにはなにもいない。


だから、こんな様に陥っている。


屋上のフェンスに体を預ける。入り口がよく見える格好だ。


思えば−−−コレが悪夢なら、ボクがそれを圧倒してしまえば終わる話し。だけど事態はそうじゃない。それはつまり−−−。



しばらくすると、屋上のドアが開く。


そこには、もう見慣れた顔。


「よう、遅かったじゃないか」


軽く挨拶をする。



目の前には。



首を据えた、殺人鬼が立っていた。




□■□■□■□■□■□






『生きているのは、死ななかっただけの理由が−−−』


『後悔はしないように−−−』


『大丈夫だから−−−』


『隠れていなさい−−−』


頭の中で、幾つもの声が交錯する。


僕は僕は僕は僕は僕は−−−。


『もう、後悔だけはしたくないから−−−』


僕だってそうですよ樹さん!


だけど、だけど、だけど、どうしろって言うんですか!?


教えてください。答えてください。


僕は、言われた通りにしました!それがいけなかったですか!?


弟が嫌いでした。


母は疎遠でした。


父は苦手でした。


だからじゃないです。信じて下さい!


僕は、僕は、僕は、僕は、僕は、僕は−−−!




助けたいと、思ったんだ。


今すぐクローゼットから出て、家族を助けたいと思ったんだ。


決して、家族が嫌いだったから、出なかったんじゃない。


ただ−−−怖かった。


死ぬのが−−−怖かった。



だから、終わったあと、死ぬほど後悔した。



死にたいと願う程後悔した。


僕は卑怯者だ。


仕方なかった。どうしようもなかったって言い訳して。隠れろって、出るなって言われたからなんて言い訳して。


今もまた、それを繰り返そうとしてる。


僕が出ていってなんになる−−−?


それもまた言い訳だ。


真実を射てるとしても、言い訳だ。


僕は−−−アイツと戦わなければいけない。


後悔しないために。


僕が生きるために。


神様、どうか、僕に勇気を下さい。


願わくば、ヤツを打倒できる力を下さい。


樹さんを救える、手立てを下さい。


−−−そんな都合のいいことはない。


思わず、床に手をつく。


なにかが当たった感触。


…なんだ?


それを掴み取る。


それは−−−ナイフだった。


樹さんが使っていた、鬼殺しと言われたナイフ。


ついに、このナイフが鬼を切ることはなかったが、果たして、これで切りつけていたら、あの不死身の鬼と言えど−−−?


ナイフは、僕の手の中で、その存在を主張する。訴える。


『さぁ、どうする?』


ああ、神様、ありがとうございます。


これが、悪い夢なら、どうか、まだ覚めないで−−−!




