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侍女頭のファリナ


 朝というのは一番忙しい時間帯だ。

 水汲み、食事の仕込み、掃除に洗濯。それが終わると庭仕事に、馬の手入れ。暖炉の煤払い、買い出しや荷物運び。ベッドメイキング、洗濯物を取り込んで、皿を洗って、金切り声でラティアを呼ぶ義母や妹の命令を聞いて──などなどしていると一日が終わる。

 伯爵家では、ラティアは誰よりも早く起きて誰よりも遅く寝た。

 地下室の隅でうずくまって浅い眠りにまどろんでいると、すぐに朝が来る。そんな毎日だった。


 常に空腹で、常に孤独だった。叱責や、叱責の後の仕置きの痛みに怯えていた。

 こんなに体が軽いのは、久々だ。


「ケーキ、美味しかったな……おおきなエビも、それから、お肉も」

『それはよかった。ラティア、元気そうで僕は嬉しい』

「ルクエは姿が見えない間、どこにいたのですか?」

『眠っていた。君が力を使うまでは、目覚めないと決めた。君が力を使ったから、僕は目覚めた』

「はじめて、力を使いました。助けたい方がいたからです。その方と、約束しました。その方のためにしか、私の力を使わないことを」

『君はよい人間と出会った。たった一人を癒やすぐらいならば、君の命は削られない。かつての触癒の乙女たちは、そうはいかなかった』

「多くの人を癒やしたのですか」

『そのように記憶している』


 廊下を歩きながらそんなことをルクエと話していると、目の前から慌てたように昨日ラティアの世話をしてくれた侍女がやってくる。


「ラティア様! どうされました、こんなに早くに! 何かありましたか!?」

「おはようございます」

「おはようございます、ラティア様」


 ラティアが丁寧に礼をすると、侍女も礼をしてこたえてくれる。

 ラティアよりも少し年上の侍女だ。甘栗色の髪を綺麗に結っている、美しい青空のような瞳が美しい、細く背の高い女性である。


「昨日はご挨拶もできずにもうしわけありませんでした。ラティアともうします」

「知っておりますよ、ラティア様。閣下の命の恩人のラティア様ですね」

「昨日、公爵閣下よりヴァルドール家の下働きというお仕事をいただきました。ですが、なにぶん勝手がわからないものですから、ひとまずは着替えをして調理場に手伝いに行こうかと考えていました。今日からよろしくお願いします」

「え……っ、えぇ……!?」


 女性は驚き、それから周囲を見渡して、「失礼します、ラティア様」と、ラティアの手を引いて近くの部屋へと入った。


「ラティア様、閣下はあなたに下働きをしろと言ったのですか?」

「はい。下働きです」

「……まさか。伯爵家のご令嬢にそんなことを言うなんて」

「何もしなくていいと、ヴァルドール閣下はおっしゃいました。ですが、そういうわけにはいきません。私も助けていただいた立場です。少しでも働きたいのです。あまり役には立たないかもしれませんが、掃除や洗濯ぐらいはできます。動物の世話もできます。食事の仕込みのお手伝いも」

「……ですが」

「お願いします。ただ何もせずに家に置いていただくことはできません。下働きという立場を与えていただいた以上、働かせていただきたいのです」


 女性はしばらく困ったように眉を寄せていた。それから、「わかりました。私は侍女頭のファリナといいます。ラティア様、まずはお着換えをしましょう」と言った。


 ファリナに連れられて、ラティアは侍女の支度部屋に向かった。


「ところでラティア様。その子犬は、一体」

「見えますか?」

「はい。見えます」

「私以外には見えないのかと思っていました。この子は、ルクエといいます。私の魔力でできている犬だそうです」

「魔力で、犬を……? そのようなことができるのですね、はじめて聞きました。ヴァルドール家で魔法を使えるのは、閣下のみです。閣下は戦いの時にしか魔法を使いませんから、あまり魔法に馴染みがなくて。それにしても可愛いですね……あぁ、背中に翼が……」

「触りますか? ルクエ、いいですか?」

『……あまり、触られるのは。得意では、ない』


 ファリナには、ルクエの姿は見えている。だが、声は聞こえていないらしい。

 少しだけ嫌そうにルクエが言う。だがファリナはルクエを抱きあげると、両手で優しく抱きしめた。


「あぁ、ふわふわ……なんて可愛いのかしら!」

「ファリナさんは、犬が好きですか?」

「私、小動物に目がないのです。可愛いです、ラティア様。背中の翼がぱたぱたしていますね。ふわふわですね。まるで綿菓子みたいです」

「わたがし……?」

「お菓子ですね。お祭りの時に売られます。今度食べましょうね、ラティア様」


 ファリナはルクエを抱きあげたまま、離そうとしなかった。

 ルクエは『僕たちは尊ばれてきた。神獣とも呼ばれている。犬といわれたのははじめてだ』と、不本意そうに言っていたが、無理やりファリナの腕から逃げ出そうとしなかった。


 侍女の支度部屋で、ラティアは洋服がけに沢山かけられている侍女服から自分に合うものを選び、てきぱきと寝衣を脱いで着替えた。

 清潔なお仕着せに着替えて、髪を整える。それから、姿見で自分の姿を確認した。


 こうして自分の姿を見るのも、いつぶりだろうか。

 銀の髪に青い目をした、在りし日の母にどこか似ている女の姿が鏡に映っている。


「ファリナさん、ありがとうございます。準備ができました」

「お手伝いをしようと思っていたのに……着替えが早いですね、ラティア様」

「一人で大丈夫です。私のことは、下働きの一人として扱ってくださると、ありがたく思います」

「……わかりました。では、家に飾るための花を、庭に切りに行きましょう」

「はい! できるだけご迷惑をかけないようにします。何でも言ってください」


 ファリナは困ったような、悲しそうな表情を浮かべた。

 だがすぐに切り替えたように「閣下の食卓に、花を飾りましょう」と微笑んだ。



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