-第8話「ユニク口、未知との遭遇」
放課後。一ノ瀬に言われて向かったのは、最寄駅まで電車で十数分の距離にあるショッピングエリアだった。電車の揺れが妙に心地よくて、俺は少しだけ気を抜いていた。
ふと隣を見ると、一ノ瀬がスマホを取り出して俺の方に突き出してきた。
「お前、スマホ持ってんだろ。LINE入ってるよな?」
「……まあ、うん」
「じゃ、交換な」
一ノ瀬は当然のように操作して、自分のQRコードを表示させていた。
驚きながらも俺もスマホを取り出し、ぎこちなく読み取る。名前を登録し合って、それで終わりかと思ったら——
「アイコン、適当すぎ。あとで変えとけ」
余計なお世話だ、と思いながらも、どこか妙にうれしかった。
◇
駅に着いて、改札を抜ける。夕方の商店街は制服姿の学生と買い物客でごった返していた。
「こっち」
一ノ瀬は迷いなく歩き出し、俺はその背を追う。いくつかの店舗を抜け、信号を渡った先——白地に赤いロゴが目印の建物が見えてくる。
目の前に立ち止まった一ノ瀬が指さした先は、俺にも馴染みのある場所だった。
「まさか本当に連れてこられるとは……」
俺は駅前のユニク口の前で、突っ立っていた。
一ノ瀬は相変わらず楽しそうにスマホをいじっていて、俺の戸惑いなんか完全にスルーだ。
「だって、言ったろ? 今日、服買いに行くって」
「そういう意味で受け取る人間、普通いないからな?」
「え、じゃあお前、俺とどこ行くと思ってたの?」
「カラオケとか……ゲーセンとか……」
「うわ、めっちゃ陰キャプラン……。まあ、どれも却下だな。まず服だ」
「はぁ……」
溜息をついて店に入ろうとしたら、一ノ瀬が俺の肩を掴んで止めた。
「待って」
「……え?」
「そのまま入るな。マスク、外せ」
「無理無理無理無理無理無理無理!!!」
全力で首を横に振る俺に、一ノ瀬はため息をついて、俺のフードをちょっとだけ引っ張った。
「大丈夫だって。今のお前、そこまで酷くないから」
「いや、俺の肌を知ってる人間が言う台詞じゃないよな!?」
「それでも、前より確実にマシ。……お前、自分がどれだけ変わってきてるか分かってねえだろ?」
そう言って、スマホのインカメをこっちに向けてきた。
画面に映ったのは、マスクなし、メガネのフレームが少し細くなった俺。無精ひげもないし、髪も整ってる。
そして何より、清潔感が……ある、気がした。
(……誰だ、こいつ)
自分なのに、そう思った。
「……まあ、まだ全然、平均点以下だけど」
「褒めたのか貶したのかどっちかにしろよ」
「どっちも。ほら、行くぞ」
ぐいっと腕を引っ張られて、店の中へ。
正直、ユニク口なんて母親に連れられて行ったことしかない。
「神原、お前ってさ」
「……ん?」
「服に興味、ないって言ってたけど、それって“着て似合わない自分”を見るのが怖いからじゃないの?」
「……っ」
図星だった。だから、何もかも避けてきた。
ファッション誌もテレビも、自分には無縁だって思ってた。
でも、今は……。
(少しくらい……試してみてもいいのかも)
一ノ瀬は服のラックを物色しながら、器用に色を組み合わせて、何着も手に取っていた。
「こっちはモノトーン系。こっちは春っぽいくすみカラー。あ、これ着てみ」
「うわっ!? もう!?」
試着室に押し込まれて、渡されたシャツとパンツを身につける。
——ドキドキする。
鏡の中の自分は、まだどこか冴えない。でも、これまでの“自分”よりは確かに、前に進んでる。
カーテンの向こうから一ノ瀬の声が聞こえる。
「どーよ?」
「……なんか、服に申し訳ない気分になる」
「アホか。服は“人を育てる”んだよ。自信持てって」
そう言ってカーテンを開けた一ノ瀬が、俺を見るなり——
一瞬だけ、目を丸くした。
「……へえ」
「な、なんだよ」
「思ったより、いいじゃん」
「……っ!」
まただ。
この男は時々、真顔で爆弾を落としてくる。
嬉しいくせに、顔が熱くなるから腹立つ。
「それ買いな。ついでにそのスニーカーも合わせて。あとパーカーも足して……あー、予算超えるな」
「ちょっと待て、なんで勝手に予算把握してるんだよ」
「だって、お前の財布の中見えたし」
観察力ぅぅぅう!!
そうこうしているうちに、レジで精算まで終えた俺は、両手に買い物袋をぶら下げて、店の外に出た。
空はもうすっかり夕焼け。
その中で一ノ瀬がぽつりと呟いた。
「……最初さ」
「うん?」
「お前のこと、ただの“素材”だと思ってた」
「はあ?」
「でも今は、ちゃんと“育てたい”って思ってる」
「……な、何を急に……」
「だからさ、逃げんなよ? お前はこれから、もっと変わる。俺の手で」
冗談みたいなその言葉が、不思議と胸の奥に残った。
もしかしてこの人、ただのイジワル男じゃなくて——
(いや、やっぱイジワルだな)
でも。
俺を変えてくれる人なのかもしれない。
そんな予感が、夕焼けの中で確かに芽生えた気がした。