魔竜の群れと、血の魔法
◆
アレクシス・ヴァルドールは部下たちを引き連れて王都に訪れていた。
それは先の内乱平定戦の、王への戦勝報告の帰路である。
ルミナ―ル王国の貴族たちは、多かれ少なかれ魔力を持っている。それは貴族だけの特権──と、貴族たちは思い込んでいる。だが、実際には在野にも魔力持ちはいる。
貴族階級の者たちは、それを見ないようにしているだけだ。
常に魔竜という脅威にさらされているルミナ―ル王国では、貴族たちは領地の防衛のために軍事力を有している。その上貴族は魔法という神秘の力を持っている。
そのため、よく内乱が起こった。
それは貴族同士の領地争いであったり、王への謀叛であったり。
アレクシスは王の忠実な配下として、その命令に従い反乱の鎮圧や国境の防衛、魔竜の討伐を行っている。
淡々と与えられた命令をこなすうちにいつしかアレクシスは『紅の災厄』と呼ばれるようになっていた。
ヴァルドール公爵家は、古くから王に仕える名門である。
その家に生まれたアレクシスは、特別な力を持っていた。
魔法の使用には、必ず触媒が必要になる。それは、炎や水や、風といった自然物。そして、宝石や鉱石、人形や無機物の場合もある。
アレクシスが特別である所以は、それが己の体の内にあるものだからだ。
それは、血である。
アレクシスは己の血を触媒とする、血液魔法の使い手だった。
『マルドゥーク伯爵の要請により戦をしかけたケンリッド侯爵家を攻め落とし、降伏させました』
玉座に座る若き王ユースティスに、アレクシスは報告をした。
彼は賢いが、体が弱い。熱を出すことが多く、その治世は長く続かないだろうと皆が噂している。
そのせいで各地の有力貴族たちが調子ついて、問題を起こす。
『元々は、マルドゥーク伯に嫁がせたケンリッドの娘を、マルドゥーク伯が捨てたのが原因だろう。後処理はこちらで。多額の賠償金を支払う程度におさまるだろうな。アレクシス、苦労をかける。お前が味方でいてくれて、よかった。お前は、俺を裏切るな』
『御意に。私の忠誠はあなたの元に』
ユースティスに報告を終えると、アレクシスは騎馬に乗り、同じく騎乗した部下たちと共にヴァルドール家のタウンハウスに向かう。
明朝には出立し、ヴァルドール公爵領に戻るつもりだった。
王都のタウンハウスで長く過ごす貴族も多いが、アレクシスはそれをしない。
領地の防衛のためだ。貴族たちからおそれられているアレクシスだが、それ故敵も多い。
それに、自領を離れている時に魔竜の襲撃が起これば、被害が出る。
もちろん領地防衛のための兵士たちはいるが、バリスタや投石、剣や槍での戦いは、魔竜相手には限界がある。
大通りの馬車道を歩くアレクシスの姿に、王都の民は深く頭をさげた。
彼らはアレクシスと目が合うと、その血を抜かれるのだと信じている。
魔力を持たない者たちにとって、魔力持ちとは恐ろしく映るものだ。
「今日はやけに鳥が多いですね」
アレクシスの隣に馬を並べている、側近のルドガーが呟いた。
アレクシスも、空を見る。
そして、目を見開いた。あれは鳥ではない。急降下してくる無数の──魔竜だ。
魔竜討伐を何度も行ってきたアレクシスだが、ここまでの数の魔竜ははじめて見る。
一匹でも小さな村など簡単に焼き滅ぼすことができる魔竜が、十以上、まるで王都の空に蓋をするように飛来してくる。
魔竜だ──と、誰かが叫んだ。
人々の悲鳴が、混乱が、先程までは平和だった往来に満ちる。
アレクシスは、銀の短剣で己の手の平を切りつけた。
「──殲滅する血槍」
切り裂いた手の平から流れる血が、アレクシスの手の平の前に魔法陣を形作る。
次の瞬間、魔竜たちの周囲に現れた無数の赤い槍が、魔竜の体を貫いて霧散させていく。
アレクシスは、体の中から急速に魔力が損なわれていくことを感じていた。
血の魔法の力は強大だ。これは、己自身を触媒にしているからである。
炎や水や、鉱石を触媒にする魔法も強力ではあるが、魔力と触媒の間にわずかばかりの拒絶反応が起こる。身の内の魔力を本来の威力で使用することが難しいのだ。
対して血の魔法は、己を触媒としているために意のままの威力を発揮できる。
その代わり、代償が大きい。
力を使えば使うほどに、血液が失われる。魔力と血、両方を失ったアレクシスは──魔竜の消滅を見届けて、馬上からずるりと落ちた。
部下たちが、慌ててアレクシスの体を抱える。
「私に、触れるな」
「ですが、アレクシス様……!」
「触れるな」
ルドガーがアレクシスの体を地面に降ろした。アレクシスは胸を押さえてうずくまる。
はぁはぁと荒い息をついた。呼吸をしているのに、肺の中が空っぽになってしまったかのように苦しい。
部下たちが魔力枯渇だと騒いでいる声が、遠くに聞こえる。
まるで、砂漠に吹きすさぶ強い風のようだと、アレクシスは思う。
意識が朦朧として、アレクシスは地面に倒れた。仰向けに転がると、晴れ渡った空が見える。
嫌味なぐらいに晴れている。目を焼かれるぐらいに眩しい陽光が、アレクシスに降り注いでいる。
このまま死ぬのかもしれないと、アレクシスは思う。
そのつもりはなかったが、それぐらい重度の魔力枯渇の状態であると、心の中のやけに冷静な自分が判断をしていた。
(まぁ、どうでもいい。十二分に働いた。贖罪は、果たしただろう)
ふと、アレクシスの視界に黒い影が差した。
薄汚れた、それでも美しい女性がアレクシスを覗き込んでいる。
視界がぼやける。唇に柔らかい何かがあたった。まるで唇から命を吹き込まれているかのように、体に力が満ちてくる。
失った血も、魔力も──空っぽの花瓶を水で満たすように、一瞬のうちに元に戻る。
いや、元に戻る以上に、溢れるぐらいに満たされる。
「……っ、これは、一体」
苦しさや脱力感、眩暈や吐き気から解放されて、アレクシスは上体を起こした。
アレクシスの目の前には、汚れた服を着た女性が倒れている。
彼女は深く瞼を閉じている。乱れた長い銀の髪が、石畳に広がっていた。
どこかの家の使用人なのだろうか。あまりよい扱いを受けていないことは、一目で知れた。
「アレクシス様、この女が突然の無礼を……!」
「……騒ぐな。無礼ではない。彼女は、私を救ったのだ。理由は、わからないが」
女性の不敬に怒るルドガーを制して、アレクシスは女性を抱きあげる。
その女性の体は、ろくに食事も与えられていないのだろうか、驚くほどに軽かった。