第3話「お前、変わる気あるの?」
翌朝。教室のドアを開けた瞬間、クラスメイトのざわめきが一瞬止まった。
「……え?」
俺の耳にかすかに聞こえたその声は、俺に向けられたものだった。
――たぶん、髪の毛のせいだ。
昨夜、風呂上がりのテンションのまま、100円ショップのクシで丁寧にドライヤーを当てた。
いつもはボサボサだった前髪が、今日はわりと整ってる。無造作だけど意図的な感じ。……になってたらいいなと思った。
ただ、それだけなのに。
クラスメイトの視線が、いつもよりちょっとだけ……長く、こちらに留まる。
「見て……神原じゃない?」
「え、髪……え、なんか違くない?」
――やめろよ、見んなよ。気づくな。
と思う反面、少しだけ“気づいてほしい”自分がいるのも、否定できない。
「おはよ、神原」
いきなり名前を呼ばれた。心臓がドクンと跳ねる。
教室の空気がまた、ぴたりと止まった気がした。
「い、一ノ瀬……?」
「それ」
一ノ瀬は俺の髪を指差した。
「昨日よりマシじゃん。やればできんじゃん」
「はあ!? べ、べつにお前のためにやったわけじゃ……」
「いや、俺のためにやってよ」
ふざけたように笑いながら、けれどその目は、意外とまっすぐ俺を見ていた。
「お前、変わる気あるの?」
「…………」
その言葉は、冗談みたいに軽いのに、心の芯に刺さった。
「変わる気があるなら、協力してやってもいいけど?」
唐突に突きつけられた言葉に俺は聞き返してしまった。
「協力……?」
「うん。俺、わりとセンスあるし。人間って、見せ方次第で変わるからさ」
「……なんだよ、それ。お前、俺で遊びたいだけだろ」
「それもあるけど?」
一ノ瀬は、悪びれもせずに言った。
「正直、お前みたいなやつ、変わったら一番面白いだろ」
ひでぇ。けど、嘘は言ってない顔だった。
こいつは本当に、やばい奴だ。人をからかって遊んでる。
「……じゃあさ、変わったらどうなんだよ。俺が“マシ”になったら、どうする?」
「そりゃ……」
一ノ瀬は、少しだけ視線をそらしてから、ニヤリと笑った。
「好きになっちゃうかもね?」
「……バカじゃねぇの」
「ははっ、冗談だって」
そう言って笑ったくせに、少しだけ頬が赤かったのは、俺の目の錯覚だったんだろうか。
◇
その日の昼休み。
「まず、肌環境を見直すとこからだな」
一ノ瀬は俺の机に自分の弁当を置きながら言った。
「お前の食ってるカップ焼きそば、脂質と塩分がエグいから」って。
「いちいちウルセェな」
「いいから。今日から俺のアドバイス、全部従え」
「は?」
「逆らったら、お前の黒歴史、晒すぞ?」
「おい待て、なに知ってんだよ!」
「……ふっふっふ。SNS漁ったら、いろいろ出てきたぞ?」
悪魔かコイツ。
その後、一ノ瀬は俺のスマホを奪って「メンズスキンケア 初心者」とか「おすすめ洗顔フォーム」とか検索履歴を埋めていった。
「まずこれ。朝と夜、ちゃんと洗顔して」
「めんど……」
「……逆らったら晒す」
「くっ……!」
◇
帰り道、今日も俺は一ノ瀬と一緒だった。
もう一人で帰ってた時間は、ずいぶん昔のことのように感じる。
「明日、駅前のドラスト寄るぞ。スキンケア用品、買わせるから」
「は? なんでお前が決めんだよ」
「変わりたくないなら帰れ。変わりたいなら黙ってついてこい」
その言い方に、またドキッとする。
別に、好きとかじゃない。
けど、俺にこんなふうに関わってきたやつは、今までいなかった。
しかも、こいつはただの優しさでやってるわけじゃない。
どこかで、俺のことを“面白がって”る。
それが腹立たしくて、なのにちょっとだけ……うれしいのが、くやしい。
「……じゃあ、付き合ってやるよ」
気づけばそう呟いてた。
「ん?」
「明日、付き合ってやるって。駅前だろ」
「おっ。やっとその気になってきた?」
一ノ瀬の顔が、ほんの少しだけ……嬉しそうに見えたのは、俺の錯覚じゃないと思う。