僕は勢いよく扉を開けると、一目散に、感じる気配に向かって駆け出した。






□■□■□■□■□■□







「ちょっとした話しをしてやろうか?」


「………」


「ある、家族に起きた悲劇の話しだ」


ボクはゆっくり言葉を紡ぐ。


「別に、どこか悪いところがあったわけじゃない、ごく普通の家庭だった。そこに悲劇が起こった。どこかのイカれた殺人犯が、この家の赤ん坊を人質にとり、立て篭もった」


思考が限界まで達してるが、動くのは口だけなんだから、好きにさせてもらう。


「まずは父親が殺された。二階にいた母親は、いち早く危険を察知し、長男をクローゼットに隠し、犯人に捕まっている赤ん坊のために、犯人に相対している」


ほとんど独り言だけど、かまうもんか。


「このとき、母親の悲鳴はおろか、抵抗する物音さえ近所には聞こえなかったそうだ。−−−わかるか?」


わかるわけがない。だけど、ボクはわかっている。きっと由希もわかっている。


「簡単なことだ。自分が悲鳴をあげたら−−−二階にいる長男が、でてきてしまうかも知れない。だから、最後の最後まで、悲鳴をあげなかった」


その、尊い戦いを、由希も知っている。


なら、それで充分じゃないか。


「家族を−−−守ったんだ。父親も母親も。守ろうとしたんだ。もちろん−−−由希も」


助けようとしたんだ。その結果がこの悪夢に似た夢。


自責の夢であり−−−後悔を乗り切る為の夢。


「その強さがわかるか?毎日毎日、震えながら、怖がりながら戦い続ける強さが?−−−ボクには、全然わからないぞ」


だから、御影は教えなかった。由希の本当の願いを。


死にたがりのボクにはわからない。


相変わらず、見透かしてくれる。


「−−−ボクが言いたいのはこれだけだ。−−−好きにしろよ」


体は、ピクリとも動かない。


勝負は、ヤツが屋上にきた時点で決していた。


否、それはもはや勝負とは言えない。


ただ単純に向かってきたこいつに、ナイフを脇腹に刺され、崩れ落ちた。


もちろん致命傷だが、死に至るまで少し時間があったから、口上をしていただけだ。


「とどめはさしてくれないのか?死体には興味がないのか、つれないな」


軽口を叩く。それだけで意識が飛びそうだ。


「ああ−−−そうか、言い忘れていたことがあった。−−−お前さ、相手を間違えてるよ」


無駄でも、一応言う。


「ボクも間違えてた。お前の相手は最初から、徹頭徹尾、由希だった。ボクじゃない。ボクなんかに勝っても、なんの自慢にもなりゃしないさ」


自嘲気味にボクは言う。


「お前はボクに勝てた。だが、果たして−−−お前は、由希に勝てるかな?」


ニヒルに、御影のように笑う。


事実上、勝利宣言だ。


だって、もうボクには見えている。


屋上のドアが、開くのを。




□■□■□■□■□■□






悪夢。


悪夢を見ていたと思っていた。


『夢は、自分の願望を見ている。例えそれが悪夢だったとしても、それは君が望んだ願望の一面なんだよ』


あの人は、そう言っていた。


それなら。


それならこの夢が僕の願望だとして、一体僕はなにを望んだのか?


その答が−−−このドアの先にある。


僕は、一瞬の躊躇いもせず、ドアを開ける。




「………」


そこには独りの殺人鬼と。


「………」


一人の、もの言わぬ死体があった。




手遅れ。今更。後悔。


いろいろな言葉が頭を廻る。


ああ−−−やっぱり、僕は駄目だったのか。


また−−−逃げ出したのか。


間に合わなかったのなら、逃げ出したのも同じ。


浜田由希はまたも卑怯な逃亡者に成り下がる。







「………」


殺す。


お前を殺す。


強いお前を殺す。


僕を殺す。


弱い僕を殺す。


いつまでも、逃げてばかりはいられない。


いつまでも、隠れてばかりはいられない。


僕をここまで生かしてくれた、家族の為にも。


僕を此処まで連れてきてくれた、樹さんの為にも。


−−−鬼が、向き直る。


自分の獲物を思い出したかのように。


「お前は…僕の家族の仇だ」


僕は言う。


「だから、僕はお前を殺す」


怖くて怖くて仕方のなかった相手に、僕は呪いの言葉を吐く。


「………」


そいつは知ってか知らずか、やはり単調な動きで僕に向かってくる。


−−−。


狙いは間真。


奴の胸の真ん中。


そこにこの鬼殺しを突き立てればあるいは−−−?


頭の中はゼロにする。


余計なことは考えない。


考えたら−−−また僕は立ち止まってしまう。


もういい加減、この夢に終止符を打たなくちゃ−−−。




「−−−お前なんか、怖くない」


口から出たのは、精一杯の強がり。


強がることを忘れて逃げていた僕を許してください。


走る。


もう逃げない。


ただ、目の前の恐怖に向かってひた走る−−−!


鬼がナイフを振るう。


一瞬の交錯。


左頬にわずかな痛み。


身長差−−−。


大人と子供の差。


鬼と人間の差。


それは、充分な勝機と言えるんじゃないのか?


鬼とすれ違う。


樹さんと鬼の間に入り込む。


「由希…」


………もう、ほとんど死体みたいな樹さんが声を出す。


「由希なら、勝てる。あんなの、由希の敵じゃないさ…」


その声の、なんて弱々しいことか。


だけど、今はそれが僕を何倍も勇気づける−−−!


