アレクシスの専属侍女
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アレクシスは朝が苦手である。
眩暈と共に目覚めて、唸り声をあげながらなんとか起きあがり、侍女たちによって身支度が整えられる間ずっと不機嫌な顔をしている。そのため、侍女たちはアレクシスの身支度の担当になることを嫌がった。
ごくまれに彼に下心を持つ女が現れることもあったが、数日でその淡い恋心、もしくは公爵家の権力を手に入れたいという我欲は破砕されたガラスのように粉々に打ち砕かれた。
その度にファリナは思うのである。まったく、命知らずなものである、と。
ファリナは、ヴァルドール公爵家に務めて十五年になる。ドーリス家は古くからヴァルドール公爵家に仕えている家だ。十五の時に侍女見習いになり、今は侍女頭になった。
兄シュタルクが先にアレクシスの従者となり、遅れてファリナが侍女になった。
当時──アレクシスには色々あって、言葉を交わすことも満足にできない暗い目をした子供だったことをよく覚えている。
そのアレクシスは今では立派な公爵閣下となったわけだが、根本のところで性格が変わったわけではない。
人が嫌いで、女が嫌いだ。明るい生よりも暗い死について四六時中考えているような──死に魅了されているようなところのある男である。
女に優しくするというような、紳士ではない。かといって女を横暴に扱うというような女好きでもない。
ようするに、嫌いなのだ。彼に求愛を捧げる貴族女性がいないわけではなかったが、アレクシスは歯牙にもかけなかった。常に血液不足と魔力枯渇に悩まされているのだから、それどころではないのだろう。
「ファリナ。アレクシス様は恋人の一人も作ろうとしない。ヴァルドール家の血筋はアレクシス様しか残っていない。そして貴重な血液魔法の使い手もアレクシス様しかいないというのに」
「そうはいっても、兄上。近くに侍る侍女たちをまるで路傍の石か何かを見るように見て、声さえかけないような人ですよ。もう二十七歳になるというのに。結婚の打診も全て断っているのでしょう。国王陛下のご命令でさえ、拒絶するような人です。とても難しいのでは」
ファリナの兄シュタルクは、いつも柔和な微笑を絶やさない男である。
そしてファリナもまた、兄に似ている。怒っていてもいつも笑っているような表情のせいで、一部の侍女たちには怖がられている。兄妹揃って話をしていると、悪だくみをしているように見えるらしい。
そんなことは、ないのだが。
因みにドーリス兄妹は年齢不詳だと評判だ。兄が三十五歳、ファリナが三十歳だと言うと皆に驚愕される。ともすればアレクシスよりも年下に見えるらしい。
アレクシスが老けて見える、という意味ではなく。
「たまに来る野心家の女に期待をしているのだが、今回も失敗だったようだね」
「それどころか、皆が二日を待たずにアレクシス様の世話を嫌がります。寝起きが一番不機嫌ですからね」
「僕も朝食を終えるまでは声をかけないようにしている。触らぬ神に祟りなし、というだろう」
体調不良からくる不機嫌だと、ファリナもシュタルクも理解している。
だから結果的に、アレクシスの身の回りの世話はファリナの役目になっていた。
とはいえファリナは忙しい。侍女頭として、新しい侍女の面接や雇用、仕事の振り分けや勤務表の作成、その他諸々。ともかく仕事が多いのである。
その間に、侍女たちの不満や愚痴も聞かなくてはならない。アレクシスに横暴なことを言われたから辞めますと言いに来る者たちを宥めたり、謝罪をしたりと忙しない。
このアレクシスにされた横暴というのが、彼の傍をうるさく羽虫のように飛び回り、気に入られようと必死に自己アピールをして「邪魔だ。消えろ」などと言われたということが大半だ。
自業自得である。
そんな毎日を送っていたファリナの前に現れたのが──ラティアだった。
ラティアには触れると魔力を回復するという神秘の力があるという。
その力で、アレクシスを救った。初対面の男に口づけをしたという。しかもアレクシス相手に──という、豪胆な女性だ。
その話を、ルドガーから兄と共に聞いたファリナは驚愕していた。
誰もが怖がるアレクシスにそんなことをする女性がいるなど、想像したことさえなかった。
アレクシスが連れて帰ってきて、ファリナに世話をしろと命じた彼の恩人であるラティアは、伯爵令嬢だというのに薄汚れていて、その背には鞭打ちの跡さえあった。
なんてひどいことをと、ファリナは憤慨した。
そして──この傷ついた大人しい女性のどこに、アレクシスを救うような勇気があったのだろうと不思議だった。
ファリナのその疑問は、ラティアの世話を命じられた二日目ですぐに解決した。
「ファリナさん、すごく綺麗な薔薇です。ヴァルドール閣下の瞳と同じ、赤色を摘んでもいいですか? 食卓に飾るには少し、派手でしょうか」
「いいえ。閣下はとても気に入ると思いますよ。ラティア様、花の支度が終わったら閣下の身支度に同行していただいてもいいですか?」
「はい、もちろんです。何でも言ってくださいね」
ラティアは咲き誇る薔薇よりも美しく、そして愛らしく笑いながら、薔薇の茎を剪定鋏で切って摘んでいく。
ヴァルドール家の下働きという立場になったのだと言って、自ら侍女服を着こんで働く姿は生き生きとしていた。
知らない場所に突然連れてこられたら、普通は不安になるだろう。
そして下働きになれなどと、アレクシスに横暴なことを言われたのだ。
落ち込み、反発し、逃げ出そうと思うだろう。少なくともファリナならそうする。
だが、ラティアはこの家の中で自分で居場所を作ろうとしている。
勇気のある、強い女性だ。
だとしたらファリナは協力をしよう。アレクシスがラティアに彼女を『侍女』と言ったのだ。
妻でも、恋人でもなく。侍女、と。
「閣下は、寝起きがとても不機嫌です。朝の身支度を手伝わなくてはなりませんが、とても怖くて。ラティア様が驚かなければいいのですが……」
「きっと大丈夫です。たぶん、私は……大抵の怖いことはそんなに怖くありません」
両手に薔薇を抱えて、ラティアは微笑んだ。
彼女はどんな目に、あってきたのだろう。胸が痛む。使用人と奴隷は違う。叱責の時にふるう暴力は、指導ではなくただの暴力だ。
「とても助かります、ラティア様」
「はい。役に立てるのならば、私もとても嬉しく思います」
「ありがとうございます。ラティア様には、閣下の身の回りの世話をしていただこうと考えています」
ファリナは悲しみを表情に出さないように気をつけた。
確かにちょうど、手が欲しかった。
アレクシスの身の回りの世話をする侍女は、ファリナの他にいない。そしてその役目は、ファリナの仕事をとてつもなく圧迫しているのだから。




