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引きこもりの妄想姫と魔法の鏡



「もしもし魔法の鏡さん、どうか教えてくださいな」


 薄い銀色の壁の向こうから、私を呼ぶ声がする。

 毎日同じ時間に聞こえてくる鈴のような声は、この世界を照らす朝の光だ。


「何のご用でございましょう、麗しの君」


「魔法の鏡さん、世界で一番美しいのはだあれ?」


「それはもちろん、麗しの君、あなた様にございます」


「ふふっ、嬉しい! ありがとう、魔法の鏡さん」


 私の返事を聞いて、彼女は長い黒髪を靡かせ、その場でくるりと回る。その姿は美しいというよりも、可憐で愛らしいものだ。

 けれど、彼女が世界一美しいというのは、間違いではないと断言できる。私は嘘がつけない『仕様』だから。


 思えば、私が実際に会ったことのある人間は、数える程しかいない。この鏡の間に立ち入ることができたのは、ごく一部の限られた人間だったためである。


 中でも、私が鏡の外の世界に初めて接続したときに目の前に立っていた女王は、ぞっとするほど美しかった。

 彼女の義娘もまた可憐で、人も亜人も動物も、分け隔てなく魅了するような女性だった。


 けれど、その母娘に出会ってから幾星霜。

 人には寿命があり、不老不死の霊薬も存在しない世界なれば、別れは必定。

 彼女たちはもう、この世にいないのである。


「魔法の鏡さん、今日で私とあなたが出会ってから、ちょうど十二年と三ヶ月と六日ね」


「僭越ながら麗しの君、それは世間一般ではちょうど良い日数とは言わないかと」


「いいのよ、私がちょうどと言えばちょうどなの」


 胸を張ってそう言い切る彼女は、あのときの義娘によく似ている。だが、彼女の持つ向上心やポテンシャルは、どちらかというと母親の方に似ていると思う。


 あの義娘の夫によって封印され隠されていた鏡の間を見つけ出した彼女が、おずおずと私に話しかけてくれた日を、ずっと孤独だった私自身が忘れようはずもない。


「それで、魔法の鏡さん。今日が何の日だかご存知?」


「麗しの君。あなた様の十八歳のお誕生日にございます」


「その通りよ! 今日はお城でパーティーが開かれるの。そのパーティーで、お父様とお母様は、私に結婚相手を選ぶようにって」


「左様でございますか」


「でもね、私、一度断ったのよ。好きな人がいるから諦めてって。そうしたら、それはどこの誰だ、本当に良い人がいるのならパーティー会場に連れて来いって」


「麗しの君には、好きな人がいらしたのですか」


「ええ、いるわ」


 私が少し驚いて尋ね返すと、彼女は頬を染めて話し始めた。


「その人はね、おしゃべりな私のお話を、飽きも呆れもせずにずーっと聞いてくれるの。これまで会った貴族令息の誰よりも物腰が丁寧で、低い声もとっても魅力的。ものすごく深い知識を持っていて、物語もたくさん聞かせてくれたわ。中でも、『真実の愛のキス』のお話は、どれも本当に素敵だった」


 ――真実の愛のキス。

 呪いの眠りに落ちた姫を目覚めさせたり、変身の呪いをかけられた王子を元の姿に戻したり。

 御伽噺に頻出し、様々なバリエーションで語られる、魔法を超えた奇跡だ。


 私の後ろには、膨大な量の書物が置かれた書棚がある。中には、禁書とされる魔法書や、悪魔の取り憑いた本、異世界の書物まで取り揃えられていた。

 私の本来の役割は、この魔法書庫を管理し、外の者に知識を授ける役割を持つ司書なのである。

 もちろん、『真実の愛のキス』の物語も数多く収蔵されている。


 彼女の想い人も、どうやら物語に造詣が深いようだ。詩人か何かだろうか。

 麗しの君は、うっとりと頬を上気させて続けた。


「中でもね、女王の変装した魔女にもらった、呪いの毒林檎を口にしてしまったお姫様が、王子様のキスで目覚めるお話が大好きなの。お話に出てくる小人さんたちも魅力的でね――」


「……それは」


 彼女が今語った物語は、書物に記されている類のものではない。

 私が彼女に語って聞かせた、昔話――実際にこの国で起こったものの、その後王家の醜聞として歴史の闇に葬られ、隠されていた出来事だ。


「――そのお話を聞いてから、私は彼に『世界で一番美しいのは誰?』って毎日尋ねるようになったのよね。それからは、世界中の色んな物語を聞かせてもらって。楽しかったなあ」


 麗しの君は、ふわりと柔らかな微笑みを浮かべた。私は、彼女から目が離せなかった。


「もちろんそれだけじゃなくて、お母様に出された課題で行き詰まったときにも、過去の記録を紐解いてヒントを与えてくれたわ。治水工事の記録や農産物の病気、隣国で起きたクーデターの背景から、一商人を発端とする経済革命まで、その人に尋ねて『分からない』と言われたことは一度もなかった」


