我儘を言う権利
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アリーチェの家から出て馬車に乗り込むと、アレクシスは長い足と腕を組んで何かを考えこむようにしていた。
ラティアはルクエを膝の上に乗せて、同じく俯き考えこんでいた。
「ラティア」
「あの」
馬車が走り出してしばらく、ほぼ同時に声をあげる。
ラティアは慌てて口を噤み、アレクシスは何事かというように片眉を吊りあげた。
「どうした?」
「い、いえ、なんでもありません」
「考えていることや、したいことがあれば言え。それはお前の有する権利だ。私はそれを否定……するときもあるだろうが、話しは聞く。お前はもっと、要求を口にしていい」
そこでアレクシスは一度言葉を区切り、「私から離れたい、ということ以外は」と付け加えた。
もちろんラティアは、アレクシスの元から離れるつもりはない。
彼がラティアを必要だと思ってくれている限り、共にいたい。
「お前は……私の言葉には全て従いたいと言っていた。私はお前を私の支配下においたつもりはない。もっと、我儘を言っていい。したいことを、欲しいものを、私に言え。お前は私の命を救ったのだ。その権利がある」
「……旦那様、ありがとうございます」
「それから。……その、旦那様という呼び方だ」
「はい。いけませんでしたか」
「名で呼べ。呼び方も、いけない。お前と私の立場は対等なものだ。私はお前を強引に私の傍に置いているが、お前の自由を奪いたいわけではない。ただ……お前を守りたいだけだ」
ラティアの頬に朱が差した。ルクエを抱きしめる手に力が籠る。
視界がぼやけるのは泣きそうになっているからだ。涙がこぼれないように、強引に笑顔を作る。
「……アレクシス様」
「あぁ、ラティア」
こんなにたくさん名前を呼んでもらえるのは、母が亡くなってからというもの、はじめてだ。
単調な低い声が、それでも優しくラティアと呼ぶ。それだけで、自分に価値があるようにラティアには思えた。
「それで、何を言おうとしていた?」
「アレクシス様は、何を?」
「たいしたことではない。お前が、先に」
「……はい。ジルバ様は疫病が流行っていると言いました。病に臥せっているのは、ロザリアさんだけではないのだと思います。私の力で、彼らを癒やさなくてはいけません」
「顔も名前も知らない、お前の人生に関わらない者たちを癒やす必要があるのか?」
「アレクシス様も同じです。顔も名前も知らない人々を、その力で守ってくださっています」
「私にはその義務がある。その力があるからだ」
「では、私も同じです」
アレクシスに迷惑をかけたくない。だから──場合によっては、彼の元を去るべきだとラティアは考えて、しばらくの間何も言わずに悩んでいたのだ。
アレクシスの負担にはなりたくない。彼はラティアが触癒の巫女だということを隠そうとしてくれているのに、ラティアはその秘密をさらけ出すような行為をしようとしている。
それでも、助けられる人がいることをわかっているのに傍観していることはできない。
リーニエの力を与えられたということは、リーニエに変わり人々を助ける役割を与えられたということだからだ。
「アレクシス様のご迷惑に、なりたくありません。私は……」
「迷惑などと思ってはいない。わかった。どうにかしよう」
「どうにか?」
「あぁ。お前だということを知られなければいい」
屋敷に戻ったあと、アレクシスはヴァルドール家で雇った優秀な治療師が、魔竜が運んできた疫病を癒やすことができるという知らせを王都中に広めた。
これは、号外を発布することが一番手っ取り早い。新聞社に掛け合いそれを行うことは、ヴァルドール家の財力であれば簡単に行うことができる。
誰でも無料で治療するという情報を得た町の者たちは、ヴァルドール家に行列を作った。
市民の中にも、魔法として発現することはできないがその血に魔力が混じる者は多くいるのだ。
ラティアは行列を作る人々を、治癒していった。
顔を白いヴェールで隠し、『治療師エヴァ』と名乗った。その手に触れ、魔竜の瘴気に乱された熱にうなされる者たちの魔力を正常に整える。
すると、熱はすぐにさがり、苦しんでいた者たちは元気を取り戻した。
患者の家族はラティアに、そしてその隣に立つアレクシスに何度も礼を言った。
彼らの瞳には、紅の災厄に対する怯えはない。彼らの瞳にアレクシスは、魔竜を討伐してくれたあげく、疫病を癒やしてくれた救世主として映っていた。
「……っ」
最後の患者を治療し終えると、ラティアの体はふらりと傾いた。
それをアレクシスが抱きとめる。
体から、魔力がすっかり損なわれている。ルクエが『頑張りすぎだよ』と、咎めるように呟いた。




