007話_自販機は保健室に入れない
自販機マスターが校舎に入った。
——それだけで事件だった。
ガラガラガラガラ……!!
台車の音が廊下に響く。生徒たちが振り返る。二度見する。三度見する。
「ねえ、自販機が移動してる」
「あー、裏森のやつでしょ。最近校庭にもいたし」
「自販機に人事異動ってあるの?」
俺は頭を抱えた。
「目立ちすぎだろ……」
自販機マスターは堂々と廊下の真ん中を進んでいく。
『校舎一階、進入成功。空気が違う。構内は"悩みの濃度"が高い』
エルフの少女が廊下の掲示板の前で立ち止まった。
「……"落とし物:体操服、弁当箱、やる気"。やる気も落とすんだね」
「最後のだけ種類が違う!」
マキが廊下の天井を見上げた。梁がむき出しになっている。
「懸垂できそう!!」
「するな!! 校舎で筋トレするな!!」
ソウタが少しだけ胸を張った。
「こ、校舎内なら案内できます……。図書室は二階で、保健室はこの廊下の先です……」
「ソウタ頼もしい!今までまともな仲間がいなかったから!」
主に頭脳的な面で。
カナデが購買部のカウンターから顔を出した。
「ちょっと! 廊下の真ん中を占領しないで!」
『占領ではない。コラボ営業の巡回だ』
「……まあいいわ。ちょうど頼みたいことがあるの」
「頼みたいこと?」
カナデの後ろから、ミサキがおずおずと顔を覗かせた。
「あの……」
「最近、購買部に来なくなった常連がいるの。ミサキが気にしてて」
ミサキがこくりと頷いた。
「毎日カレーパン買ってくれてた子なんですけど……ここ二週間、ぱったり……」
ソウタがはっとした。
「それ……2年のリコさんじゃ……。図書室にもよく来てたのに、最近ずっと名前が貸出簿にないんです……」
ミサキが再度こくりと頷いた。
「どうやら保健室にいるみたいで……カレーパン、届けに行ったんです。でも……手をつけてもらえなくて……」
カナデが目をそらした。
「……パンじゃどうにもできないこともあるのよ。だからコラボなんでしょ」
自販機マスターのパネルが光った。
【悩み探知:検出】
【位置:一階・保健室前】
【強度:中〜高】
『該当者と思われる反応を検出。保健室の方角だ』
自販機マスターが台車をギギギ……と保健室の方へ向けた。
「待て待て! 保健室に自販機が突入したらビックリしちゃうだろ!」
『自販機は時に無力だ』
「なんかごめんな!」
——とりあえず保健室前へ移動した。
保健室の前に着くと、ドアが少し開いていた。中から、小さな声が聞こえる。
「……もう、学校来たくない……」
俺たちは顔を見合わせた。
ドアの隙間から覗くと、ベッドの上に女子生徒が座っていた。膝を抱えて、カーテンの影に隠れるようにしている。
ドアの脇に【外出中】の札が掛かっている。昼休みで職員室に戻っているらしい。
ソウタが小さく呟いた。
「やっぱり……リコさんだ……」
俺は自販機マスターを見た。
「……どうする」
『入れない。この状態の相手に、自販機が突入するわけにはいかない。だが——』
自販機マスターがガチャコン、と商品を排出した。
『これを届けろ』
カップには湯気が立っている。ラベルには何も書かれていない。
「……名前がない」
『名前のない悩みには、名前のないドリンクだ』
「珍しくかっこいいな……ってこれただの白湯では?」
「私が行く」
エルフの少女が、カップを受け取った。
「え、エルフが?」
「私も、学校に来たくなかった側だから」
マキが黙って一歩引いた。
「……私はここで待つ。あの空気は、筋肉じゃどうにもならん」
ソウタも小さく頷いて、廊下の壁にもたれた。
「……お前ら意外と空気読めるな」
エルフの少女は静かに保健室のドアを開けた。
「……こんにちは」
リコがびくっと顔を上げた。
「だ、誰……?」
「私はエルフ。森で黄昏てる人」
「自己紹介が意味不明」
廊下から思わずツッコんだが、エルフの少女は気にせず続ける
「これ、飲んで。温かいよ」
リコはカップを見つめた。
「……なにこれ」