鬼が、再度こちらに向き直る。


すでに僕は次のモーションに移っている、すなわち−−−。




鬼が、横薙にナイフを振るう。


それを、僕は小さな体でかいくぐり−−−。


僕はナイフを−−−。


「お前を殺すことに、きっと意味なんてない」


鬼の胸目掛けて−−−。


「多分、ただの自己満足。だけど−−−」


暗い闇に光りを通すように。


「絶対に、許さない。僕も、お前も、許さない」


ナイフを突き立てた。







□■□■□■□■□■□






−−−鬼は、由紀の突き立てたナイフを、茫然とみやる。


そして、暗い目をそのままに、独楽の様にくるりと回転すると、仰向けに倒れた。


−−−そして、二度と動かなかった。







+--+--+--+--+--+--+--+






「僕は、卑怯で、臆病で、どうしようもない奴で」


「知ってるよ」


「自分一人で逃げて、隠れて、生き延びた罪人なんです」


「知ってるよ」


「だから、この悪夢を見続けるのが、僕の−−−罰なんだと思ってました」


「そうみたいだね」


「でも、僕は間違っていたんですね」


「そうだよ」


ボクは、すこし気を引き締める。意識が飛ばないように。


「罰は、現実で受けるものなんだ。キミが受けていたのは罪。−−−罪は、一生消えるものじゃない」


それは−−−。


「一生かけて、償うものだ。それが罪。だから、この夢からは、はやく抜け出すべきなのさ。−−−由希は、もう一人で歩けるんだから」


「樹さん…僕は」


「由希は乗り越えた。由希は戦った。由希は逃げなかった。そのためだけに−−−この夢はあった。あのとき、逃げ出してしまったキミのために」


人生はやりなおせない。だけど、過去を振り返ることくらいは許されるだろう。−−−前に進む為に。


引き返さない為に。


「由希。強く生きろ。きっとこの夢は由希から一生離れない。だから、強く。今度は−−−なにもなくさないために」


ボクみたいにならないために。


「はい!」


−−−ここで、初めて、由希は笑顔を見せてくれた。


それは、ボクには、とても力強く。頼もしく見えた。


もう、深い悲しみと絶望にいるだけの少年じゃない。


そこで、這い上がろうとする少年の顔だった。


「あ…」


由希がフェンスの向こう側を見つめる。


背を、向けていてもわかる。


光りが、満ちてくる。


この永遠に夜が続いた世界に、光りが戻ってくる。


夜が明ける。


日の光りを浴びて、黒の残骸がかき消えていく。



夢も明けるようだ。




「由希………」


「はい。なんですか?」


「覚えていたらでいいんだけど、もし覚えてたら−−−病院の隅に生えている、アガスティアって木に、水をやっていてくれないかな?」


「水やり、ですか?」


「そう。アレが枯れると−−−悲しむヤツがいるからさ」


「わかりました承ります」


「そっか。ありがとう」


ボクは目を閉じる。


「ええ。お安い御用です」


「−−−ところで、由希って、バカ丁寧な、喋り方、する、よな…」


「はい。言葉遣いは母によく言われてましたから。国語の先生だったんですよ」


「………」


「だから、日常的に言葉遣いは−−−樹さん?」



由希の声が、とても遠くに聞こえる。


………ダメージを。傷を、負いすぎた。


おそらく、限界を越えている度合いが高い。


−−−きっと、目を覚ますことはできないだろう。



−−−樹さん。−−−樹さん。


遠くで呼び声が聞こえた気もするけど−−−やがてそれも聞こえなくなる。


後に残ったのは、今だ脳裏に焼き付くあの雨。


おそらく、もう目を覚ますことはないだろう−−−。


ボクは降り頻る雨に埋没するように。意識を、黒に染めていった。









+--+--+--+--+--+--+--+




見知った天井だった。


「この天井を見上げるのも三度目だな…」


思わず、溜息を漏らす。


「おはよう、樹君」


コレも、よく聞いた声だった。


「なんで、目を覚ますときにはいつもいるんですか、御影さん…」


「なぁに、私とて医者のはしくれだよ?顔色を見れば、どれくらいで目を覚ますのなんかすぐわかる」


得意げに、サングラスをかけ直す。


めちゃくちゃ嘘臭いが、めんどくさいんで突っ込まない。


「由希は−−−どうなりました?」


「ああ。作戦がうまくいったようだ。今はたまに通院をするくらいで、薬もビタミン剤くらいしか渡していない」


−−−御影の作戦については、言いたいことは山ほどあるが、由希が助かったことに対して、不問にしてやる。


「そうですか−−−」


よかった。素直にそう思う。


「…樹君。聞きたいことはそれだけかい?」


「え?」


「右手を上げてみるんだ」


右手を?おかしなことを言う。そんなの−−−。


「あれ?」


腕が−−−上がらない。


というより、体がまるで動かない。


まるで−−−死んでしまったかの様に。


「それが−−−『勝てるわけがないもの』に挑んだ代償だ」


「………」


やはり、気付いてたのか。


「どんな生き物も、まずは自分の生命を考えるものなんだよ樹君。自分の生命より他を優先するのは−−−ときに迷惑になりかねない」


迷惑。


例えば、自分の代わりに誰かが死んで−−−罪に思うこと。


「はい…」


「樹君はそれがわかっていなかった。言い訳になるけど、それだからこそ、君にはなにも伝えなかったし、だからこそ−−−由希君には伝わった」


「………」


「習うより慣れろ。この場合他人のふり見て我がふり直せ、か?とにかく、樹君の行動は−−−衝動は由希君にはプラスに働いたけどね」


マイナスとマイナスをかければプラスになるように、ボクと由希は、プラスになったのだろうか?


