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序章 ラティアと紅の厄災



 黒い鳥が、王都の上空を飛んでいる。

 霞む視界の中に飛ぶ鳥を、ラティアは幻かと思い、一度瞬きをした。

 次の瞬間、足がもつれて石畳の上に倒れていた。ぼろ布のようにうずくまるラティアを、荷馬車の上にいる男が叱責する。


「何をしてるんだ、鼠。荷運びも満足にできないのか」

「もうしわけありません……」


 小さな声で、ラティアは呟いた。空腹と疲労で体は限界を迎えていたが、なんとか立ち上がり、転がってしまったトランクを抱えなおした。

 小間使いの鼠──そう、ラティアは呼ばれている。

 ラティアはフィオーレ伯爵家の長女だ。だが、十歳の時に母が亡くなり、父は後妻を娶った。

 男爵家から嫁いできた後妻はラティアを嫌った。

 父と義母は仮面舞踏会で出会い、逢瀬を繰り返してきたらしい。ラティアも母も、彼らが愛を育む間捨て置かれていた。

 後妻は、前妻に似ているラティアの顔も見たくないと、ラティアを地下室に押し込めた。


 後妻と父の間にはすでにラティアの一つ年下の腹違いの妹と、二つ年下の弟がいた。

 義母は自分の子だけを可愛がり、父はラティアに見向きもしない。やがてラティアは義母に命じられるまま、使用人の一人になった。そうして、八年。


 フィオーレ伯爵家の者たちは、春から夏にかけては王都のタウンハウスで過ごす。そして冬の間は温暖な領地に帰る。

 冬が終わり、王国には春が訪れつつあった。フィオーレ伯爵夫妻とその子供たちは、多くの荷物を荷車や使用人たちに運ばせて、タウンハウスに移動をしている最中だ。

 

 長い冬期休暇が終わり、王都にある貴族学園の授業がはじまる時期でもある。

 腹違いの妹エストと弟ザインは貴族学園に通っている。

 ラティアは──伯爵家から王都までの道を、エストのドレスが入ったトランクを持って、ひたすらに歩き続けていた。


「お姉様、転ばないでちょうだい、間抜け。私のドレスが汚れたら、どうしてくれるの?」

「……もうしわけ、ありません」

「荷運びもまともにできないのね。本当に役立たずだわ」


 馬車から降りてきた、豪奢なドレスを着たエストが、ラティアを叱責して帰っていく。

 空腹と口渇で、叱責の声も砂漠に響く地鳴りに似た風のようだ。


 飲まず食わずでろくな休息も与えられないラティアは、気力だけで体を動かしていた。


 呼吸音が、やけにうるさく耳に響く。何かに祈るように空を見あげると──黒い鳥が、どんどん大きくなってくる。

 大きく、近く、近くに。それは、フィオーレ伯爵家の行列へと、近づいてくる。


「魔竜だ!」


 誰かが叫んだ。ラティアは大きく目を見開く。フィオーレ伯爵家の行列から護衛たちが弓をつがえ、剣を持ち、襲撃に備えた。

 黒々とした炎のようなものが、竜の姿を形作っている。


 小さな家ほどの大きさもある魔竜と呼ばれる竜の群れが、王都の空から飛来した。

 人々の悲鳴が響き渡り、義母たちを乗せた伯爵家の馬車は逃げるために速度をあげる。


 逃げ惑う人々と、馬車と、恐慌状態に陥った馬たちで、あたりは騒然となる。


「逃げろ!」

「助けて! 誰か!」


 悲鳴が、そこここであがる。 

 ラティアは足が地面に張りついてしまったように、その場を動けない。


 魔竜を、はじめて見た。それはルミナール王国全土に存在する脅威。


 各地に存在する魔力溜まりからうまれ、飢えるたびに人を喰らう。

 ルミナール王国の歴史は、魔竜との戦いと防衛の歴史である。

 一匹であれば、兵士たちにも討伐ができる。


 だが、王都の上空には、十以上の魔竜の群れが、黒く空を埋め尽くしていた。


「っ、駄目……!」


 親と逸れたのだろう。十に満たない年齢に見える少女が、ぺたんと座り込んで泣いている。


 ラティアは弾けるように走り出し、少女に覆い被さった。

 少女に向かい、魔竜が急降下してくる。

 鋭い爪が、少女を貫こうとしていた。


 ラティアは目を閉じる。

 予感していた痛みも衝撃も、ラティアの体には起こらない。


 そのかわり、耳をつんざくような獣の断末魔が王都全域を揺らすように響き渡る。


 瞼を開いたラティアは見た。

 魔竜たちが、無数の赤い槍に体を貫かれて矢を射られた鳥のように落ちていく。

 そして、黒い粒子を残して次々と消えていく。


 王都の空は、黒い粒子と赤い血飛沫のようなものが混じり合い、不吉な色に染まる。

 だがそれも一瞬で、気づけば元の青空に戻っていた。


 子供がラティアの体にしがみつき、震えていた。

 彼女を探していたのだろう、身なりのいい貴婦人が駆け寄ってくる。


「お母様!」


 少女は貴婦人にすぐさま抱きつき、貴婦人は何度もラティアに礼を言った。


「娘を助けてくださって、ありがとうございます」

「私は、なにも……赤い、槍が」

「鮮血公ヴァルドール様です。よき時に、王都に滞在していてくださいました。ほとんど被害を出さずに、魔竜を打ち払ってくださったのですから」

「鮮血、公……?」

「アレクシス・ヴァルドール公爵様です。血の魔法を使用する、公爵閣下。紅の厄災とも呼ばれています」


 貴婦人はラティアに礼をしたいと言う。

 ラティアは「鼠、どこだ!」とラティアを探す、使用人頭の声が聞こえて身をすくめた。


 早く行かなければ。

 ひどく、仕置きをされてしまう。

 そう思うラティアの耳に、ラティアのいる大通りの先の人だかりから、「アレクシス様!」という切迫詰まった声も聞こえた。


「魔力枯渇だ!」

「アレクシス様、ご無事ですか!?」


 ラティアは貴婦人に礼をすると、人集りに向かう。

 使用人頭の元に向かわないといけないのはわかっていた。だが、誰かがラティアの耳元で警鐘を鳴らしているようだった。


 アレクシス・ヴァルドールの元に、向かわなくてはいけないと。


 人混みをすり抜けた先に、胸を押さえて倒れ込んでいる男の姿がある。


 真っ青な顔をしており、呼吸が細い。

 魔力枯渇の症状が出ていると、すぐに知れた。


 あれほどの量の魔竜を一気に屠ったのだ。

 多量の魔力を消費したのだろう。それは、場合によっては命に関わる危険もある。


『隠していなさい、ラティア。あなたの力は、誰にも知られてはいけない』


 母との約束をラティアは思い出した。

 たが、アレクシスがいなければ、ラティアは死んでいただろう。

 彼を、助けなければいけない。


「女、一体どういうつもりだ! アレクシス様に近寄るな!」

「おい、一体何を……!」


 ラティアはアレクシスに駆け寄る。

 彼の傍にいる兵士たちが、ラティアを捕える前に──ラティアはアレクシスの前に跪いた。


 驚愕に目を見開いた彼の唇に、自分のそれを触れさせる。

 そして、魔力をそそぎこんだ。


 自分の中身が空っぽになる感覚と共に、ラティアはふらりと体を揺らし、その場に倒れ込む。


 薄れゆく意識の中で、ラティアを抱きあげる力強い腕の感触を感じた気がした。





お読みくださりありがとうございました!

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