「名前のないドリンク。名前のない悩みに効くんだって」
リコの目に、涙が溜まった。
「……私ただ……なんか……しんどいだけ……」
「うん。分かる」
エルフの少女はベッドの端に座った。
「私もそうだった。妹が優秀で、自分がダメで、理由なんかよく分からなくて、ただしんどかった」
リコが顔を上げた。
「……あなたも?」
「うん。今もたまにしんどい。でもね——」
エルフの少女は保健室のドアの方を指さした。
「あそこに、変な自販機がいるの」
「……変な自販機?」
「悩みをドリンクにする自販機。あと、うるさいけど頼りになるツッコミの人と、筋肉の人と、本が好きな人がいる」
「情報量が多いようで少ない!!」
リコが少しだけ笑った。
「……変なの」
「変だよ。でも、変な人たちがいると、しんどいのが少しだけ薄くなるの」
リコはカップに口をつけた。
一口。
「……あったかい」
その瞬間、保健室の空気が少し変わった。
ベッドの下から、ぬるっと——
灰色の霧みたいなゼリーが湧き出した。形が認識できない。名前もない。ただ重い空気が感じられる。
「出た……。でもこれ、形がない……」
自販機マスターが廊下から言う。
『"無名の倦怠"。最も対処が難しいタイプ。形がないから、ツッコミが効きにくい』
「効きにくいって!俺の唯一の武器が!!」
霧がリコを包み込もうとする。
俺は保健室に踏み込んだ。
「形がないなら——形を与えればいい!!」
俺は叫んだ。
「お前、"しんどい"って言ったな!! "しんどい"は"辛度い"だ!! 辛さだ!! カレーだ!!」
——ボン!!
霧が一瞬固まって、なぜかカレーの匂いがした。
「カレー!?」
「そうだ!! 辛いなら香辛料だ!! スパイスだ!!」
——ボンボン!!
霧がカレー色に染まり、形を持ち始めた。巨大なカレーパンの形。
「カレーパン!?」
カナデが廊下から叫んだ。
「ちょっと!! うちの商品が!」
カレーパン型の霧が、ぷるぷる震えている。
俺は続けた。
「しんどさは消えない!! でも"辛さ"なら、味になる!! 味があるってことは、"味わえる"ってことだ!!」
——ボンボンボン!!
カレーパン霧の表面にメニューが浮かんだ。
【辛さを選んでください:甘口/中辛/辛口】
「注文制!?」
リコが少し考えて、小さく呟いた。
「……中辛、かな」
「そうだ自分で選べる……!!」
リコが目を見開いた。
「そうだ!! 激辛じゃない!! 食べられるレベルだ!!」
リコが、少しだけ笑った。
「……食べられるレベル……」
エルフの少女がリコの手を握った。
「中辛なら、一緒に食べよう」
カレーパンがすうっと薄くなり、保健室に光が差し込んだ。
リコはカップの残りを飲もうとして、首をかしげた。
「……あれ、色が変わってる」
白湯だったはずの中身が、いつの間にか白く温かいミルクに変わっていた。
カップのラベルに、文字が浮かんでいる。
【辛さに効くホットミルク】
「名前……ついたんだ」
『悩みに名前がつけば、ドリンクにも名前がつく』
リコがミルクを一口飲んだ。
「……あったかい」
「少しずつでいい。ちょっとずつ頑張ろ!」
エルフの少女が言った。
自販機マスターのパネルがピピッと光った。
【フクリコポイント獲得:+1】
【無名の倦怠・対処成功】
【エルフ客のカウンセリング適性:あり】
リコが立ち上がった。
「……私、ちょっとずつ頑張ってみる」
「おう。保健室からでいい。無理すんな」
リコはドアのところで振り返って言った。
「……あの自販機、本当にしゃべるんだね」
『喋るくらいで驚くな』
「毎回それ言ってるな!」
リコが小さく笑って、保健室に戻っていった。
カナデがミサキに振り返った。
「明日、カレーパン一個多めに焼いて。常連が戻ってくるかもしれないから」
「……はい!」
自販機マスターが最後に告げた。
『業務連絡:保健室案件、今後も対応する。——二階への進出は、もう少し先だ』
俺の会員証が、保健室の淡い光の中で静かに光った。
光と混ざって、少しだけ温かかった。




