幕間-2 澪と蛍②
『私は一瞬、蛍に何を言われたのかが分からなかった。』
ううん、嘘。ちゃんと聞こえていた。
でも――理解したくなかった。心の奥が、聞こえてしまった『それ』を必死で拒絶していた。
「い、いやだなぁ、蛍ちゃん、急にどうしたの?」
無理やり笑顔を作る私。指先は小さく震えていて、掌の熱がじんわりと広がる。
蛍はそんな私を、まっすぐな目で見つめる。
「今日のことを見て確信したの。彼はあなたにメリットをもたらす人じゃない。むしろ関わることで、あなたに不幸が降りかかる可能性の方が高いって思ってる」
言葉が、心の奥に冷たい釘を打ち込むように響く。
「ま、待ってよっ、私は別に――」
「わかってるわ。だってそんな打算的な考えを持った子なら、私はあなたを気に掛けたりしなかったもの」
蛍の声音は抑揚がないのに、ひとつひとつの言葉が胸に刺さる。
私の心臓はぎゅっと握られたように痛む。目の前が少しだけ暗くなる気がした。
「それでも、この意見は変わらないわ。彼とあなたは関わるべきじゃない」
「なんで! 小鳥遊くんは何も悪くないのに――」
「悪くないからこそよ、澪」
「え……?」
蛍は私の手の方に軽く触れる。冷たいわけでも温かいわけでもない、ただ確かにそこにある触感。
言いにくそうに目を閉じ、そしてまた開いた。
「あなたに勘違いされたくないから言うけど。私は小鳥遊くんを悪い人だと思ったことは一度もないわ」
「そ、そうなの……?」
私が聞くと、蛍は小さく頷いた。
「だって彼の噂、全部人づてにしか聞いたことないもの。それもどれも抽象的で、的を得ないものばかり。よくもまあ、あんな眉唾をみんな信じるなって思ってたわ」
蛍の瞳は揺るぎなく真実を映している。嘘が混ざる余地はない。
「でも――今の状況を作っているのは自身。それはわかってる?」
蛍からの問いに――今度は私が頷いた。
それを見て、蛍は次を問う。
「本人が現状を望んでいる可能性は? 考えたことあるの?」
「……そ、それは――」
考えてなかった――わけではない。
むしろそう考える方が、澪の中ではしっくりくる。
けれどそれがあまりにも歪で、異質だ。
だからこそ私は――
「ひとつ、あなたに言うわ」
そう言って、揺れる私に、蛍は真っ直ぐ視線を向けて放った言葉は。
「本人が望まない救済は、決して救済にはなりえない」
――視界が、揺れた。
頬を強く引っぱたかれたかのような衝撃で。
私の頭の中は真っ白になった。
「……なに、いって」
「あなたたちの人を想う優しさが、たとえどんなに美しい物であっても。決して交わることはないと断言する」
その言葉の重みは、心臓を強く殴られたような痛みも残した。
普段と変わらずどこまでも正しい彼女の言葉は。
正しいからこそ、胸を抉るほどの激痛だった。
正しいことしか選べない。正しいことしか言えない。
その彼女に断言してしまったから。
「彼に関わり続けるのなら、今日みたいなことはきっとこの先に何度も訪れるわ。きっと――二人とも傷つくことになる。なら――関わるべきじゃない」
「で、でも――じゃあ、あのままでいいの……?」
あの人を、あのままにするの?
あんな生き方を黙ってみてろって、そういうことなの?
そんなこと――
「私には、出来ないよ……」
絞りだしたような声で言うと、それでもと蛍は言った。
「あれ以上になるくらいなら、私は今のままでいいと思ってる」
「……」
「この意見は、もう前から思ってることよ」
やめてよ。
お願い。その先は、聞きたくないよ。
「彼は――」
言わないで。
理解したくないことを。
理解させようとしないで。
お願い――
「一人でいるべきだわ」
その言葉で。
真っ白だった頭が、赤く染まった。
「それがきっと、彼の為に――」
「もういいよ」
蛍の言葉を遮り、私は顔を伏せたままカバンに手をかける。
「澪……?」
「ごめんね、蛍ちゃん。今日は一人で帰る」
そう言って、私は蛍の横を通り過ぎた。
「待って澪!」
教室の戸に手をかけた瞬間、後ろから声が届く。
数秒迷い、振り向く。
「ごめん。蛍ちゃんがどんなに正しくても、今回は聞けない」
「……あなたに、メリットはないのよ」
「うん。でも――そんなのどうでもいい」
「どうして、そんなに彼に構うの?」
「……それこそ、蛍ちゃんに話す意味がないよ。聞いてわかんないよ、きっと」
握り拳を作る。
抑えきれない感情が、漏れ出した。
「正しいだけの蛍には、わかるはずない」
私はそう言って、教室の戸を開ける。
今、蛍がどんな顔をしているのかはわからない。
それでも振り返ることなく、教室を後にした。
「……」
教室に残った私は、一人椅子に座る。
左を見ると、そこには机と椅子。
大切な友達が座る場所。
「これで、いいのよね?」
誰もいない教室で、私はそこにいない彼に問いかける。
返事は返ってこない。
「私にできることは、これしかなかった。これしか――選べなかった」
それでも私は続ける。
答えも許しももらえないのに。
「ごめんなさい……朔」
少女は――夏沢蛍は一人。
乾ききった荒野に立つ少年を想い、一粒の涙を床に零した。
幕間はここでいったん終わりです。
余談ですが、自分の人生の中で澪の考えや生き方が一番近いです。
次で全てを拾い上げるのは難しいかもしれませんが、それを踏まえたうえで次回以降の話を見てもらえたら嬉しいです。
次回――小鳥遊と小花編。
この物語の、本当の始まりとなる結末を最後まで見届けてください。