わからない。


わからない、けど−−−。


「とにかく」


御影が一度、手を叩く。


「一人目は無事終了だね。あまり無事とは言えないけど、それでも終了は終了だ」


終了。終わり。


そうだろうか?


「半信半疑だったけど−−−これなら、木下紗祐に会うのも、遠い話しじゃないんじゃないか」


彼女の頼み。三人の内、二人目。


由希と同じ様に、いつかその人にもボクは会うのだろう。


その人を救う為に。


恐れ多くも。


「今は体が動かないだろうけど、なぁに、怪我自体は負ってないんだ。意識さえ戻れば三日程で動けるようになるさ」


「意識…?御影さん。ボクはどれくらい寝ていたんですか」


「二週間程だよ。正確には十三日間。いやぁ、死んだかと思ったよ」


「………」


中々、綱渡りだったみたいだな。


別に、今更だけど。


「まぁ、ゆっくり休みたまえ。入院費をとったりしないからさ。−−−もちろん、主治医には彼女をつけておくよ」


「全力でお断りします。まだ、死ぬわけにはいきません」


御影は楽しそうに口元を吊り上げる。


−−−なにが、楽しかった言うのだろう。


「お言葉に甘えて、少し休ませてもらいます」


「そうかい。ではお休み」


「………」


「………」


「………」


「………」


「御影さん」


「なんだい?」


「出てってもらえませんか?」


「………」


なんで、なんで残念そうな顔をするんですか御影さん?


すごすごと退出していく御影。


………まさか、ホントにずっと病室にいたわけじゃないよな。


仕事しろよ。



ボクは扉が閉まるのを確認すると、初めて、自分の体の状態を調べる。



体が動かない。


だけど、その後遺症こそが、ボクが生きていることを実感できる。


「別に、死んだって良かったんだけどさ…」


嘆いてみせる。それこそ、意味がない。


ボクのやることに意味なんてない。


助かったのは、由希が強くなろうとしたから。


ボクは、真実の意味、なんの助けにもなっていない。


それでも−−−。


あと、一つくらいは、やるべきことがある。


もっとも意味なんてないんだけど。自己満足なんだけど。


それでも−−−。


今は眠る。


体が動く様になれば、アイツを、捜そう。


今は眠る。


もう、夢は見なかった。






□■□■□■□■□■□






自分の部屋で、ソファーに座りながらテレビを眺めていた。


テレビからは昔のサスペンス洋画を流していて、今、冒頭部分で犯人が主人公の家族を皆殺しにしているところだった。


「そんなもんじゃないさ、殺人行為ってのは」


映画のチープさに少し可笑しくなる。


今だ、手に残る。人殺しの感触を確かめる。


あれは−−−良かった。


大人も女も、赤ん坊さえ殺した。


特別、理由があったわけじゃなかった。


ただ、殺したかったから殺した。


それが、殺人鬼ってもんだろう?


一人、悦に入る。


「別に、お前にボクが関係あるわけじゃないんだけどさ」


突然、隣から声が聞こえた。


ぎょっとして隣を見る。


「だけど、今回はメシ抜きだったから−−−お前で我慢してやる」


見たことのない学生服を着込んだ、癖毛の少年がそこにいた。


「な、なんだお前!どっから入ってきた!?」


「さぁね。しいて言うなら−−−災厄や不幸なんてのは、なんの前触れもなく襲ってくるものなのさ。−−−お前みたいに」


感情がまるでこもらない声。


これじゃ、まるで−−−。


「そう思うだろう?殺人鬼くん」


「−−−!!!」


知っている。


知っている。こいつが何者なのかはわからないが、自分の正体を知っている。


ならば−−−!


俺はもはや体の一部と化した、ナイフを−−−三人の血を吸い、いまなお血を欲しているナイフを、隣の少年に突き刺す。


そいつは、なんの抵抗もなく、ナイフを受け入れ−−−倒れた。


「−−−あ、はははは」


どうだ、俺の力は!


