008話_エルフの黄昏カウンセリング
リコが保健室に戻っていった翌日のことだった。
エルフの少女が、裏森のベンチでいつものように黄昏ていた。
「……今日も黄昏ろっかな」
「いつも黄昏てるだろ!!」
その時、茂みの向こうから声がした。
「あの……すみません」
見知らぬ女子生徒が、おどおどと立っていた。制服の袖を握りしめている。
「えっと、ここに"話を聞いてくれる人"がいるって——」
「えっと……どこで聞いたんだ、それ」
女子生徒が一枚の紙を差し出した。校舎の掲示板に貼ってあったらしい。
【裏森の自販機の横にいるエルフっぽい人、めっちゃ話聞いてくれる。黄昏ながら。(情報提供:保健室の常連より)】
保健室の常連はリコだろう。彼女に悪気はなさそうだ。
エルフの少女が立ち上がった。
「……私に話を聞いてもらっても、意味ないよ」
女子生徒が困った顔をした。
「でも、リコちゃんが"あの人に聞いてもらったら楽になった"って……」
「それはリコちゃんが自分で立ち直っただけ。私は何もしてない」
エルフの少女は黄昏の角度を深くした。45度から60度に。
「黄昏の角度が上がった!! 拒否の意思表示か!!」
自販機マスターがピッと反応した。
『悩み検知。対象:目の前の生徒。——および、エルフの少女本人』
エルフの少女がぴくりと耳を動かした。
「……私は悩んでない。黄昏てるだけ」
『黄昏と悩みの境界線は、自販機の性能では判定不可能だ』
「人間にも判定不可能だぞ」
女子生徒がおずおずと言った。
「あの……聞いてもらうだけでいいんです。答えとか、アドバイスとか、いらなくて——ただ、誰かに言いたくて」
エルフの少女が振り向いた。
「……言いたいだけ?」
「はい。友達には重いかなって思って。先生にはちょっと違うし。保健室は——リコちゃんの場所だし」
「そんなことないと思うぞ!?」
まぁでも先生に話しにくいことはあるか。
エルフの少女は少し黙って、それからベンチの端を指さした。
「……座れば」
女子生徒が座った。そして、話し始めた。
部活のこと。先輩が怖いこと。自分だけ上達しないこと。でも辞めたいわけじゃないこと。しんどいこと。
エルフの少女は、何も言わなかった。
ただ黄昏ながら、時々「うん」と言った。
10分くらいだった。
女子生徒が立ち上がった。
「……ありがとうございました。なんか、楽になりました」
「……何もしてないけど」
「聞いてくれたから。それだけで」
女子生徒は小走りで去っていった。
俺は思った。
——本当に、何もしてないのに、相手が勝手に楽になってる。
自販機マスターがパネルに表示を出した。
『傾聴効果——聞くだけで軽くなる現象だ』
「自販機がカウンセリング用語を…!」
『福利厚生の一環だ。カウンセリングは業務に含まれる』
「業務の幅が広い!」
——
その日の午後、もう一人来た。
今度は男子生徒。進路のことで悩んでいた。
エルフの少女はまた黄昏ながら聞いた。
「……うん」「……そっか」「……大変だね」
男子生徒は15分で帰った。表情が軽くなっていた。
——
翌日も来た。
次の日も来た。
裏森のベンチに、いつの間にか"順番待ち"ができていた。
「……予約制になってるんだけど」
自販機マスターのパネルに表示が出た。
【黄昏カウンセリング 本日の受付:3名】
「名前がついてる!! 勝手にサービス化するな!!」
エルフの少女は困惑していた。
「……私、何もしてないのに」
「何もしてないから来てるんだよ。アドバイスしない、否定しない、ただ聞く。それが——逆に貴重なんだ」
エルフの少女が俺を見た。
「……でも、私なんかに相談しても——」
その瞬間。
ぬるっ。
エルフの少女の足元から、ゼリーが湧き出した。
灰色がかった薄緑。自己否定の色。
「出た!! エルフの悩みゼリー!!」
ゼリーは形を成していく。
——人型だった。
エルフの少女そっくりの、ゼリー人形。ただし、透明で、輪郭がぼやけている。
ゼリーが喋り出した。
「私なんか。私なんか。何の役にも立たない。聞くだけで何が変わるの。——誰にも——」
——一瞬、ゼリーの声がかすれた。何か別の言葉が混ざった気がした。
「……今、何か言った?」
「……言ってない。ゼリーの雑音」
「……そうか」
自販機マスターが冷静に分析した。
『"自己無価値感ゼリー"。根が深い。——表面は"役立たず"という自己認識だが、根本には別の問題がある』
「根本って何だ!?」
『……プライバシーに関わるため、開示を控える』
「自販機にも一応プライバシーの概念があるのか!なぜ俺は解放されない!?」
ゼリー人形がエルフの少女の前に立ちはだかった。
「私なんか。聞いてるだけ。何の才能もない。——私は——」
エルフの少女が耳を塞いだ。声は出なかった。自分の悩みには、言い返せない。
でもゼリーは止まらない。
マキが駆けつけてきた。
「エルフちゃんのピンチ!? 筋肉で解決する!!」
マキがゼリーを殴った。
ドゴッ!!