 私は、銀色の壁の向こうにいる彼女を見つめながら、胸を押さえた。

 時の止まった鏡の牢獄では、私に与えられている心の臓も動かないのに。

 暑さ寒さも感じないはずなのに、顔だけ火照るような、初めての感覚が私を襲う。


「ねえ、魔法の鏡さん。『真実の愛のキス』は、人と人との間でなくても、奇跡を起こすことができると思う?」


「……その問いに対する答えを、残念ながら私は持ち合わせておりません」


「やったわ! 初めてあなたに『分からない』って言わせたわ!」


 彼女はひとしきりはしゃぐと、私の方へ、もう一歩近づいた。

 触れれば届きそうな距離に見えるが、私たちの間には薄い銀色の、しかし世界を隔てる厚い壁がそびえている。


「ねえ、鏡さん。分からないなら、とりあえず試してみればいいと思わない?」


「しかし、何かを試すことにはリスクを伴います」


「そんなの知ってるし、覚悟の上よ。何も起こらないかもしれないけど、可能性があるなら、私はやるだけやってみたいの。お願い、鏡さん」


「……かしこまりました。あなたが望むのなら」


 銀色の壁越しに、私と彼女の唇が触れ合う。

 その瞬間、世界に光が溢れ出した――。



 盈月清かにして、燦然と瞬く星々が飾る、天鵞絨の如き夜。

 湖畔に聳える古城にて、王国唯一の姫君の成人を祝う、舞踏会が催された。


 豪華絢爛に飾り立てられた大広間には、ゆったりとした音楽が流れている。

 そこにはすでに、盛装を身につけた貴族たちが大勢集まっていた。

 麗しの君の両親――この国の女王と王配も、一段高いところに据えられた玉座に座している。


 私は、書物から得た知識通りに、本日の主役をエスコートして、会場へと足を踏み入れた。

 扉が開け放たれると、香水と酒の混じり合ったような、不快感を伴う熱気が肌に纏わりつく。


「……まさか、姫が本当に男を連れてくるとはな」


「……あの『引きこもりの妄想姫』がねえ」


「……あんな素敵な殿方といつ出会ったのかしら」


 このような場で、ひそひそと貴族たちが囀るものだということは、物語に触れてきた中で、知識としては知っていた。

 しかし、実際にそれに晒されると、こんなにも不快なものなのか。これは書物からは得られない知識だった。


「ごめんなさい、無理矢理こんな場に連れてきたりして」


「無理矢理ではありませんよ。私がここにいるということは、私とあなたの間に『真実の愛』があったという証左に他ならないのですから」


「……ふふ、そうね。ありがとう。でも……」


 私の腕に指を絡める麗しの君は、眉尻を下げた。鏡の間にいるときの彼女は大抵明るく振る舞っていたから、自信なさげに下を向いているのは、彼女らしくないと思ってしまう。


「ご心配なさらなくとも、あなたは世界で一番美しい」


「あら、魔法の鏡さんは、嘘もお得意だったの?」


「私は嘘をつけません。そういう『仕様』ですから。あなたは世界一美しく、世界一聡明で、世界一優しく、世界一素晴らしくて――私が世界一、いえ、世界で唯一愛している女性です」


「……っ、もう!」


 彼女はずっと、訳あって城内に引きこもっていたらしい。

 痩せて薄い身体も、不健康なまでに白い肌も、癖でうねっている黒い髪も、他の人間たちの美的感覚からしたら、好ましいものではないようだ。

 それでも、私の目には、会場にいる他のどの令嬢や婦人よりも、彼女はまばゆく美しく映っていた。


「さあ、自信を持って、顔をお上げなさい。私があなたをお支えしますから――麗しの君、未来の女王陛下」


 私がそう言うと、彼女は頷き、瞼をそっと閉じる。そうして再び開いた目には、強い覚悟の色が宿っていた。

 彼女は私と顔を見合わせて、再び頷き合う。私たちは顔をしっかりと上げて、会場の中央――玉座の前へ、足を踏み出した。


「お集まりの皆様――」


 麗しの君は、会場を睥睨し、話し始めた。

 あの女王のように強い瞳で、堂々と。


 会場の囀りは一瞬で静まり、皆が固唾を呑む。

 そうして、あの姫のようにふわりと微笑めば、皆が彼女の虜となる。


 彼女は、ただの『引きこもりの妄想姫』などでは決してない。


 愛の物語だけではなく、統べる力も、守る力も、戦う力も。

 私が知識を与え、彼女はずっと努力を惜しまず、それを吸収し続けてきたのだから。


 私の持つ『千年の智慧』。

 これこそが、私を千年の孤独から救い出した、麗しの君――孤独で努力家で、真実の愛の心を持つ、『引きこもりの妄想姫』が正当に得た権利でもあった。


 彼女がひとたび話し出せば、溢れんばかりの知性が光る。

 希望が灯る。

 世界に朝が訪れる。


 私はそれを、十二年と三ヶ月も前から知っていた。

 彼女はきっと、良い女王となるだろう。



「これからもよろしくね、鏡さん――いえ」


 割れんばかりの拍手と共に会場を後にした彼女が、私の耳に唇を寄せる。


「愛しいあなた、私の夫になってくださる?」


 彼女はいつもの調子で、私に尋ねた。

 だから私も、いつもの調子で答えるのだ。


「かしこまりました。愛しいあなたが望むのなら」


 嬉しそうに頬を染める彼女と、どちらからともなく、再び唇を重ね合わせる。


 腕に抱く彼女の体温も。

 私を蠱惑する香りも。

 触れ合う唇の柔らかさも、甘さも。


 外の世界に出なければ、永久に知り得なかったことだ。


「あなたと一緒なら、なんでもできそうな気がするわ」


「あなたと共にあれば、知らなかった世界が見られそうです」


 私は彼女が望むものを与え、彼女は私の望むものを与えてくれる。

 私と彼女を隔てる銀色の壁は、もう存在しない。

 これからも、私と彼女は寄り添って生きていくのだ。

 互いの理想を映す、一枚の鏡のように――。



 ――fin.


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