ラティアの新生活
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誰かに呼ばれている気がして、ラティアはぱちっと目を覚ました。
侍女たちに促されるままにベッドに入ったラティアは、働きもしないで就寝することにもうしわけなさを感じていたものの、満腹感とまだ残る疲労感が重なりすぐに寝入ってしまった。
『ラティア。久しぶり』
「……まるくて、しろい、ふわふわの……」
目を開いたラティアは、自分の上にのっている白いものに気づいた。
それは白い子犬だ。毛玉のようにふわふわしている。そしてその背には、小さな翼がはえていた。
黒々とした目が、ラティアを見つめている。
早朝の光が子犬をどこか神々しく照らしていた。
その子犬を、ラティアは知っている。幼い時、母にもう話をしてはいけないと言われたラティアの友人。
いつの間にか傍にいて、いつの間にかいなくなってしまった──ラティアに触癒の力について教えてくれた子犬だ。
「しろいふわふわの……!」
『そうか。君は僕に、名をつけなかった』
「ごめんなさい、ふわふわさん……お母様にあなたと話してはいけないと言われて」
『そうだね。知っている。だから、君から離れていた。そうするべきだと、考えていた』
涼し気な、幼い少年の声でその犬は言う。
言葉は、ラティアの頭の中に直接響いているようだ。犬の口が動いて話をしているわけではない。
「あなたは、誰ですか?」
『僕は、女神の御使い。君の母に神託を与えていたものと同じ』
「お母様にも、しろいふわふわさんが……?」
『いたはずだ。でも、君の母は力を失い、御使いを顕現させることもできなくなった。君の母は僕たちを疎んだ。君の母は僕に言った。どうかラティアの傍に近づかないで、と。見えてもいない、話すこともできないけれど、存在は知っていたはずだ』
ラティアは起きあがり、犬を抱きあげた。まるで、雲をつかんでいるように軽い。
ふわふわの体毛の感触はあるが、温度は感じなかった。
『ラティア、名が欲しい』
「……名前がないのですか?」
『ない。僕たちは、女神の御使い。女神の力を与えられた君や君の母の魔力から生じるものだ。女神リーニエは僕たちを白い妖精と呼んだ。僕たちには、それぞれの名がない』
「……ルクエとは、どうでしょうか。光る白いものという意味です」
『ルクエ。よい名だ。ありがとう』
「ルクエはどうして、私の傍に? お母様も私も、リーニエ様の力を与えられたのですか?」
『そう。それは、特別なもの。かつて女神は、大神官セルジュに護国の祝福を与えた。その力が、セルジュの血筋である君たちに現れている。神託を受け、魔力をわけあたえる。天候を操り、国を栄えさせる』
ラティアには神託を受けることも、天候を操ることもできない。
魔力をわけあたえるのが、ラティアの力だ。そしてその力は今、アレクシスのためにある。
「特別な力に、感謝を。ヴァルドール公爵閣下の役に立てます」
『ラティア。君に伝えることがある。だから、こうしてまた、君の傍に』
「はい。なんでしょうか、ルクエ」
『触癒の力は、身を削る。君の母がそうであったように、力を使いすぎると、命を失う』
「お母様も……?」
『君の母は、病死をした。だが、あれは定められた天命だった。力を使いすぎて命が短くなってしまった。女神リーニエの力とは、犠牲の力だ』
犠牲の力──と、ラティアは心の中で繰り返した。
このことは誰にも言わずに黙っていようと、ラティアは思う。
それを伝えたらもしかしたら、誰かがラティアに力を使うなと言うかもしれない。
今のラティアはアレクシスの専属魔力回復係だ。彼の役に立つと決めた。
どのみち、アレクシスがいなければラティアは死んでいた。
それは魔竜に喰われていたからかもしれないし、伯爵家で酷い扱いを受けて衰弱死していたかもしれない。アレクシスと出会わなければ、ラティアはこうしてぬくぬくと柔らかいベッドで眠ることもなかったはずだ。
「教えてくれてありがとうございます、ルクエ」
『僕は君の傍にいる』
「はい。ルクエ、今まであなたをほうっておいて、ごめんなさい。寂しかったですね」
『……別に、寂しくなどない。僕たちは、ただの魔力から生じたものだ』
ラティアはルクエをわしわしと撫でた。
それから元気よくベッドから降りて、大きく伸びをした。
「さぁ、今日から頑張りましょう。公爵家の下働きとして、少しでも役に立たなくてはいけません」
アレクシスは何もしなくていいと言っていたが、そういうわけにはいかない。
ラティアは寝室から出ると、きょろきょろしながら迷路のような公爵家の廊下を進んでいった。
ルクエはラティアの足元を、音もたてずについてきた。