この、人の命を奪う圧倒的な存在感。


例え相手がなんであろうと、俺を止めることなんてできやしない!


笑いが、止まらない。


俺は、止められない。


そうだ、一人生き残ったガキがいたはずだ。そいつも殺してしまおう。


取りこぼしがあったとなっちゃあ、俺の伝説に傷がつく。


「次のターゲットはお前だよ浜田由希」


笑いが止まらない。その中で−−−。


「そいつは無理だよ。由希は−−−お前なんかよりは遥に強いんだから」


有り得ない、声がした。


「…え?」


信じられない。


そいつは、腹にナイフを収めたまま、立ち上がってきた。


「なにをしても無駄さ。この夢は−−−もうボクの舌の上さ」


「お、お前なんなんだよ!なんで死なないんだよ!?」


「さぁ?化け物だからじゃないかな」


俺は恐怖で後ずさる。


そいつは、そんな俺に腕を伸ばして。


「ぎゃあああ!」


右腕を、握り潰した。


「あああ、ひいいい!」


「なんだ。脆いんだな。あの殺人鬼の、足下にも及ばない」


「た、助けて…」


怖い怖い怖い怖い怖い−−−!!!


「…怖いか?ボクが怖いのか?」


こくこくと、首を縦に降る。


「…この程度でか?わかるか?毎日毎日殺され続ける夢を見ながら、それを止めなかった由希の気持ちが」


意味のわからないことを化け物がいう。


その目の−−−なんて酷薄なことか。


「お前も、味わって見るがいい。−−−悪夢がどういうものか、身を持って知れ」


「あ、ああ…」


全てが、絶望に包まれていく。


なにもかもが、崩壊していく。




「お前は、一生ボクの悪夢を見るんだ」




自分の断末魔の悲鳴を聞いた。






+--+--+--+--+--+--+--+




事件発生から数日後、犯人と思われる容疑者の家に踏み込んだ警察は、変わり果てた容疑者を見つけた。


髪は総白髪。


目は血走り。


顔面は蒼白。


床に落ちたナイフを見つめながら、怖い怖い怖い怖いとぶつぶつ歎く容疑者の姿だった。






+--+--+--+--+--+--+--+






僕はこの広い病院の、誰からも忘れられた一角にある一本の柿の木に向かって歩いていく。


それが、この病院にきたときの習慣だった。


それなりに歩いて、人気のない、例の柿の木が生えている一角にたどり着くと、そこには先客がいた。


学生服を着た癖毛の男の人だった。


「こんにちは」


挨拶をする。ここに人がいるのは珍しい。


「ああ、こんにちは」


男の人も挨拶を返す。


「この木に水をやりに?」


「ええ、頼まれていまして」


僕は、自分の背丈ほどしかない柿の木に水をやる。


「誰に、頼まれたんだい?」


「覚えていません」


僕は、なぜか正直に答えた。


「だけど、もしこの木が枯れたら、悲しむ人がいると思うから、水をやっているんです」


水をやりながら、自分でも説明できないことを説明する。


「そうなんだ」


男の人は対して気にもしてないように応える。


「−−−キミは、悲しくないのかい?」


「多分、枯れたら悲しいです。−−−大事なものを守れなかったり、守らなかったりするのは怖いですから」


「そうか…」


「ですから、こうやって水を上げているんです−−−後悔しないために」


それを、僕は教わった。

誰だったかは思い出せないけど、確かに教わった。


その代価が、この水やり。


ここで、ふとある疑問を思いつく。


この人は何者なんだろう。ひょっとして−−−。


「貴方は、どうして此処に?」


顔を上げる。


そこには−−−もう誰もいなかった。


初めから、そこには存在しなかったように。


跡形もなく、消えていた。


僕はその場でぼーっと立ち尽くし。


しばらくして、また水やりを再開した。






あの人とは、ここで会うべきではなかったから。


だから、この場では存在しない。


きっと、あの人は夢のなかでしか存在できない人なんだろう。


なら、ここで語り合うのはお門違い。


あの人と話し合うなら夢の中、夜に夢見る夜の夢。


あのとき、言えなかった言葉を、きっと言おう。




「助けてくれて、ありがとうございます」



柿の木にむかってお礼を言う。


もちろん、柿の木は返事をしてくれなかった。







hamada yuki BAT DREAM the END.

番外編です。………番外編になるとヒロインが一切でてきてないなぁ。次回本編では前面に出していきたいです。それでは、またお会いしましょう。

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