マキが拳を見つめた。
「……筋肉が、通じない……?」
自販機マスターが俺を見た。
『ツッコミ担当』
「……分かった」
俺はゼリー人形に向かって叫んだ。
「"役立たず"って言うな!!」
——ボン!
ゼリーがびくっとした。
「お前は"役立たず"じゃない!! 何もしてないんじゃなくて、"何もしない"をしてるんだ!!」
——ボンボン!
ゼリーにヒビが入った。
「アドバイスしない! 否定しない! 解決しようとしない! それが——どれだけ難しいか分かるか!?」
エルフの少女が目を見開いた。
「普通は、相手の話を聞くと口を挟みたくなる!! "こうすればいい"って言いたくなる!! でもお前はそれをしない!! 黄昏ながら、ただ聞く!!」
——ボンボンボン!!
ゼリー人形の輪郭がはっきりしてきた。ぼやけていた形が、エルフの少女の姿にくっきりと変わっていく。
「お前の名前は"役立たず"じゃない!! "聞き上手"だ!! いや——」
俺は深呼吸した。
「"黄昏カウンセラー"だ!! 黄昏ながら人を救う、"聞き上手のカウンセラー"だ!!」
——ボンッ!!
ゼリー人形が弾けた。
破片がキラキラと光りながら消えていく。
エルフの少女がぽかんとしていた。
「……黄昏カウンセラー」
「そうだ。お前は時に"何もしない"のプロだ。それは才能だ」
「……才能」
エルフの少女は、ゆっくりと空を見上げた。
いつもの黄昏顔。でも——ほんの少しだけ、口角が上がっている。
「……才能って言われたの、初めてかも」
「……そうか」
「……でも、まだ——」
エルフの少女は何かを言いかけて、飲み込んだ。
俺には分かった。さっきゼリーが一瞬かすれた声——あれが、根っこの部分なんだろう。自販機マスターが「根本には別の問題がある」と言った通りだ。
でも今日は、表面の一枚目を剥がしただけでいい。
自販機マスターがガチャコン、とドリンクを排出した。
『"黄昏カウンセラーの休憩ココア"。聞き役にも休憩は必要だ。——本日のフクリコ貢献への報酬だ』
エルフの少女がココアを一口飲んだ。
「……おいしい」
「そりゃよかった」
「……ねえ」
「ん?」
「……私、聞くだけでいいの? 本当に?」
「いいんだよ。聞くだけで。——お前はそれだけで、ここにいる意味がある」
深く、静かに、でもいつもよりほんの少し——温かい表情を浮かべたエルフ。
「……黄昏ろっか」
「戻るの早い!!」
自販機マスターのパネルが光った。
【フクリコポイント獲得:+1】
【悩みの再定義:黄昏カウンセラー】
マキが泣いていた。
「聞くだけで……人を救える……!筋肉以外にも……道はあるんだ……」
「筋肉以外の道に今気づいたのか!!」
俺の会員証が、黄昏の空に照らされて光った。
——黄昏も、悪くないのかもしれない。




