第5話「“はじめて”が、いちばん難しい」
次の朝。
目覚ましが鳴る30分前に目が覚めた。
緊張と興奮と、少しの不安で、なぜか寝てる間もソワソワしてた。
今日から「朝のスキンケア」開始。
一ノ瀬に「夜だけじゃダメだ」と言われたからな。言い方ムカつくけど、たぶん正論。
鏡の前。洗顔フォームを取り出し、昨日ネットで調べた通り泡立てようとするけど――
「……泡、しょっぺえな……」
手のひらに広がる泡は、どう見ても“失敗作”。
指の間から落ちていくそれに、なんかもう心折れそうになる。
それでも諦めず、何度かやって、ようやくそれっぽくなった。
顔を洗って、化粧水、乳液。昨日買ったコットンが水を吸いすぎてびしょびしょになるけど、もう気にしない。
……やりきった。
朝日が差す鏡の中、相変わらず太ってて、ニキビもあるけど――
昨日より、ほんの少しだけ、“自分”を大事にしてる気がした。
「……なんだこれ、ちょっと気持ち悪ぃな」
思わず苦笑いして、マスクをつけた。
◇
学校。
相変わらず教室の空気はうるさくて、俺は後ろの席に縮こまる。
けど、今日は――なんとなく、いつもと違う。
「お、今日も来たじゃん」
一ノ瀬が、いつも通りチャラく声をかけてきた。
「来ない理由ねーし」
「ふーん、じゃあその顔見せて?」
「は?」
「マスク外せ。確認させろって、昨日の成果を」
「……バカか。恥ずかしいに決まってんだろ」
「はいはい、じゃあ無理やり――」
「やめろおおおおおおっ!!」
俺は反射的に椅子から立ち上がって、机ごとガタンと揺らした。
教室中が一瞬静かになる。
やべ。
やっちまった。
目の前で、一ノ瀬は肩を震わせて――
「……ぷっ……ははっ、なにその必死さ。マジうける」
「うるせぇ!!」
……でも、怒ってるのに、こいつの声を聞くと安心するの、なんなんだろ。
「でもまあ、よく頑張ったな」
一ノ瀬は、俺の耳元でこっそり囁いた。
「昨日より、ちょっと“人間”っぽくなった」
「人間ってなんだよ!」
「褒めてんだよ、豚」
「どこがだよ!!」
教室のざわつきも、視線も、全部どうでもよくなる。
……不思議と、悪くなかった。
◇
昼休み。
俺は机に突っ伏してパンをかじってた。
けど、そのとき――
「ねぇ、スキンケアって、何使ってる?」
突然、クラスの女子が話しかけてきた。
「えっ……? えっ……俺、ですか?」
「うん。ちょっと肌、前より落ち着いてない?」
「え、あ、う、うん……あの、その、ドラッグストアで……」
――パニックで死ぬかと思った。
でも、女子に話しかけられるなんて、いつぶりだろう。
もしかして、はじめてかもしれない。
「ふーん、そっか。頑張ってるんだね、なんかちょっと見直したかも」
ニコッと笑って、その子は戻っていった。
……え、なに今の。
幻?
夢じゃない?
「おい、モテてんじゃん」
一ノ瀬が、わざとらしく肩をポンと叩いてきた。
「まさかの色気出てきた?」
「う、うるせぇ……」
顔が熱い。汗が出る。脇が痒い。……これ、緊張か。
「じゃ、明日は髪型、なんとかしよっか」
「……また金かかるのか?」
「当たり前でしょ? 美は、課金ゲーだよ?」
「クソゲーすぎんだろ……」
でも、俺は――
きっと明日も、一ノ瀬に会いに来る。
この変化は、まだ誰にもわかんねーけど、
自分だけは、ちゃんと感じてる。