変わるもの、変わらないもの
アリーチェは仕事の途中だったが、アレクシスが「娘が急病だ、医者に連れて行く」と学園の受付に伝えて早退の了承を得た。
受付の女性は青ざめながら何度も首を縦に振っていた。それから「先日は魔竜の群れを討伐していただきありがとうございました」と、振り絞るような声で礼を言う。
表情を変えずに「あぁ」と一言だけ返事をするアレクシスの隣で、ラティアはにこにこしながら「旦那様はすごいですよね」とアレクシスを称賛した。
アレクシスは無言でラティアを撫でたあとに、アレクシスたちの帰りを待っていた馬車へと向かう。
「閣下はラティア様をとても大切になさっているのですね」
「旦那様は、優しい人ですよ。私にだけではなく、たぶん、皆に」
「そうでしょうか。少し、うらやましいです。私は……誰にも大切にしてもらえませんでした」
「アリーチェ様……」
どこか遠い目をして、ラティアの隣を歩くアリーチェが呟く。
けれどすぐに気を取り直したように、ぶんぶんと大きく首を振った。
「今のは、少し言い過ぎでした。母は私を愛してくれました。そして私は、ケンリッドとの子ですが、ロザリアを愛しています。羨んでいる場合ではありません」
「アリーチェ様は強い人です。でも……誰かに頼ってもいいと思うのです。頼れる人が、いるのなら。……私は旦那様に助けていただいて、頼らせていただいています。そうしなければきっと私は、今頃はすでに死んでいたでしょう」
「ラティア様に、一体何が……」
「私も、あなたと同じです。家族に恵まれず、居場所を失っていました。私の家族はジルバ様のように、反省をしたり、私に愛情を向けてくれたりはしません。たぶん、きっと」
ジルバは目立たないように、人の目を忍んで隠れながら先にアレクシスの馬車へと向かった。
彼は必死なのだ。アリーチェのために国王の命令を違反してまでケンリットを攻めた。
そしてアレクシスと戦い、今は、変装をしてまでアリーチェに会いに来ている。
「許せとはいいません。ですが、悲しんだ分、頼ってしまっていいと思うのです。ジルバ様はきっと、アリーチェ様やロザリアさんを支えてくれます。一人きりで頑張り続けなくてもいいと、思います。アリーチェ様やロザリアさんが、幸せになるために」
「私たちが、幸せになるために……。そういえば父は、おかしな格好をしていました」
「あれは、風船売りに変装しているようですよ」
「自尊心の強い父があんな姿をするなんて……それに、私に謝っていました。こんなことは、はじめてです」
「はい。……一生懸命なのだと思います」
アリーチェは静かに頷いた。彼女から怒りが消えて、その表情はロザリアを案じるものに変わっている。
ヴァルドール家の馬車が見えてきた時、ふとアレクシスが足を止めた。
制服を着た女生徒が、アレクシスへと──いや、ラティアへと駆けてくる。
それは、エストだ。久々に見る彼女の姿に、ラティアは身構えた。
「お姉様っ、お姉様ではありませんか! あぁ、よかった、生きていたのね……!」
「え、エスト、さん……」
潤んだ瞳でエストがラティアを見つめる。両手をぎゅっと握り締められて、ラティアはしどろもどろに彼女の名前を呼んだ。
エストに会うのは数週間ぶりだ。ラティアの記憶の中のエストはこんな態度をとるような人間ではなかった。
ラティアがいなくなったことで、彼女の中の何かが変化したのだろうか。
例えば、アリーチェの不幸を知ったジルバのように。
「魔竜が王都に現れた日、お姉様がいなくなって、お姉様はきっと魔竜に食べられてしまったのだと思い悲しんでいたのです。その後、ヴァルドール様が保護をしていると聞いて安心しました。無事だったというのに、フィオーレ家に戻らないなんて」
「それは、その……」
「どうかフィオーレ家に戻っていらしてください。父も母も弟も、お姉様が突然いなくなってしまって心を痛めています。お母様はお姉様の嫁ぎ先も選んでいらっしゃったのですよ! それなのに、育ててもらった恩を忘れたような行動をなさって、酷いではありませんか」
エストが大きな声を出して騒ぐので、他の生徒たちが何事かと近づいてきている。
馬車の中にはジルバがいる。それに気づかれるのはよいことではない。
ラティアが口を開こうとすると、その前にアレクシスがエストの腕を掴んで捻りあげた。
「痛っ! ヴァルドール様、何をなさるのですか!? なんて、乱暴な……!」
「黙れ、女。お前の父とはすでに話をつけてある。ラティアは私が預かっている。最早、お前の家とは無関係だ。気安く話しかけるな」
「横暴ではありませんか……! お姉様はシャルリア様の子です、そんなお姉様をぜひ妻にと望む男性は多いのですよ。ヴァルドール閣下、妻が欲しいのでしたら私があなたの妻になってあげてもいいですよ。お姉様はいけません」
「ふざけたことを。その心臓を血の刃で貫かれたくなければ、余計なことを言わずに立ち去れ。ラティアは、私のものだ」
アレクシスはエストの捻りあげた手を放り投げるように手放した。
エストはふらりとバランスを崩して、地面にへたり込む。
彼女を助け起こそうとしたラティアの手を、アレクシスは握る。そして何も言わずにラティアを馬車の中に強引に押し込んだ。
ラティアはどうしていいかわからずに、アレクシスに従っていた。
アリーチェが「あなたは、フィオーレ家の娘さんだったのね」と、小さな声で呟いた。




