第6話「初めての美容室。シャンプー台で爆死寸前」
「……本当に行くのかよ、これ」
放課後。俺は駅前のビルの前で、足を止めたまま動けずにいた。
目の前にそびえ立つのは、例の“美容室”。 一ノ瀬が予約してくれたらしい。
ガラス張りのオシャレな店構え。中から見えるスタッフも客も、全員シュッとしてて、顔面偏差値が高すぎる。
俺みたいな陰キャ豚が踏み入れていい空間じゃねえ。玄関のセンサーが俺を拒んでる気すらする。
「早くしろ。予約してんだろ。キャンセル料出せる?」
「くっ……わかったよ!」
一ノ瀬に背中を押されるようにして、店の中に入った。
チリン、と小さなベルが鳴る。その瞬間、空気が変わった気がした。
全員が、ちらりと俺を見る。生まれて初めての拷問。
(無理だ……今すぐ帰りたい……)
でも一ノ瀬は涼しい顔で受付に声をかけ、俺の名前を告げた。待合に案内され、しばらくすると――
「神原様、こちらへどうぞ」
綺麗なお姉さんが、俺の名前を呼んだ。
(ひい……地獄の扉が開いた……)
担当になったのは、黒髪ポニーテールのクール美容師。 俺のぼさぼさの髪を見て、少し眉を動かしたような気がしたけど、すぐに笑ってくれた。
「今日はカットと、ちょっと整える感じでいいですか?」
「……は、はい……」
「じゃあまず、シャンプー台へご案内しますね」
(し、シャンプー……っ!?)
聞いてねえよ!!
動揺しながら連れていかれた先にあったのは、まるで医療機器みたいな椅子。
案内されるままに座り、頭を倒される。そして――
「お湯加減、いかがですか?」
(なんか耳がくすぐったいっっっ!!)
やばい、死ぬ。シャンプーの指が優しすぎて、眠くなるどころか逆に緊張で吐きそう。
こんなに近距離で他人に触られる…しかも女の人になんて、いつ以来だよ。
「力加減、もっと強めの方が好きですか?」
「うっ……えっと……あの……はい……?」
(好きってなに!?なんでそんな聞き方するの!?)
顔真っ赤にしながら、なんとかシャンプーを乗り越えた。
カット中も、ずっと緊張してた。 けど、鏡の向こうの自分が、少しずつ“普通の男子高校生”っぽくなっていくのがわかった。
「ふふっ、すっきりしましたね」
仕上げを終えた美容師がそう言った。
お会計を済ませ、店を出ると――
「……おい」
一ノ瀬が、俺の顔を見て、ニヤリと笑った。
「マジで“別人”じゃん」
「そ、そんなわけねぇだろ……」
でも、わかる。自分でもちょっと、驚いてる。 鏡に映った“俺”は、前よりずっと、目つきが明るくなっていた。
自信……まではまだ遠いけど、恥じてない顔だった。
「明日から、少しモテんじゃね?」
「うるせぇよ……」
けど、ちょっとだけ期待してしまった自分が、いちばんキモい。
夜。帰宅後、母親が驚いた顔をして言った。
「……あんた、どうしたの? なんか、ちゃんとしてるじゃない」
「別に……」
でもなんだか嬉しくて、部屋に戻ってからもずっと、鏡を見ていた。
人は、変われるのかもしれない。
――少なくとも、俺は。
誰かの“興味本位”っていう始まりでも、こうして歩き出せてる。
それだけで、今は少し誇らしい。