第9話「初めて、似合ってるって言われた」
翌朝。
俺はいつもより10分早く目を覚ました。
理由は単純で——昨日、一ノ瀬に選んでもらった服を、どうしても今日、着て行きたかったからだ。
「……なんか、変な感じだな」
今までは着られればなんでもいい、と思っていた服。
だけど今、選んで手に取るこのシャツには「自分が誰かに見られる」って意識がある。
俺が変わり始めてる証拠なのかもしれない。
身支度を終え、鏡を見る。
——うん、やっぱりちょっとはマシになってる。
肌荒れも、スキンケアを始めてから少しずつ落ち着いてきたし、メガネも前よりだいぶ細身で軽いタイプに変えた。
だけど、それより何より。
「……服って、すげぇんだな」
清潔感って、こういうことを言うんだって初めて分かった。
それだけで、「人間」に見える。
「……よし」
一つ深呼吸をして、家を出た。
◇
教室に入ると、思ったより早く一ノ瀬が席に着いていた。
俺に気づくなり、顎でこっちをしゃくってニヤッと笑う。
「……へぇ」
「……な、なに」
「ちゃんと着てきたな。いいじゃん、似合ってる」
「……っ」
その一言だけで、どこかがジン、と熱くなる。
自分で見ても悪くないとは思ったけど——「似合ってる」って誰かに言われたのは、たぶん人生で初めてだった。
「……ま、まあな。なんか……悪くなかったから」
「素直でよろしい」
くしゃっと頭を撫でられて、思わずビクッとなる。
「や、やめろっ……!」
「なにビビってんだよ。お前、ほんと反応おもしれぇ」
からかってるのは分かってるのに、その手があったかくて、なんか悔しい。
だけど、俺は気づいていた。
——俺の変化を、ちゃんと見てくれてるのは、こいつだけだ。
◇
昼休み。
自分から「コンビニ行こう」って言ったのは、初めてだった。
俺の言葉に一ノ瀬は少し驚いて、それから嬉しそうに「いいね」と笑った。
駅前のセブンでパンとおにぎりを手に取り、二人並んで公園のベンチに座る。
一ノ瀬は一瞬黙った後、パンをかじって言った。
「神原」
一ノ瀬が、急に真面目な声で俺の名前を呼ぶ。
「お前、変われるよ。ちゃんとやれば、もっとカッコよくなれる。……いや、なるべきだ」
「……俺が?」
「そう。自分を嫌いなまま生きるの、そろそろやめた方がいい」
言葉が、胸に突き刺さった。
——こいつ、なんでそんなに俺のこと知ってんだよ。
でも、それが悔しくなかった。
むしろ、ちょっとだけ嬉しかった。
「……だったら、手伝えよ。最後まで」
「……は?」
「中途半端に投げ出すなよ。お前が育てるって言ったんだから」
そう言った俺に、一ノ瀬は目を見開いて——すぐに、いつもの意地悪な笑みを浮かべた。
「へぇ。やっと自分から喰いついてきたな」
「べ、別に……っ!」
「いいよ。責任、取ってやる」
その声が、妙に低くて、ぞくっとするくらいに色気を含んでいた。
やばい。
なんか今、完全にペースを握られた。
でも。
(……悪くないかも)
そんなふうに思ってる自分に、俺自身が一番驚いていた。
——俺は、もう“前の俺”じゃないのかもしれない。