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ヴァルドール家からの使者


 ◆


 フィオーレ伯爵家のタウンハウスの応接間に、ヴァルドール家の執事を名乗る男がやってきたのは、魔竜の襲撃から命からがら逃げた翌日のことだった。

 あの日、レイモンドの娘がいなくなった。


 魔竜に喰われたのだろう。不運な娘である。

 レイモンドはラティアを憎んでいたわけではない。父のいいつけでシャルリアという年増の巫女と結婚をすることになった。

 シャルリアは長年祭祀の巫女として大神殿で働いていた。

 

 祭祀の巫女というのは、祝典の日に女神リーニエからの言葉を聞いて人々に伝える役割を担うものである。

 いわゆる神降ろしという。特別な力だ。

 いい予言も悪い予言もあった。たとえば旱魃。災害。争乱など。

 たとえば豊穣、王家の繁栄など。


 シャルリアは己の体を触媒にし、女神の声を聞いていた──という。

 レイモンドはそれを信じていなかった。大神官家がそうだと主張すれば、皆が信じる。

 女神の声だと言い張れば、国さえ支配することができてしまう。

 熱心なリーニエ教の教徒である父の前ではとても口にできなかったが、シャルリアについてレイモンドは『詐欺師』だと考えていた。


 そのシャルリアは、三十歳を前にして力を失ったらしい。

 長年の体の負担に限界が来たのだろう。これからは巫女様ではなく人として穏やかな人生を生きて欲しいと父は言い、シャルリアをフィオーレ伯爵家で引き取ると名乗りをあげた。

 つまり、息子の嫁にするということだ。


 王国の常識で考えれば、二十九歳など年増である。子供も一人つくることができればいいといったところだ。

 まだ二十歳になったばかりだったレイモンドは、およそ十歳も年上のよく知らない女を妻にすることについて反感を持った。


 シャルリアを引き取るだけ引き取って、父は満足したのか死んだ。この時すでに病気を患い、余命いくばくもなかったのだが、シャルリアの結婚を見届けるまではと気力だけで生きていた。


 そんなにシャルリアが大切ならば、お前が結婚しろ──と、レイモンドは思った。

 夫婦としての義務は果たしていたが、レイモンドからしたらシャルリアはひどくつまらない女だった。

 信心深く、祈ってばかりいる。文句も言わず口数も少なく、地味で──ともかく、レイモンドはシャルリアが気に入らなかった。

 父の身勝手で決められた結婚のせいで、はじめからシャルリアのことが好きではなかったのである。


 そんな時、マデリーンに出会った。

 彼女は若く可憐で美しく、レイモンドはすぐに夢中になった。

 レイモンドは別宅にマデリーンを囲い、家には帰らなくなった。娘が生まれたが、顔もほとんど見ていない。それでも離縁できなかったのは、シャルリアが大神官家の娘だったからだ。

 リーニエ教では、離縁は許されていない。愛する者は生涯一人きりだと決められているのである。


 シャルリアが死に、マデリーンと二人の子を連れてレイモンドは伯爵家に戻った。

 マデリーンはラティアを嫌っていた。シャルリアによく似ている。

 あの顔を見ると、女神リーニエに責められているような気がしてくる。

 シャルリアの怨念が残っているのだと、マデリーンは怯えた。そしてラティアを地下室に閉じ込めた。


 恐怖は怒りに変わり、マデリーンはラティアを攻撃するようになったが──レイモンドは放っておいた。興味がなかったのだ。仕事が忙しかったということもあるし、ラティアがどうなろうとどうでもよかった。

 

 そんなことよりもレイモンドにとってはマデリーンの機嫌がいいということのほうが大切だった。

 だからラティアがおそらく魔竜に喰われて、ほっとしていた。


 これでラティアという存在について、悩まなくて済む。

 そのうちどこかの金持ちの後妻にでもしようかと考えていた。

 娼館に売り払ってしまってもよかったが、万が一それを神官家に知られたら面倒なことになる。

 どのみち、扱いにくい。目の上の瘤のような存在だった。


「主からの手紙を届けにまいりました。あなたの娘、ラティア様について書いています。ご確認をお願いします」


 金の髪をした細い目と、常に笑っているような表情が特徴的な男が、平坦な声音で言う。

 ヴァルドール家がどうしてと驚愕しながら、レイモンドは手紙を開いた。


 そこには、ラティアを雇いたいというようなことが書いてあった。


「何故、ヴァルドール公爵家がラティアを!?」

「詳しいことは僕にもわかりかねますが、非常に美しいお嬢様ですから。閣下も、紅の災厄と呼ばれているとしても一人の男です。一目惚れということではないでしょうか」

「まさか。そんなことがあるわけがない。使用人として雇うのだろう?」

「ゆくゆくは妻にと、思っているのかもしれません。そうでなければ、これほど横暴なことはしません。それに、どうやら伯爵家ではラティア様を……使用人の鼠、と、呼んでいたとか」

「そんなことは知らん。ラティアが自分で言ったのか?」

「いいえ。ラティア様は何もおっしゃっていませんよ。少し調べればわかることです。そのような家にラティア様を置くことはできません。ですので、早々に公爵家で引き取らせていただきたい、というわけです」


 これは提案ではなく、決定事項。それを知らせに来ただけだと執事の男──シュタルクは言う。

 

「金が必要でしたら、後日金額をご提示ください。では、失礼」


 そう告げると、シュタルクは帰っていった。

 レイモンドはどうするべきかわからずに、しばらく唖然とその手紙を眺めていた。

 

 そこに、騒ぎを聞きつけたのだろう。マデリーンとエストが現れる。


「どうしてあの鼠がヴァルドール閣下の元に!?」

「こんなのおかしいです、お父様。ヴァルドール様と言えば、おそろしい血の魔法を使う方と言われています。ですがその美貌に憧れる者も多いのです。どうしてお姉様なのですか、私ではなく……!」


 どうしてと言われても、それを聞きたいのはレイモンドのほうだ。

 道端に倒れていた薄汚れた鼠をアレクシスが救ったというのが、まず、意味がわからない。

 その上、ヴァルドール家で引き取るなど。

 

 レイモンドは眉間に皺を寄せて、小うるさいマデリーンたちの声を聞き流しながら、しばらく手紙を睨み続けていた。



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